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『ちょっとリツ、面白いことになったよ』
「……へ?」
調査に出たアレクからそんな連絡があったのは、夜も深くなってきた頃。迎えに行くね、という連絡を受けた次の瞬間には、アレクは律の眼前まで戻ってきていた。これだから吸血鬼は、と思いはするものの、便利に使わせてもらっているので黙っておく。
「何、面白いことって」
「メイナードの後ジェイクの方の仕事取りかかる予定にしてたよね?」
「ああ、うん。そだね」
ジェイド――『ディアボロス』ジェイク=リンドバーグ。今回の標的であるメイナードと似たようなもので、こちらも非合法組織であり、壊滅と捕縛を依頼されている。どちらの資料も目を通した結果、ひとまず足取りが掴みやすそうなメイナードから、ということで動き始めたのだ。
「メイナードとジェイクが全面抗争始めちゃった」
「はあ?」
「まあ彼ら、元より商売敵だろうしね。昨日のリツの情報抜き取りの一件がジェイク側の仕業じゃないかってメイナードが疑って、そこから今ばちばちにやりあってる」
「そりゃありがたい話だな……、戦力的にはどんな感じ?」
「総力戦っぽかったよ。メイナード側は『ネクロマンサー』『魔人』を中心に10名、ジェイク側が『ディアボロス』『シャーマン』中心に15名、かな」
「……妖怪大戦争じゃん……まあでも、チャンスだね」
「そうだね。仕事が2つ、一気に片付く」
にい、と悪ぶった笑顔を浮かべてみせるアレクに、律は肩を竦める。実際仕事は山のようにあるのだ、1つでも仕事が早く片付くのであればそれに越したことはない。
「じゃあ行こうか」
「了解」
ぐ、とアレクが律の腕を掴むと同時に、ぐるんと何かに引き摺りこまれる感覚。アレクごと『変身』に巻き込まれることにはすっかり慣れてしまった。一番最初こそ気持ち悪さがあったものの、アレクの方が慣れたということもあるのだろう。
気が付けば、どこかの建物の屋根の上だった。周囲は見渡す限りの荒野――その中心で、明らかに様々な力が織り交ざっている感覚。しかしその状況は見通せない。街灯も何もない場所は、どう頑張ったところで暗すぎる。
「……アレクー」
「夜目が利かないのは不便だね?」
「夜は吸血鬼の本領発揮のターンでしょ」
「まあそうだけど……うーん。3人居ないね。ジェイク側が1人、メイナード側が2人」
「居ない人間が誰だか分かる?」
「ジェイク側は大丈夫、メイナード側も1人は……、もう1人が」
「……ちなみにそれは」
「『魔人』」
「……『変身』する相手を逃すのは厄介だな。探せる?」
「会ったことあれば血の匂いで辿れるけど、今回は残念ながら。面倒だね」
「ていうか、まずいね」
今回関わっている『彼方』は一掃しておきたい。内容的にも、後を引き摺ってしまうのは面倒だ。残った人間に恨まれて付け回される、という無駄な怨恨は避けたい。でなければ、余計な仕事が増えてしまうだけだ。
ふむ、と考え込んだアレクが、そのまま半身を黒い靄へと変える。そのビジュアルがあまりにも吸血鬼らしいな、などとどうでもいいことを考えながら、律はアレクの言葉を待った。聞かなくても分かる――靄状になることで、アレクは捜索範囲を広げている。そういった調査能力が非常に高いのも、アレクが仕事仲間として頼りになる理由だ。
「……まあ、3人なら何とか追えそうな感じだね。私は追ってくるから、リツにこの場は任せていいかな」
「喧嘩売ってんのアレク……俺に残り全員どうにかしろって言うの……」
「頑張って早く捕まえて戻ってくるからー」
「その間頑張れ、と」
無茶を言う。しかし今やりあっている二組も敵同士だ、お互いである程度は戦力を削っているだろう。それならどうにかなる、と思うしかない。
ゆっくりさせてもらったお陰で、二日酔いはしっかり抜けている。無茶苦茶ではあるが、やるしかない。こちらは二人、人数差は圧倒的でどう考えても戦力不足ではあるが――しかしこれを笑いながら切り抜けるのが、律の母、茅嶋 雪乃という人間だ。そして、律が目指さなければならないのはその位置なのだから、嫌でも死ぬ気でやるしかない。
