Re;Tri ― Ruler

16 番犬と氷音

 アーテム=クルーグハルトは歌唱士ではあるが、彼が歌っている姿を見たことがある者は抑止庁ルーラー内に殆どいない。その魔術は緻密な六弦の制御と共に、悲鳴や叫び声によって構築されているからである。

「いやー……別にい……歌えないって訳じゃあ、ないんだよー……?」
「じゃあ何で謳わないの?」
「そもそもー、歌えるようなー、状況じゃなくないー……?」

 昼下がり。食堂でアーテムと出会ったフィオレは、常日頃から抱いていた疑問をアーテムにぶつけた。曲者揃いの『懲役組』が多数を占めている強襲部ツヴァイ隊の中で、アーテムは非常に数少ない『就職組』一応同じく『就職組』として扱われてはいるものの実際はそうではないフィオレとしては、アーテムが何をそこまで怯えているのかがよく分からない。きょとんとして首を傾げると、アーテムからは深い溜め息が返ってきた。
 充分すぎるほどにアーテムは『可愛がられて』いる。別段怯える必要はないだろう――もっとも、調子に乗らない方がいいのは確かだが。アーテムさえその気になれば相当な実力をつけることができる環境は整っているし、それだけの技術も持っているというのに、勿体ない、とフィオレは思う。輪廻士であるフィオレは然程歌唱士のことについては詳しくないが、彼が得意としている六弦の歌唱補助機器は扱いが難しい部類に入るということぐらいは知っている。微に入り細を穿つ非常に繊細な演奏をするアーテムのその技術力の高さは評価されて然るべきで、ひとたび戦闘となればぴーきゃー騒いで逃げ回っているアーテムが落ち着いて歌を紡ぐようになれば、それはかなりの脅威となるのは明白だ。
 だからこそフィオレの上司であるランドルフは別部隊の人間だというのにアーテムに一目置いているのだろうし、潜在能力があるからこそ可愛がられている一面もあるのだろう、とフィオレは勝手に思っている。実際「反応が面白い」「『懲役組』には欠けている部分」というところが多分にあるのも確かなのだろうが。

「歌えばいいのにー。あ、普段は歌うの?」
「休みの日とかはー、六弦の練習しながらー……?」
「じゃあ今度私と個人的に特訓しよ! 歌って歌って!」
「フィオレと特訓とかやだよー……フィオレぇ……動き早すぎてぇ……無理ぃ……」
「じゃあ私にキャロル先輩を添えて」
「なあんでそんな緊張すること言うのお!?」
「あ、緊張するんだ」

 良かれと思ったものの、逆効果になるらしい。あああ、とうめき声を上げて机に突っ伏してしまったアーテムに苦笑いして、フィオレは茉莉花茶に口を衝ける。実際のところアーテムが強かろうと弱かろうと別部隊所属であるフィオレにはそれほど関係はないし、歌っていなくとも今のアーテムが充分厄介なことに変わりはないのだ。
 鉄壁の、炎さえ防ぐ氷の壁を創ることができる技術。今以上に強固なものが創り出せる可能性があるというのは、やはり驚異的だ。それは妨害魔術ノイズでありながら防御魔術ポップスも兼ねてしまっている。或いは本人が妨害魔術ノイズだと思い込んでいるだけで、本質的には防御魔術ポップス
なのかもしれない。色々と聞き出したいところではあるのだが、さて。

「はー……午後から巡回……もう嫌だ辞めたいぃ……」
「がんばれ補助官、キャロル先輩が部隊を持つ気になってくれるその日まで」
「うっ……そうー……ほんとそれー……」