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21
「……あーうーあああああ……」
「……きょ、恭ちゃんだいじょうぶ……?」
「大丈夫じゃなーい……」
恭を相棒にすることを白紙にする。
そう話した後帰っていった律を見送って、脱力する。律が納得する結果、というものが何なのかさっぱり分からない。どうすればいいというのか。
守られてばかりなのは本当にその通りだ、と自分でも思う。今回の件に関しては、恭は本当に何もできなかった。皆に助けられてばかりで、自力でどうにかできたことなど何ひとつなかった。
倒れて、その度にたまたま誰かが助けてくれただけ。挙句に命を落とすことにもなって、玲にまで会ってしまった。それでも助けてもらえて、今、ぎりぎり生きている。いつもそう上手くはいかない、今回はたまたまラッキーだっただけだと考えるべきだろう。確かにそんな状況で、今の自分が律の相棒など務まらない。助けたいはずなのに、助けられてばかりいる。
律と過ごすようになった高校生の頃から、何の躊躇もなくいつかは律と一緒に仕事をする人間になるのだと決めていた。それ以外の道など考えたこともなかったし、これからもそれは変わらない。実現するために必要なことは、何なのか。
「ゆりっぺは」
「ん?」
「今お医者さん目指してんだっけ。小夜ちゃんとか琴葉センセに医学部に行ってるって話は聞いてたんだけど」
「……琴葉ちゃんもさよのんもお喋りだなー」
「俺が気にしてたから教えてくれたんだよ」
「お医者さんになるって決めたわけじゃないんだけどね。病院は、本当にお世話になったから……何か恩返しできることないかなって、探してる最中」
「そっか。すごいなあ、ゆりっぺ」
「……すごくないよ、憂凛は何もすごくないの。ずっと逃げてた。恭ちゃんに二度と会わないって決めたときから、ずっと。自分からも恭ちゃんからも。勉強に逃げたって感じかな。他のこと、何も考えずにいられたから」
「……そんなこと、」
「ごめんね、恭ちゃん。恭ちゃんは憂凛に向き合ってくれようとしてたのに、逃げ出しちゃって、ごめんなさい」
唇を噛み締めて、恭に頭を下げる憂凛に言える言葉が何もない。何を言えばいいのかも分からない。
逃げていたというなら、恭とて同じだ。会おうと思えばいつでも会えたはずだ。家も学校も知っていた、憂凛がよく行く店や好きな場所も知っている。それでも一切近づかないようにしたのは、恭自身も怖かったからだ。
会うことでまた憂凛を泣かせてしまうのが、嫌だった。
そのせいで、憂凛のことを忘れさせられても気付かなかった。ずっと心のどこかで元気にしているだろうか、大丈夫だろうかと考えていた筈だったのに。響の術を引き金にして、憂凛のことを完全に忘れてしまっていた。
けれどきっと、本当は忘れたくなどなかったのだろうとも思う。だからこそ、頭が割れそうなほど痛むことになっても、憂凛を思い出そうと必死になれたのだと、そう思いたい。
「……あのさ、ゆりっぺ」
「……はい」
「ごめんなさい、じゃなくてー……えーっと。もう会わないとかそういうのナシにしよ。俺、ゆりっぺに一緒に居て欲しい」
「っ……一緒に居たら憂凛、また恭ちゃんのこと怪我させちゃうかもしれないよ、殺しちゃうかもしれないんだよ」
「いいよ別に」
「良くないでしょ!」
「いい。今度は頑張って怪我しないようにするし殺されないようにするし、大体ゆりっぺが『彼方』になっちゃったりしないように俺頑張るし! ……それに、それができなきゃ俺、結局律さんの相棒になるの白紙にされたまんまになるだろうし」
「……う……それもあって茅嶋さん、ああ言ってくれたのかな……」
