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Colorless Dream End

25

 恭が病院を退院してから、2週間後。

「おっはよーございまーす!」
「お早う御座います、恭くん。今日も一日頑張りましょうね」
「はい!」

 自宅から少し離れた、とある街。恭はそこにある代々『ヒーロー』として続いている姫氏原家に、泊まり込みで修行に来ていた。紹介してくれたのは芹だ。相談してみたところ、幼馴染の関連で知っている家があるから、と紹介してくれた。
 二つ返事で修行を引き受けてくれた姫氏原家の当主である姫氏原 永鳥は剣道の師範であり、華道家としても有名な人物。その上で国内要人の警護を『此方』の人間として請け負っているという経歴を持つ。物腰は柔らかく、見た目も線の細い優男といった風情だが、木刀や竹刀を手にすると雰囲気が一変する、というのが恭の印象だ。本人に聞いたところによると律と同い年で、そして家同士仕事を共にすることもあるとのことだった。どうやら世界は狭そうだ。
 鍛錬の内容としては、素振りや剣道について教えてもらったり、かと思えば精神統一の練習とのことで座禅をしたりということもある。永鳥は多忙でもあるため、代理として永鳥の妹や他の弟子が恭の面倒を見てくれている状態だ。慣れないことも多く、当然ずっとやってきた陸上とは勝手が違う。かなり肉体的にも精神的にも負担は大きいが、こういったことは嫌いではない。まだまだいける、というのが恭の正直な感想だ。何よりまだこの家の世話になり始めて3日、序の口だ。教えている方も様子見だろう。
 ――恭の目標は、律に認められること。その相棒となること。そのためには、頑張ることしかできない。律を頼らなくても戦える程度には、強くなりたい。いっそ律を守れるくらいには、と思うのは、少し目標が高すぎるかもしれないが、それくらいの気概は必要だろう。

「おはよー恭くん……今日も一日私が面倒見ることになったんでー、よろしくー……」
「おはようございまーす柚彩さん! よろしくお願いするっす!」
「朝から元気ぃ……うるさ……」

 欠伸をしながら道場に現れたのは、寝癖でぼさぼさの髪で面倒そうな表情の女――姫氏原 柚彩、永鳥の妹である。この3日、恭の面倒を見てくれているのはほとんどが柚彩だ。無気力のようにも感じるが、それでも既に恭は柚彩の姿を知っている。彼女は恭の方を見ることもなく、欠伸をしながら片手で今日の打ち込みを全て受け止められるだけの実力を持っている。いくら恭が剣道初心者とはいえ、そうそうできることではない。
 せめて、柚彩に一撃でも。まずは視線を向けてもらうところから。それが当面の目標だ。
 そして今日も、一日が始まる。


「……つかれた」
「恭くん邪魔ー」
「あいで」

 日が落ちて、もうすぐ夜を迎えようかという頃。
 稽古終了の声と共に、恭はその場にへたり込んだ。すぐに柚彩に竹刀で軽く頭を叩かれる。先ほどまでかなり厳しい稽古を繰り広げていたというのに、柚彩は涼しい顔だ。
 体力には自信がある方だが、本当に慣れないことである、ということも手伝って、疲労感はかなり強い。力を入れる必要のない無駄な箇所に力が入ってしまっているのだろうな、と思う。余裕を持つことができれば、余分な力を抜くことができれば、もう少し楽にはなるのだろう。しかし現状、やりながら慣れるしかない。恭の場合、あれこれ考えるよりも体で覚えてしまう方が早いことは分かっている。

「頑張れ柳川! また明日なー」
「がんばるー……またあしたー……」

 道具を担いで元気に帰っていく中学生の弟子を見て、溜息一つ。恭よりも年下だが、当然先輩であり、そして剣道においては恭よりも遥かに強い。気合の入った声で、恐ろしい速さで打ち込んでくる。見えても受けられない、そして一発も入れることができない。勝てるようになるのかどうか不安になってくる程だ。それだけ、今までの恭は『戦い方』を知らなかった、ということでもある。
 どうしたらいいのか、と考えてしまうと気が焦る。気になることが多すぎるのも一因ではあるのだろう。焦ったところで、すぐに強くなれるわけではないのに。

「恭くんには集中力が欠けている」
「柚彩さん」
「集中入るの早いし、短時間の集中はできてるけど、長時間の集中が全然できてない。すーぐ集中が切れて違うこと考えて隙まみれ。打ち込まれまくり。剣先ぶれぶれ」
「あう」
「兄貴が帰ってくるまで座禅してなー。晩御飯はその後ね」
「ハイ……」

