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神僕engage

13

 大学合格の報告に来たのだが、このところ終宵が現れない。

「……どうしたのかなあ」

 終宵という存在が新しい代理となってから、神使である有明と黎明の姿は見なくなった。話を聞くには二人とも存在はしている筈なのだが、どうにも熾葵を避けているとしか思えない。話を聞きたくても熾葵から呼び出すことはできないので、どうにもできない。一応参拝では報告したのだが、直接会って話がしたかった――そこにいる『終宵』が、熾葵の知っている『終宵』ではないことは分かっていても。
 初めての大きな年始の初詣、随分と疲れていそうな雰囲気ではあったので、そのまま今は少し眠っているのかもしれない。代理とはいえ神様だ、ただの人間の熾葵が心配しても仕方がないことは分かっている。そのうちまたひょっこり姿を現すだろう。この目がまだ暁天神社に、終宵に連なる者のみの「見えないもの」を映す状態が生きているのなら。
 なかなか終宵が出てこないとはいえ、暁天神社に通うことは熾葵にとって中学時代からの習慣だ。受験を控えていた中学3年生と昨年は随分と足を運ぶ回数を減らすことにはなったが、毎日行く必要がなくなっても時間が空くとふらりと訪れる癖がついている。願いを叶えてもらうために通っていた期間の間に宮司や社務所で働く人たちにも気に掛けてもらえるようになって、そうしていろいろな話をするようになったお陰で高校での3年間は楽しく過ごすこともできた。宮司から大学生になったら繁忙期に単発でもいいからバイトしないかと誘われているので、それもいいかもしれないと考えている。
 少しでも、恩返しができるかもしれない。
 視界がクリアになって、「見えないもの」は「見えないもの」になって、熾葵の世界は変わった。人と話すことが怖くなくなって、高校では友人もそれなりにできた。中学時代のことを知る人間がいないわけではないが、中二病だったんだよ、なんて言って誤魔化して、今やそんなことをいちいち言うような人間もいなくなった。そういう生活が送れるようになったのは前の終宵の本人曰く「気まぐれ」のお陰なので、何かしらこの神社に恩返しができるなら。それほど大きな神社ではないが、それでも休日に参拝客はそれなりにいるものだ。
 そんなことを考えながら、今日の参拝を終えて。社務所は開いているが奥にいるようで表に誰もいなかったので、そのまま熾葵は暁天神社を出た。通っていればそのうちひょっこり現れるだろう。神社から駅までの通い慣れた道を歩きながら――ふと足が止まってしまったのは。
 前方から歩いてくる、スーツ姿の男。何のことはないただの通行人である筈なのに、急に心臓がばくんと音を立てる。目を伏せてマフラーに口元を埋めているその男の顔は見えない。
 すれ違うだけの知らない人間の筈なのに、自然と口が開いた。

「……終宵?」

 熾葵の声に反応したのか、男が顔を上げる。驚いたように丸く見開かれた瞳、その顔はやはり見覚えのない人間である筈なのに。しんと時間が止まって、そのまま男の表情が柔和に微笑む。
 ――その表情に間違いない、と確信した。この男は、『終宵』だ。

「僕が先に声掛けようと思ってたのに。気付いちゃう辺りやっぱり勘がいいな、熾葵」
「……待って、ほんとに、なんで、」
「あれ? 今の終宵代理から聞いてない? 僕、今の代理と入れ替わったからさ。僕は神様代理から人間になったの」

 言いながら、男は歩いてきた。熾葵の目の前まで歩いてきた男の顔を、自然と見上げる形になる。どれもこれも見知った『終宵』ではない筈なのに、ごく自然に受け入れられる。
 暁天神社に通い始めて約5年、その時間のほとんどを一緒に過ごした相手だ。聞こえる声は違っても、話し方が、作る表情が、そこにある感情が、確かに。

