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21 氷音と疑問
アーテムが魔術犯罪抑止庁に入庁する前、ザラマンドを騒がせた事件がひとつ。連続四肢欠損事件――共通する証言は「小型犬に噛まれたと思ったら、痛みも出血もなく、噛まれた部位が取れるように落ちた。驚いている間に、犬がその部位を咥えて走っていってしまった。その後突然激痛に襲われた」というものである。被害者は男女問わず圧倒的にノスタリアが多く、次いでバリアルタ。理由があるのか、ジェニアトの被害報告は存在しなかった。事件のあった当時、ノスタリアであるアーテムとしてはなるべく一人で行動しないよう、人目のない場所に行かないよう、かなり細心の注意を払っていた。だから、その事件のことはよく覚えている。いつの間にか被害の話を聞かなくなり、しかし犯人が逮捕されたという報道もないまま、別の大きな事件が起きて、その事件は世間から忘れ去られていった。
――そう。被害の話を聞かなくなったのは、アーテムが抑止庁に入庁する、ほんの少し前だったのだ。
「……」
「……人の顔まじまじ見てなーに、アーテム? 変なの」
「やー……ちょっとぉ……気になることがあってぇ……」
「?」
きょとん、と目の前のフィオレが首を傾げる。所属している部隊は違うものの、フィオレは同期の人間だ。だがしかし、入庁日には若干のズレがある、とアーテムは思っている。書類上は同日だが、話が微妙に噛み合わないことがあるのだ。入庁日より前に抑止庁で起きた出来事を知っていたり、任務に参加していたのではないかと思えるような発言があったり。何より、フィオレは三等戦闘官でありながら、班行動を主とする抑止庁において単独行動が許されている。もっとも、それは単独行動を主としているランドルフの直属の部下として配属されているから、という理由もあるだろう。
フィオレは『就職組』である。その筈だ。本当にそうであれば、間違いなくアーテムと同期である筈なのだ。しかし、会話が噛み合わない。試験を受けて入ったのではなく、誰か――例えばそれこそ彼女が所属している遊撃部隊の隊長の推薦等による登用という扱いの『就職組』の可能性はある。そうだと仮定した場合、何故、何処で彼女は目を付けられ、抑止庁の職員に登用されたのだろうか。
取り留めもなくそんなことを考えている際に、不意に頭に浮かんだのがその事件のことだった。アーテムはフィオレ自身に、彼女の輪廻士としての能力の詳細を聞いたことはない。戦闘訓練では犬に変異し、火属性の魔術を操っていることは知っている。持ち前の小柄さと俊敏さで戦況を攪乱している姿は見事だが、見出されて登用されているとするのであれば物足りない、という印象は否めない。だがしかし、それが対外的な偽装なのだとしたら。
犬に変異する輪廻士など、他にも多くいる。分かっている。しかし、入庁の時期や彼女の待遇の謎を考えると、それが一番自然な答えのような気がしてしまうのだ。
その能力を秘匿することで、有用性が上がると考えられているのなら。本当は彼女は、『就職組』ではなく『懲役組』である可能性もあるのではないだろうか。
「怖い顔してるよー?」
「……はっ」
「気になることってなあに? 私のこと? ごめーん、アーテムは私の好みじゃないっ」
「好みって言われてもー、それは困るぅ……。いやそうじゃなくてぇ……前さあ……連続四肢欠損事件あったじゃん……? そういえばあれどうなったのかなあってー、急に思い出してぇ……」
「ん? ……あ! あったねえそんなこと。あれでもノスタリアとバリアルタが襲われてたし、私はあんま気にしてなかったな。アーテムはノスタリアだもんね、やっぱ気にしてた?」
「うん、まあ……あれってー、犯人捕まったのかなー……知らない間にぃ、落ち着いたなあと思ってー……」
「ん-、そうだね。事件の担当してた部隊ってどこなんだろ。聞いたら教えてくれそうだけど。ほら、初動部隊隊長とか?」
「あー、そっか……」
フィオレの反応は至って普通で、よくある世間話だ。ああ、だからきっと、これは思い過ごしだ。考えすぎだ。何より部隊が違うのだから、一緒に仕事をしたことがあるわけでもないのだから、手の内を知っているわけではないのだから。きっとフィオレには、アーテムの知らない理由はあるが――きっと、それは『それ』ではない。
ふう、と息を吐いて、アーテムは頭の中の考えを追い出したのだった。