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Colorless Dream End

27

 帰路はゆったりとしたペースで走って戻った。道場に入った瞬間柚彩に「シャワー浴びて布団入って寝る、夕方の鍛錬にはたたき起こす」と言われてしまい、恭はおとなしくそれに従った。言われたとおりシャワーを浴びてから布団に倒れこんでしまえば、そのまま本当に柚彩に叩き起こされるまで目が覚めなかった。その後軽く食事をとってから、しっかり柚彩に稽古をつけてもらい。

「恭くんさあ、昨日兄貴に何か言われたでしょ」
「はえ?」
「えらく寝不足だったし。兄貴、昨日恭くんと何か話に行ってたからさ」
「……えーと、何かいっぱい言われて頭がぼん!ってなったっすね……」
「そりゃご愁傷さま。兄貴は人いじめんの生き甲斐にしてるとこあるから諦めろ」
「マジすか」
「半分くらいマジ」

 道場の床に這う這うの体で転がっている恭の隣に座って、柚彩は困ったように笑う。永鳥は見た目は優しそうだ――実際、口調も物腰も柔らかい。だがしかし、芯が厳しい性格でなければあの年齢でこの家の当主など務まらないのかもしれない。
 代々有名な家というのは、いろいろと大変なことがあるのだろう、と思う。恭のような急に『ヒーロー』になった人間が足を踏み入れるべき場所ではないのかもしれない。しかし、だからといってそれを諦める理由にしたくはない。有名な家の当主を継ぐつもりでいようと何であろうと、恭にとっては律は律だ。今までと何も変わらない。

「……柚彩さん」
「ん?」
「俺、むずかしーこと、やっぱ分かんないんすけど」
「うん」
「誰かを助けたいとか、守りたいとか。そういうのって、理由がいるもんなんすかね」
「ふーむ。なかなか『ヒーロー』らしいことを言うなあ」

 感心したように頷く柚彩の視線を向けて、恭は体を起こす。伸びをすると背中や腰を中心にあちこちが痛い。まだまだ無駄な箇所に力が入っていることを実感する。
 当面の目標は身体の余分な力を抜くことかもしれない。変に身体に疲労を蓄積させてしまうと、後でガタが来てしまいそうだ。前に足の靭帯を切ってしまったときのようなことにならないよう、注意する必要はあるだろう。何より、今は怪我をしている場合ではないので。今この状況で、また数か月動けなくなりました、なんてことになれば、何もかもが絶望的になってしまう。

「私的にはまあ、理由、っつーより、信念が必要かな」
「しんねん」
「何もないものは折れやすいから。例えば恭くんの心がぽきっと折れて、もう誰も守れない助けられない! って思っちゃう日が来るかもしれない」
「……来るんすかね?」
「今はなくてもね。どうして守りたいのか。どうして助けたいのか。そういうのはきっちり、自分で持っておいた方がいい、んじゃないかなあ」
「はー……柚彩さんにはそんな信念あるんすか?」
「私は特にないけど」
「ないんすか!?」
「ないよ。だから『ヒロイン』としては一切仕事しないし。そもそも兄貴が私や和彩には絶対仕事させようとはしないからね、あの過保護」
「姫氏原の家は男の人しか継げないからうんちゃらみたいな話昨日聞いたっすよ」
「継ぐのはね。仕事は女でも出来るんだけど、兄貴は嫌なんだってさ。私らを危険な目に遭わせないことがあの人の信念なんだろうさ」

 柚彩のその言葉は、やれやれとでも言いたげな口調だった。恭にはよくわからないことだが、姫氏原の家にもいろいろあるということなのだろう。柚彩や、恭が会ったことはないが、末妹の和彩。その二人の妹は、意外と恭が律に感じているような感情を、永鳥に対して抱えているのかもしれない。
 事情は人ぞれぞれで、だからこそ難しい。
 信念、ということを改めて言われてしまうと、どう考えたらいいのかは分からない。しかし、何となく自分はその答えを持っているような気がした。恐らく恭の中で意識したことがないからこそ、分からないもの、。それを自覚することができたとき、永鳥に説明できるものが胸の内に生まれるのだろうか。
 もし、それがきちんと言葉になったとき――そのときに、何かが大きく変わるのかもしれない。


