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25 白兎と治療
歌唱補助機器にはさまざまな種類があるが、六弦は扱いが難しく使用者は少ない、というのは一般によく言われていることである。六弦を好んで使っているアーテムからすれば、世の中には二十五弦だとかいうものもあるし――という感覚で、あまり難度が高いという意識はない。楽器が好きで、音を奏でるのが好きで、その中で最も自分の手に馴染んだのが現在使っている六弦、『雨久花』と彼自身が名付けたそれだった、というだけだ。
同期のフィオレから言わせればその時点で「あれはもしかして自覚のない天才なのでは……?」という話なのだが、小心者で消極的な性格が大いに邪魔をしている彼は、ただただ日々を生き残ることに必死なのだった。
非番の日、アーテムには必ずと言っていいほど頻繁に訪れる場所がある。
「お、アーテム。いらっしゃい」
大切に箱に仕舞った『雨久花』を担いで向かった先でアーテムを出迎えたのは、楽器屋兼貸作業室屋を営んでいるバリアルタの店主、マリン=マーティン。彼女もまた六弦弾きの歌唱士であり、アーテムにとっては師匠のような存在でもある。
「こんにちはー。今日はー、作業室、空いてますー……?」
「空いてる空いてる、好きに使っていいよ。そういえば今日は珍しく弓弦が入ったんだけど、弾いてく?」
「えっ弾きたいー……、あー、でもぉ……、今日はこの子のために時間使ってー、整備してあげたい……、最近ー、めちゃくちゃー、頑張ってくれててー……」
「お、了解。新しい弦だね、じゃあ」
「あとー、爪もー」
「はいはい。爪も色々入ったから好きなの試してごらん」
マリンが棚から取り出してくれた弦と爪、そして作業室の鍵を受け取って、アーテムは使い慣れた作業室へと入る。どんなに疲れていても日々の整備は怠らないが、やはり非番の日ともなれば気合を入れて整備をしてあげたい。箱から取り出した『雨久花』を撫でて、早速整備に取り掛かる。弦を外し、細部まで丁寧に拭きあげて、油を塗り足して、新しい弦に取り換える。ひとつひとつ丁寧に、傷をつけないように。
「いつもー、ありがとうねえ」
どれだけ綺麗に磨いても、流石にもう新品同然とはいかない。それでもできる限りのことをして、長く一緒に居たいと思う。それだけの愛着があるからこそ、名前まで付けて可愛がっているのだから。
アーテムが演奏出来る楽器は多岐に渡る。昔から楽器を触るのは好きだったからか、それとも人と話すよりも楽器を奏でている方が気楽だったからか。抑止庁の職員に憧れていなければ、ひたすら楽器を触れる仕事に就いていただろうと思う。
その道を選ばなかったことを、後悔した日はあまりにも多いけれど。
「……よしっ」
綺麗に整備出来たことを確かめて、今度は何枚か渡された爪を適当に手に取り、ひとつずつ試し弾き。そのうち楽しくなってきて、演奏に熱が入るのもいつものこと。
どれくらいそうしていただろう。一通り試奏を終えて、アーテムは額に浮いた汗を拭う。それからまた丁寧に『雨久花』を背に担いで作業室を出れば、気付いたマリンがよ、と手を上げた。
「今日はおしまい? 爪、どうだった?」
「これ! この爪がー、いい! 音がー、好き!」
「はいはい。じゃあ用意するよ」
提示された金額を支払って、今日の非番は更けていく。良い休日が過ごせたなあ、とにこにこと口許が緩むアーテムに、マリンが笑って。
「……仕事、頑張れそ?」
「うー……辞めたいときも、やっぱりー、めちゃくちゃ、あるけどー……」
――がんばるって、約束したから。
小さく紡がれたその言葉に、そっか、と頷いて、マリンはよしよしとアーテムの頭を撫でたのだった。