「……よし! じゃ、頼んだよ、アレク」
「オッケー、任された。殺されてゾンビにならないようにね」
「それ、ちょっと笑えないなー」
げんなりした表情になった律に、アレクは楽しそうに声を上げて笑って。後でね、と言い残して、その姿が掻き消える。本当に笑いごとではないのだが、アレクは分かっているのだろうか。溜め息一つ、思考を切り替える。集中しなければ、待つのは死だ。
「≪汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に貸し与え給え≫」
描き慣れた魔法陣、左腕に絡みつく稲妻の紋様。
律の魔力の波動を感じたのか、ぴたりと動きの止まった人間が一人いたのが分かる。――恐らくは、メイナード。流石に『ネクロマンサー』としてそれなりの人数の組織をまとめているだけはあるなと思いながら、続けざまに『リズム』を刻んで、口笛。姿を隠す魔術を構成はしたものの、しかしこの状態では見つかんるのも時間の問題であるだろう。見つかるまでにどこまでできるかが肝心だ。
夜の闇にも目が慣れてきて、あちこちの戦闘が分かるようになってくる。敗色が濃厚になった面々は逃げ出そうとしているのだろう、じりじりと後退しているのが見て取れる。それをみすみす逃がすわけにはいかないとなれば、もう手出ししないわけにはいかない。
意識を集中させて『リズム』を刻み、口笛を奏でる。ぶわり、と地に大きく広がる魔法陣。隠してもいないそれは、当然その場にいる全員に露見する。驚いた面々が魔法陣を打ち消そうとしたり、範囲外に逃げ出そうとしているのが伺えるものの、律の術式は完全に発動済みだ。簡単に逃がすつもりは全くない。
闇を切り裂く爆音。あちこちで起きる落雷。恐らく4、5人であればこれで戦闘不能に追い込めるだろう。この状態のまま、次々に魔法陣を展開させていく。あちらが律の居場所を掴んで反撃してくる前に、やれるだけのことはやっておかなければならない。
何度目の雷鳴か。ふと感じた視線に、捉えられたことを知覚する。怒鳴り声、誰かと何かを話している男はメイナードだ。相手は恐らく『サイコジャッカー』だろうか。となると、一気にここまで移動してくる。そう思った瞬間には、向こう側でメイナードと『サイコジャッカー』の姿が消えていた。即座に防御壁で身を守れば、思い切り何かが律目掛けて吹っ飛んできた。ぶつかる直前で落ちたそれは――死体だ。
「……ジャパニーズ? 昨日の男とやらはお前だな!?」
「女の子を誑かすなら情報統制もうちょっと気を付けたら? 大体日本人がふらっとこんな辺境にいるって聞いてもうちょっとおかしいと思わない? 何ですぐジェイクのせいだと思ったのかなあ、ま、助かったけど」
つけ入る隙は、いくらでもあった。そして日本人であることが分かっているのなら、メイナードはまず調べるべきだったのだ――現れた日本人が、一体何者なのか。こうして商売敵に喧嘩を売る前に。
「茅嶋家当主代行茅嶋 律、メイナード=グルーパー一派並びにジェイク=リンドバーグ一派を無力化させて頂きます」
「ワーオ。やり過ぎだねリツ? 調子よかった? メイナード黒焦げじゃないのそれ?」
「生きてる生きてる、大丈夫」
「……リツはあんまり怪我してないね?」
「『茅嶋』って聞いた瞬間腰が引けた相手に負ける気しない」
「さっすがー」
「まあ実際のところメイナードとやり合ってたらジェイクが逃げそうになって加減失敗したんだけど」
一時間後。荒野は静寂に包まれていた。
いなくなっていた3人を引き摺って戻ってきたアレクが苦笑する。例え律でも戻ってきてこの状況になっていたら同じだろう。
死屍累々。
全員片付けた後、律は完全に気絶していたり、動けなくなった人間を捕縛する作業を行っていた。誰一人命は落としていない――そういったことが起きれば、それはそれで問題になるからだ。今の状態であれば、『ヒーラー』の治療さえあればどうにでもなる。
