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07 賢母と相談
盤面のない懐中時計に螺旋状に絡みつく、数多の数字。初動部隊の隊章であるそれは、隊長である一等補助官シトリア=シトロスが演算士であることと、彼女と常に共にある機械精霊からきていると言われている。現在の隊長格の半数以上が入庁する頃には彼女はすでに現在の地位で勤務しており、新人の面倒を見ることが多い部隊の特徴も相俟って、親愛と敬意、そして畏怖を込めて『母』と呼ばれることも多い。彼女の二つ名として浸透している『賢母』という名称も、おおよそその辺りの事情からだ。
「たすけておかーさん」
「私はこんなに出来の悪い息子ばっかりいらないんだけどねえ。どうしたんだい」
「異動したいっす……」
「私に言っても部隊が違うからねえ、そこはどうにもしてあげられないよ」
「そこを何とかあ……」
シトリアの執務室でぐったりとしている青年は、諜報部隊の三等補助官、ユークリア=インタレストである。それなりに頑張ってはいるが、恐らくまだ隊長であるヘレシィには名前を覚えてもらえてはいないだろう、というのはシトリアの見立てだ。新人に対して求める水準があまりにも高すぎるのはいかがなものかと思ってはいるが、実際のところ諜報部隊が行う職務の特性を考えれば、それなりの水準が必要であることは自明だ。上手く特性を伸ばしてあげられるような新人教育をする余裕のある部隊はそう多くない。
「そもそも異動届はもう書いたのかい?」
「……いや、何かこわくて……」
「ヘレシィがかい? ……どこが?」
「そこはおかーさんには分からないあれぇ……一応考えてくれてありがとうございますぅ……」
「ヘレシィなんて両頬抓って思い切り引っ張ってやれば良いんだよ」
「新人が隊長にそんなことできるわけなくないです!? そもそも実力的にもちょっと!?」
「寧ろそれができれば一目置かれると思うけどね」
ニーナがやったことある筈だよ、と続いたシトリアの言葉に、ユークリアは思い切り首を横に振る。諜報部隊の二等戦闘官、ニーナ=レンフィールド。明朗快活な人柄で、彼女が任されている班は非常に士気が高いとの噂も聞いている。そんな彼女もかつては三等の新人だった――諜報部隊での新人の扱いに激昂した彼女が隊長に掴みかかっていった話は目撃者がいなかったこともあり、流石に噂になることもなく内々に処理されている。本当は平手打ちしてやろうと思ったけれどそれは問題になる可能性があることと私怨を買いたくないから我慢した、というのはシトリアが彼女自身から聞いた話だ。
確かな実力と、物怖じすることのない性格と、感情が高ぶっていても冷静な判断をすることが出来る。どんな方法であれ彼女は自分をそういう人間だと提示することが出来たからこそ、異例とも言える速さで二等戦闘官へと昇進し、今の地位を確立している。
「そもそもねえ、ユークリア。アンタの場合は異動届を出せば即受理される可能性が高いだろう? 辞めたくないから異動届が書けないんだよ。問題の本質をすり替えるようなことをしちゃあいけないね。まあ諜報の新人の扱いが手酷いのは事実だけれど」
「う……」
「ごちゃごちゃ言う前に出来るだけちゃんとやりなさい。一応適性があると判断されてるから配属されてるんだしね」
「はあい……」
しょんぼりと肩を落とすユークリアに、シトリアは笑いながら口を開こうとし――直後、扉が叩かれることもなく急にばん、と開かれて。
「シトリアたいちょーちょっと聞いて!」
「今日は何なんだいうちは育児相談所でも託児所でもないんだけども……?」