 姫氏原家で修行すること2週間。
 ようやっと柚彩は恭の打ち込みを見ながら受けるようになり、一緒に修行している中学生にはちょっと手加減されつつも勝負にはなるようになってきて。しかしあれ以来、恭は一度も永鳥に会っていない。大きな仕事が入って多忙なのだと聞いている。
 さすがに長居になってしまっていることもあり、明日で一旦修行を終え、恭は一度家に戻ることにした。怪我を理由にバイトは休ませてもらっているのだが、恐らくそろそろ復帰すべき時期だということもある。すっかり世話になってしまったが、「対価は出世払いでいいよ」と最初の頃に永鳥に言われている。よくよく考えると何となく怖いな、と思ったが、今更だ。
 その夜、修行を終えた後。恭は思い立って、憂凛に電話をかけていた。時折SNSで連絡を取ることはしていたが、何となく――本当に何となく、憂凛の声が聞きたくなった。文字の上では元気でも、声を聞けば印象は変わる。
 恭の電話に、憂凛はすぐに出てくれた。他愛のないお互いの近況報告。憂凛は夏休み中にも関わらず課題だ何だと忙しいようで、ほとんど休みがない状況ではあるようだった。

『頑張ってるんだねー、恭ちゃん』
「頑張ってるー。ゆりっぺも頑張ってんじゃん」
『ふふん。頑張るよ、ちゃんと勉強するのが皆へと恩返しだと思ってるし』
「すごいなー。えらいなあゆりっぺ……」
『恭ちゃんだってすごいよ。……頑張ろうね』
「うん」

 永鳥に言われたことの答えは、まだ出ない。分からない。何の為に、どうして。律を一人にしたくないから、支えたいから。それは答えのひとつではあるけれど、きっとそれだけでは駄目なのだろう。それだけでは、永鳥は納得してはくれない。恭自身が玲の代わりでないことを、証明できない。
 あまり難しく考えこまないように、とは思っている。考えるというのは性に合わないということもあるし、響にも言われたことだ。しかしだからと言って、何も考えないわけにはいかない。答えは出さなければならないのだから。

「……あ、そうだゆりっぺ」
『ん?』
「……あの、さ、最近松崎先輩に会った?」

 いくら『分体』が探しても、渚は全く見つからない。憂凛に聞いたところで知らないとは思うのだが、聞いてみないことには分からない。ちゃんと普通に過ごしてくれていればそれでいいのだが、望みは薄い。一体渚は、何をしていて、どこに行ってしまったのか。
 生きていますようにと思うのは、行かせてしまった恭が願うのは間違ってるのかもしれない。しかし、生きていてほしい。死んでほしくない。何より、理由が全く分からない。どうして渚が死ななければならないのか、殺されなければならないのか。
 そもそも、渚との間にあったことを、渚が殺されに行くと話していたことを憂凛に話せない恭が、こんなことを憂凛に聞くのは間違えているのだろう。しかし、渚に一番近しい人間は憂凛だ。憂凛が知らないのであれば、誰も何も知らないことは想像がつく。

『会ってない。……あのね恭ちゃん、今、憂凛、なぎちゃんのこと探してるの』
「……え」
『病院も勝手に抜け出していなくなっちゃって……ていうかその前から行方不明だったんだよ。乙仲くんたちと居たみたいだけど! ……ここ数ヶ月、憂凛には全然なぎちゃんのことが分からなくて』
「……そ、っか」
『ごめんね』
「いやいや、全然ゆりっぺが謝ることじゃねーし!」

 謝らないといけないのは、恭の方だ。
 本当に渚は何をしているのだろうか。早く見つけ出さなければならない。とはいえ、『分体』が探し出せないものを恭が探し出すのは難しい。無茶をしていなければいいのだが、せめて誰かに相談してくれればいいのだが――それこそ、律であれば渚も相談したかもしれない。しかしその律は今、アメリカにいるはずで。
 知らないところで、一体何が起きているのか。恭にはわからないことが多すぎて、同じことばかりを考えてしまう。

『恭ちゃん、明日何時ごろに帰って来るの?』
「えーっと、夕方の鍛練してから帰ることになってっから、夜かなー」
『そっか。ねえ、恭ちゃんってまだ茅嶋さんちに居る?』
「うんいる、っつーか大学生になってからは居候から同居人にレベルアップしてる」
『あ、そうなんだ』
「でも何で?」
『憂凛が恭ちゃんに会いたいから、お迎えに行きたいな、って』
「え」
『帰る前に連絡して? 茅嶋さんち、行く。おかえり、って言わせて』
「……うん、分かった」

 ふふ、と電話の向こうで憂凛が嬉しそうに笑う。少しだけ心がほっと温かくなって、しかし同時に胸が締め付けられてしまうのは、憂凛に隠し事をしているせいだ。どうしても――どうしても。
 いつまでも黙っていられないことは分かっているし、やはり憂凛に相談した方がいいのではないかとも思う。憂凛のことを危険な目に遭わせたくはないが、そして渚が死ぬ覚悟まで決めた相手を探すことになるのだろうが、しかし二人なら何となるのではないか、と考えたくもなる。