「……どうして……」
「僕が、熾葵と一緒に生きてみたいなって思ったから」
「……ばかなの?」
「馬鹿かも。入れ替わってからまあ生活整えるのすっごい大変だったー。熾葵に会いに行くのもすぐには行けなかったし」
「そうじゃなくて」
「分かってる。ごめんね熾葵、急にいなくなって」

 ふわりと頭に手が触れて。そのまま撫でられると同時、ぼろりと涙が零れた。


 日高 紘孝。
 それが新たな「終宵」の名前だと聞いてから熾葵にとってその名前が馴染むまで、それほど時間は掛からなかった。連絡先を交換して、二人の都合が合う日に約束して会う回数は徐々に増えていく。元より知らない仲ではないことも手伝って、熾葵が大学に入学する頃にはごく自然な成り行きで恋人関係になっていた。

「紘孝は私とこうなりたくて人間になったの?」
「言ったじゃん。熾葵と生きていきたかったんだって」
「愛が重い」
「そういうこと言う?」

 眉を下げて困ったような顔をする紘孝に笑みを返しながら。しかしこんなに幸せでいいのだろうか、とふと不安が胸を過る。
 紘孝と会うようになってからも、熾葵は何度も暁天神社に足を運んでいる。だがしかし、今のところ終宵にも、そして有明や黎明にも会えていない。そして会ったところで、今の終宵に紘孝のことを言っていいのかどうかも分からない。あなたと入れ替わった神様と今一緒にいます――ということを伝えてもいいのかどうか。それに終宵がどんな反応をするかも分からないので、会えないことにほっとしている自分もいる。

「……ねえ、」
「ん?」
「……紘孝は、行かないの? 神社」
「何で?」
「何となく……」

 理由を聞かれても、それが正しいかどうかも分からないのでうまく答えが返せない。
 終宵という存在が暁天神社から出ることができないことは知っている。いつもまたね、と手を振ってくれるのは鳥居までだった。紘孝がどれくらいの期間「終宵」であったのかは本人が覚えていない、と言っていたので分からないが、ずっとあの神社にいたのであればもう行きたくない、と思っていても何ら不思議ではないのだが。

「あ、そうだ。巫女のバイトすることになったんだ」
「神社で?」
「そう。土日とか年末とか、ちょこちょこ忙しいときのお手伝い程度だけど」
「いいじゃん。熾葵、巫女服似合いそうだし」
「そうかな」
「うん」

 穏やかに笑む紘孝に反対する気はないようで、そのことには少しほっとする。しかし冗談でもじゃあ行こうかな、という言葉は紘孝から出そうにない。これ以上何を言っていいのか分からずに、熾葵は紘孝から目を逸らした。ん、と紘孝が首を傾げたのは見えたものの、これ以上行くかどうかの話題を続けても仕方がない。どちらにしろ、これからも熾葵は時間があれば暁天神社に通うのは変わらないのだ。気が向けば紘孝が暁天神社に行く日も来るだろう。
 あの神社は小さな神社だ。繁忙期はあるが、それほど手伝いを必要とされる日数は多くないだろう。大学生活が落ち着いたら他にもバイトを探す必要はある。神社に通う時間と紘孝と過ごす時間を確保できるバイト、というのは難しいかもしれないが、そのうち上手く生活リズムもできてくるだろう。

「……熾葵」
「ん?」
「今、しあわせ?」
「……うん、幸せ」

 心のよりどころになる場所がある。見える力を喪って普通に過ごせるようになって、もう長い。そして熾葵のことをよく分かってくれる恋人ができた。これ以上望むものがあるだろうかと考えてしまうくらいには。

「よかった。……僕ももっと頑張らないとな。熾葵との今後のためにも」
「なあにそれ」
「遠回しにプロポーズ」
「気が早くない?」
「だって僕は熾葵のこと一生手放す気がないし」
「愛が重い」
「やっぱり?」

 あはは、と二人で笑い合って。ちり、と胸を焼いた「何か」の感情には気付かないふりをして、蓋をした。

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