神僕engage

12

 天賀谷 熾葵は数年前まで、「見えないものが見える」人間だった。
 生きている者とそうではない者の見分けがつかない。他の人に見えているのか見えていないのかも分からない。親は何とか理解しようとしてくれていたし、子供のころの一過性の「そういう空想」だろうという判断をされていた。熾葵は次第にそのことに気付いて、自分が見えているものに関して口を開かないようになった。確実に「他の人にも見えている」ものだけに焦点を絞って話すようになると、その空想は終わったと両親も判断したのだろう、いつの頃からか話題にも上らなくなったがしかし、熾葵にはいつも人には見えないものが見え続けていた。

「……もうやだ、しんどい……」

 精神的に限界に陥ったのは中学生の頃。気を付けていた筈が知らぬ間に「見えないもの」と話していたところを同級生に見られて、「変な子」と遠巻きに見られるようになった。それまで仲良くしていた筈の友人だった人間さえ離れていった。思い返してみたらあの子よく一人で喋ってたよね、最初の頃話し掛けても無視されてたよね。いじめとまではいかなかったが、周囲が皆よそよそしい雰囲気になってしまったのは、彼女にとって酷く疲弊するものだった。
 ――見たくて見てるわけじゃないのに。
 ――見なくて済むなら見たくないのに。
 熾葵にとってはどちらも普通に見えるもので、故に「他の人に見えないもの」を選別して声を掛けない、話さないということもストレスだった。話し掛けてくる相手が「どちら」なのかが分からず、声を掛けられてもすぐに返答できないことも多かった。どれだけ気をつけていても無駄なのだということを思い知った。
 暗く沈んだ気持ちの中、ふらふらと歩いた先。ふと神社を見つけて、気がつけば何かに引き込まれるように熾葵はその石段を上っていた。

「……暁天神社、」

 石段を上った先、石碑に書かれたその名を口にする。静かな場所だな、とぼんやり思いながら熾葵は歩を進めた。目に入った手水舎で手を清めて本殿の前に立って、ふと気づいて鞄を漁る。取り出した財布から小銭を賽銭箱に入れて、目を閉じて手を合わせ。

(――こんな目、なくなってしまいますように)
「へえ、いらないの?」
「……!?」

 それは突然の声掛けだった。人の姿はなかったはずだと目を開けば、本殿に腰掛けている一人の男が目に入った。見た瞬間にそれは「見えない側」だということが分かる。人の姿をしているが、人ではない。何よりこの男は、今、熾葵が心で願った言葉に反応した。
 よ、と軽い動作で立ち上がった男は、そのまま賽銭箱越しに熾葵の顔を覗き込む。思わず後退りした熾葵に、男はにこりと笑んだ。

「それ、僕が叶えてあげてもいいよ」
「……は?」
「見守るのが仕事って言いつけられてるから、普段は基本人のお願い事聞かないんだけど。アンタ死にそうな顔してるし。よっぽどその目で困ってるんだろ」
「……いや、だれ、なに……?」
「あ、僕? 僕は終宵。ここの神様、みたいなもん」
「かみさま?」

 反復した熾葵に、そう、と男――終宵は頷く。何を言われているのか分からない。
 熾葵は今までそれなりに神社にも足を運んでいる。だがしかし、「神様」と呼ばれる存在を見掛けたことは今まで一度もない。奥深くから見守っているのか、溶け込んでしまっていて分からないのか、それともそもそもいないのか、熾葵にも見えないものなのか。どうなのかは分からないが、こうして直接声を掛けられたのは初めてだ。

「……いや、アンタが神様だっていう証拠は……?」
「あっはっは、めっちゃ疑う! 分かるけど。証明する手段がないなー。どこぞの幽霊が神様名乗ってる可能性だってあるもんな」
「……」
「そんな冷たい目で見られたら傷ついちゃうな。僕の話し相手になってくれるなら、君の望む通りにその視界を他に合わせてあげる。でも見えないようになったら君が来なくなっちゃうかもしれないから、ひとまず半年くらいは僕のこと構ってほしい」
「ただの構ってちゃんじゃないのそれ」
「でも――今の君には分かってくれる話し相手が必要でしょ、天賀谷 熾葵」

 にこやかに、しかしはっきりと終宵は名乗っていない熾葵の名を呼んで。
 それが、熾葵と終宵の縁の始まりだった。