『じゃあ明日ねっ、恭ちゃん』
「うん。また連絡するー」


 そして翌日。

「お世話になりました!」
「ほんっとお世話しました」
「あう」

 鍛練を終えて、荷物を片付けて。見送りに出てきてくれた柚彩の呆れた顔に、恭は頭を下げることしかできない。どれだけ世話になったかは、身に染みて分かっている。

「自主練はちゃんと続けること。恭くん、筋はいいよ。どんくさいけど身体で覚えたことは忘れないから、しっかりと覚え込ませておいて。そしたら次会う時はすっげー強くなってるよ、多分」
「マジすか!」
「ちゃんとやりゃあね。また冬休みに来るっしょ? 楽しみにしてるよ」
「はい!」
「いやあ若者は元気だなあ」
「……柚彩さん確か俺とそんな歳変わんなかったっすよねえ……?」

 時間が出来たら道場に通ってきてもいいよ、とは言われている。時々見てもらうこともできて、話を聞いてもらえる場所ができたのはありがたい。迷ったら柚彩に相談するのもいいだろう。今の恭には、それほど相談できる相手が多くはないからこそ。この間はたまたま響と話すことができたが、飽くまで偶然であって、今後響に会えることはそうそうない――話を聞いてもらえるかもわからない。小夜乃とも話すことができない状況は変わらない。
 強くならなければ。守られてばかりの現状では何も変わらない。今度は自分が、大切な人たちを守れるように。そのために、頑張るしかない。難しい道であることは承知しているし、実力に見合わないことをしようとしているのかもしれないが、それでも。
 そうして姫氏原の家を後にして、久しぶりに車に乗って帰路につく。帰宅次第、とにかく渚を探す方に意識を切り替えていくべきだろう。『分体』では探すことができない場所、監視カメラの死角になるような場所、そもそも監視カメラがない場所等、そういったところは地道に自分で調べていくしかない。このご時世に監視カメラの死角だけを通って生活できるとも思えないので、何らかの力が働いている可能性もある。

『恭』
「んー? どしたのぶんちゃん」

 突然名前を呼ばれて、恭はちらりとカーナビに視線を向ける。恭が車を運転してるときは、大抵『分体』はカーナビゲーションの中に入っている。スマートフォンとリンクしているので、行ったり来たりしている状態だ。

『500m先にコインパーキングあるからそこに車停めろ』
「え、何で」
『ええから』
「ええー……」

 全く意味が分からない。早く帰りたいのに、と文句を言いながらも、恭は『分体』に言われた通り見つけたコインパーキングに車を停める。妙に嫌な予感がするが、停めろと言われたからには停めるしかない。
 どうして停車させられたのか詳細を聞こう、と再度カーナビゲーションに目をやって、恭は眉を寄せた。画面が砂嵐と化している。

「ぶんちゃん!? ぶんちゃん、何!?」

 カーナビゲーションの不具合を疑って、スマートフォンにも手を伸ばす。見えたディスプレイはやはり砂嵐。
 電源を入れ直せば、あるいは。そう考えて車のエンジンを切って入れ直しても、その画面は砂嵐のまま。スマートフォンの電源を入れ直せば、と思ったが、砂嵐のディスプレイでは電源も切りようがない。何かのバグを疑ってはみたものの、こんなバグが発生するだろうか。
 いろいろとボタンを触ってみたり、ディスプレイをタップしたりしてもやはり反応はない。どうしたらいいのかと頭を抱える。どうして急にこんなことになってしまうのか。ナビゲーションなしで地図さえ調べられない現状、帰宅するのも難しい。『分体』がバグを起こしたのかもしれないが、長い付き合いの中でこんな状態になったのは初めてだ。この間響にスマートフォンを壊されたときに、退避が間に合わずどこかの調子が狂っておかしくなっていたのだろうか。
 どうしたものかと考えていると、突如ぶわりとスマートフォンのディスプレイが真っ白になった。直ったのかと思ったのも束の間、画面の上にぴょこんと浮き出してきたのはいつもの白いもやもやではなく、5、6センチ程度のアニメチックで2頭身、何らかのキャラクターのような女の子。
 意味が分からずに瞬いていると、女の子がにこりと笑った。

『初めまして、キョウ=ヤナガワですね?』
「えっ、あっ、はい」
『私のマスターのところにご案内するよう命令を受けています。――従わない場合は貴方の小さな相棒のデータを抹消するかもしれません』
「えっ」
『ご案内いたします。来て頂けますよね?』

 その問いは、恭の選択肢などないも同義だった。

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