 柚彩の指摘はいつも、何ひとつ間違えてはいない。何も言い返すことができないのは悔しいが、できていないとはっきり指摘してもらえるのはありがたい。頑張らなければ、という意識も芽生える。
 言われた通りに座禅をしつつ、ふと考える。今頃、皆は何をしているのだろうか。
 律はアメリカで仕事をしている、と桜から聞いた。いつ頃帰ってくる予定でいるのだろうか。憂凛にはここに泊まり込むことが決まってから、修行に来ているのだと連絡を入れた。可愛い絵文字と顔文字付きで『頑張ってね! 恭ちゃんなら大丈夫だよ!』という励ましの文章が返ってきていて、毎日のように見返している。小夜乃のことを考えると、目が覚めただろうか、大丈夫だろうかと心配になってしまう。響はどうしているのか、全く想像がつかない。考えるとちくりと胸が痛むのは、一連の出来事がショックだったからであろうことは理解している。
 そして――渚。
 果たして渚は無事なのだろうか。生きているのだろうか。そう考えるたびに、ぞわりとした恐怖に襲われる。殺されに行くのだと言った彼は、あのとき何を考えていたのだろうか。『分体』がありとあらゆる手段で捜索してくれているが、今のところ渚に纏わる情報はない。完全に行方不明になってしまっている。結局、恭からは憂凛には何も言えないままだが、憂凛は気づいているのだろうか。
 どうしても、考えていると酷く気分が落ち込んでしまう。せめて律には渚の話をした方が良かったのではないだろうかとは思うのだが、しかし既にアメリカにいる律に伝えたところで、という問題もある。何より、今の恭の状況では何でも律に頼る、というわけにはいかない。しかしこれは恭自身のことではなく、渚の問題なのだから――と、思考がぐるぐると回って頭が痛くなる。
 自分にできることは、一体何なのだろう。
 考えても考えても、結局何も分からないまま。今のままでは、何に手を出したところでどうすることもできない。最悪の場合、また殺されてしまう危険性もある。

「頑張ってるね、恭くん」
「あ!? 永鳥さんおかえりなさっ、……っ!」
「……おや。足が痺れたかな?」
「ぎゃー!?」
「ふふ、面白いね」
「俺は面白くないっす……!」

 どれくらいそうしていたのか。道場に顔を出した永鳥に痺れた足を触れられて、思わず転げてしまった恭を見ながら、くすくすと永鳥は笑う。恭としては全く笑えない。道場の床を転げる恭の隣へ美しい所作で正座した永鳥は、ぱん、と手を叩いた。

「転げているところ申し訳ないけれど、夕餉の前に手合せ願えるかな」
「てあわ……せ?」
「君には取り敢えず柚彩から剣道の基礎を叩き込ませているけれど、君が学びに来たのは『ヒーロー』としての戦い方だろう。剣道というものは飽く迄も手段の一つでしかない。そして私は時間があるときにしか君を相手できないからね、そろそろ一旦君の実力をきちんと見ておきたいのだけれど、良いかな」
「あ、あし……しびれ、治ってからでもいいすか……」
「それは勿論」
「ぎゃー!? 触んないでまじで!?」


 ――ごろごろと床を転がってる間に、足の痺れは落ち着いて。
 道場の中央で、永鳥と向かい合う。恭の手には竹刀、対する永鳥は徒手だ。恐らくハンデということだろう。しかし、竹刀を持たされたところで、今の恭では使えるのかどうか不安もある。しかし、剣道にこだわらなくてもよいのであれば、リーチの長さという点で武器になると考えてもいいのだろう。
 しかし、恐らくこんなものは何のハンデにもならない。永鳥を相手にするというのは、恭にとっては律を相手にすることと同義だ。
 永鳥は穏やかな笑みを浮かべている。しかし、どうにも背中にじっとりとしたものを感じてしまう。恐らくそれは、恐怖を感じているせいだ。
 しかし、怖がったところでどうしようもない。これは練習試合のようなものだ。本気でやり合う訳ではない、怪我をすることはあるかもしれないが、死ぬことはない。だが、本気で戦わなければならない。
 深呼吸。気持ちを落ち着かせる。一瞬の間を置いて、恭は真っ直ぐに永鳥に突っ込んだ。永鳥は動かない。竹刀を振り上げる、と見せかけてそのまま足払いをかけてみたものの、慌てる様子もなく避けられた。避けられるであろうことは予想できている、そのまま竹刀を横に薙いで――次の瞬間。

「う、お……っ!?」
「遅くはないけれど、甘いのかな。太刀筋に迷いがないことは褒めるべき点ではあるけれど」
「……ッ!」
「その反撃は遅い」
「っ、は……!?」

 何が起きたのか、理解が追い付かない。しかしこの一瞬で、恭が持っていた竹刀の所有権は永鳥へと移っていて、直後容赦なく鳩尾を衝かれ、吹っ飛ばされる。受け身も取れずに道場の壁に強かに背中を打ちつけて、呼吸が止まる。
 げほ、と咳き込みながら事態を理解できずに混乱する恭の鼻先すれすれに、永鳥はゆっくりと竹刀を突きつけた。

「今此処が戦場なら、恭くんは死んでいるね」
「……えと」
「私が今持っているのが真剣ならば、今此処で君の首を薙いで殺せるということだよ」
「……スイマセン」
「謝ることはない」

 にこり、と永鳥は笑う。その笑顔は優しいが、やはり怖い。優しい声で、永鳥は冷たい現実を、恭に突きつける。

「それで今迄良く茅嶋嫡男の隣に居られたね。生きているのが不思議なくらいだと私は思うのだけれど。――此処で諦めた方が、君の為じゃあないかな」

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