しかし、『ネクロマンサー』の道具として使われてしまった死者については、律ではどうすることもできない。こればかりは、『家に帰ることができる』ことを願うだけだ。殺されてしまった人間は、生き返らない。こういったことに関してはどうしても、無力感に襲われる。
「これで全員捕縛、後は然るべきところに引き渡して報告入れてこのお仕事2つ一気におしまい。お疲れさまでしたー」
「こういうの日本語では一石二鳥っていうんだっけ?」
「そうそう。あ、この後の『仕事』の予定は?」
「それがモニカからは何も届いてないんだ。報告がてらそれも聞かないといけないね」
「……向こうは向こうで忙しいのかもね」
やることは山積みで、調べなければならないことは多い。日本に残してきた問題を片付けることも考えなければならないが、当面律がやることは『努力して自分の力を磨く』ことが最優先事項だ。
そうでなければ、再度あの『彼岸』に遭遇し襲われた場合、今の律では全く歯が立たないまま殺されてしまうだけだ。
悪意の塊、負の感情の具現化。そうとしか思えないあの『彼岸』の痕跡を虱潰しに調べつつ、自分の魔術の腕を磨いて、力をつけて。次に相対することになったとき、役立たずのままではいられない。そして今度こそ、禍根を残さない結果にしなければならない。そのためにできることは少ないが、やれることはやる必要がある。
「まーた一人で難しい顔をしているよ、リツ」
「あー……うん、ごめん」
「ふふ。いつも思うけれどニッポンという国は狭いところに人が集い過ぎて本当に『魔窟』だねえ。チミモウリョウ?だっけ?」
「まあある意味俺やアレクも魑魅魍魎に分類されるけどね」
「人で在ろうとする限りは、私もリツもただのヒトさ」
「……それ、アレクが言うの面白いな」
吸血鬼なのに。そう言って笑ってみせれば、アレクは楽しそうに笑う。しかし、律は知っている――この吸血鬼が、どれだけ努力してヒトの世界に溶け込んで生きる努力をしているか。だからこそ、その言葉には説得力もある。
さて、と意識を切り替えて。連絡がないからといって、何もせずにじっとしているわけにはいかない。捕縛の作業をアレクと二人で終えて、スマートフォンを取り出してモニカへと電話を入れる。コール音はするものの、電話を取る気配がない。やはり取り込み中だろうか、と考えた次の瞬間。
『はいっ』
「……あれ? これモニカさんの番号」
『あ、そうです! モニカさんのスマホをお借りしています』
「……何で?」
聞こえてきた声に、一瞬頭が真っ白になった。電話の相手はモニカではない。茅嶋 桜――律の血の繋がらない妹。意味が全く分からない。思わずスマートフォンのディスプレイを確認したが、表示は『モニカさん』になっている。間違い電話ではない。
深呼吸をして、まずは気持ちを落ち着ける。きっと向こうには何か事情がある。電話を掛けたのが律だということは向こうも分かっているわけで、恐らくたまたま桜が傍にいて、だから代わりに電話に出た。そういうこともあるだろう。
「……えっと、モニカさんは」
『隣でお仕事されてます』
「……何で桜ちゃんが電話に出たの?」
『あのっ……私、夏休みの間、モニカさんのお仕事のお手伝いをすることになりました』
「……ええ?」
『私が頼んだんです』
何それ、と言いかけた律の声を遮る桜の声は、凛としていた。真っ直ぐで、確固たる意志の籠った声。これは桜の意志だと、否が応でも理解してしまう。
あの日――病院から恭が連れ出されてしまった日、桜は律と共に恭を探しに行こうとしていた。律が断固拒否することでそれは諦めさせはしたものの、桜としては譲れないこともあるのだろう。
律の役に立ちたいのだと、そう思ってくれる気持ちはとても嬉しいものだ。だがしかし、律としては桜にこんなことをさせるために、桜と彼女の兄である椿を助け出し、茅嶋の家に連れてきたわけではない。二人と兄妹になったのは、そうすることで二人を守るためだった。
『あ……、あの、雪乃様が仰ってました』
「お母様?」
『律兄様が何か言いたそうだったら、これは当主命令だって言っておきなさい、って』
「……成程」
先手を打たれている。文句があるのであれば、まずは母に言えということだ。夏休みの間だけ、という制限がついているとはいえ、雪乃が簡単に仕事の手伝いを許可するとは思えない。雪乃と桜がきちんと話し合った結果、今の状態になっているのだろう。
そう言われてしまうと、ここでああだこうだと言ってもどうしようもない。文句を言うのは後回しだ。
「……分かった。じゃあ報告します」
『あ、はい!』
現状報告。仕事を2つまとめて片づけた形になっていること、送ってほしい人員や後処理についての説明をざっと行う。桜から数十分で後処理を請け負う人材が数名到着予定であること、次の仕事についてはモニカからアレクに連絡がいくのでそちらを確認してほしいとの返答。たどたどしいが、内容としてはしっかりしたものだった。
「了解。報告に関しては後で上げます」
『はいっ、分かりました』
正直なところ、今回の詳細な報告はできれば桜には見せたくないな、と考えてしまう。情報収集の手法もそこに至るまでの方法も、あまり褒められたものではない自覚はあるからだ。
桜はこのまま、仕事を手伝い続けるつもりでいるのだろうか、とふと思う。それを嫌だな、と思ってしまったのは、律としてはどうしても桜を巻き込みたくないからだ。『妹』になった彼女のことを、巻き込んでしまいたくない。茅嶋の人間になってしまった以上、この世界と完全に無縁の生活などできないことは承知している。これは律のエゴでしかないと理解しているが、それでも。
電話を切ると同時、無意識に溜息が漏れた。アレクが不思議そうな顔で律を見ていることに気が付いて、思わず苦笑が漏れる。
「リツがモニカと日本語で電話するなんて珍しいね」
「……違う、違うんだよアレク、電話の相手がモニカさんじゃなかった」
「うん?」
「いや俺はモニカさんにかけたんだけど……ああもう……」
「ああ、もしかしてリツのサポートする人決まったの? 何だかんだモニカはユキノの相棒兼サポートだからいつまでも今のままって訳にもいかないんじゃなかったっけ」
「……決まっては、ない」
今現在の現状として、茅嶋の仕事については基本的にモニカが一人で全てサポートを行ってくれている。前まではそれでもよかったのだ――雪乃だけが、茅嶋の人間として動いていたから。だからこそモニカ一人でも十全にこなせていた。しかし律も茅嶋の人間として仕事をするようになって、そのサポートをモニカにしてもらっている形になってしまっていて、それだけでも単純に考えて彼女の仕事量は倍になっている。いつも文句も言わずに淡々とこなしているのでつい甘えてしまうが、いつまでもこの状態ではモニカの負担があまりにも大きすぎる。
挙句に彼女は先日、律も関わった事件ではあるのだが、彼女が所属している『エクソシスト』達をまとめている協会の大規模な改革があった。その結果、モニカはかなり上の地位に立たされてしまい、本当にいつ寝ているのかと聞きたくなるほどの仕事量をこなしている。なるべく自分の仕事は自分で片付ける形を取りたいが、事務処理やそれに付随することとなれば現在の律にとっては専門外。結局のところモニカに教えてもらう時間が必要になり、そして今の律はそれどころではない。
確かに誰かがモニカの仕事を手伝いながら、その仕事内容を覚えてくれるのであれば、それが一番良いのだろう。しかしよりによって、それが桜だというのが頭が痛い原因だ。代案があるのかと問われればそんなものはなく、どうしようもないことではあるのだが。
「……リツ、何が引っかかってるのか、私には分からないけれど」
「ん?」
「君がユキノの後を継ぐなら、本当に信頼できる人にしかサポートは頼んじゃいけないよ。リツが仕事をする上で、仕事を受けてその状況を完璧に把握してくれるサポート、というのはとても大切な立ち位置なのだから」
「……アレクに諭されるとは」
「私はこれでもリツより年上だからね!」
「そうだねー……」
恭のこともある。その上この先は、桜のことも考える必要がある。
頭が混乱してしまいそうだが、今は考えても仕方がない。 頭が混乱している。ごちゃごちゃ考えても仕方ない。ゆっくりと息を吐き出して空を見上げれば、綺麗な月がじっと律を見下ろしていた。