「んー……どうだろ、意外とあのひとってそこまで考えてないときもあるし」
律がそういうつもりではないことは、何となく分かる。恐らく恭の傍に憂凛がいることができるように、きちんと言葉にして伝えてくれたのだろう。それに律はきっと覚えている、あの高校2年生の冬の日のことを。憂凛と会った最後の日、ずたぼろに泣き崩れる恭の姿を。
きっとずっと気を遣ってくれていたのだろう。思い返せば律は一度も、恭に何も聞かなかった。憂凛とどうなったのか、そして同時期にいなくなった『アリス』のことも。恭が律の仕事に首を突っ込むことをまだ嫌がっていた時期でさえ、一度も。
一体どれほど律に心配を掛けていたのだろうか。めんどくさがりな性格をしながらも、律は面倒見がいい。それに甘えていたと言われても仕方ない。
「……憂凛、ほんとに、恭ちゃんと一緒に居ていいの?」
「いいの。てか俺にとってゆりっぺって多分すっげー特別だよ」
「……たぶん?」
「うん。……だってさ、ゆりっぺが初めて言ってくれたし認めてくれた。俺を『ヒーロー』だって、言ってくれた。ずっと何でこんな力持ってんだろーって謎だった俺の『ヒーロー』っていう訳分かんない力に、ゆりっぺは理由をくれた人だから」
どうして『ヒーロー』などという力を持っているのか。確かに玲は『ウィザード』ではあったが、両親は一般人で、祖父母もそうだ。
恭も、そして玲も、きっかけは定かではないがたまたま『此方』の力を持っていた。玲に使うなと厳命されて使っていなかった力を使うことになったのは、玲が死んだ理由を知りたかったからだった。その中で律の力になりたいと思うようになって――けれど、自分がどうして『ヒーロー』なのかは分からないままだった。
あんな状況ではあったものの、憂凛は恭に『ヒーロー』でいるための理由をくれた。『ヒーロー』でいてもいいのだと、自信をくれた。だから恭は今でも戦えている。
あの言葉は、どんな理由よりもずっと、恭のことを支えている。
「だからゆりっぺ。……あのさ、俺この歳になってもやっぱ誰かが好きとか、恋人になりたいとか、そういうのよくわっかんねえけど」
「……うん」
「何て言えばいいのかな……えっと、ゆりっぺが俺のこと好きだって言ってくれたの、ほんっとに嬉しかった。嬉しかったし、えっと……会わないって言われたの、ほんっとにかなりきつかった」
「……ごめんなさい」
「あ、違う! 謝って欲しいんじゃねーの! えーっとえーっと」
「恭ちゃん、あの、……憂凛自惚れるよ?」
「うぬぼれる?」
「……もう、ほんっと! 天然お馬鹿さん恭ちゃん! その気がないって言われたってもう知らないもん絶対責任取らせるからね!」
「えっ? えっ?」
どうして怒られているのか分からずに戸惑う恭に、憂凛は笑う。涙の跡が残る顔で、けれど柔らかく、笑う。
「高校2年のあの冬から、やっと進める気がする」
「……ゆりっぺ」
「ありがとう、恭ちゃん。……大好きだよ」
呟くように、小さな声で言った憂凛がはにかんで。じんわり、胸に広がるこの気持ちの正体は。
『恭ー! 無事かー!?』
「……わー元気だねえぶんちゃん。オハヨ」
『あのカードせっまいねん! 死ぬか思たわ!』
琴葉のところに顔を出してくるという憂凛を見送った後。荷物の中にノートパソコンがあったおかげで、何とかmicroSDから『分体』が復活した。復活早々賑やかで、いつもの日常に帰ってきた気がする。
あれこれと聞きたがる『分体』にうるさいな、と文句を言っていると、がらりと病室の扉が開いて。誰が来たのかと思えば、そこにいたのは。
「……松崎先輩」
「おう」
『松崎! 生きてたんか!』
「勝手に殺すな」
呆れた表情で応じながら、渚は病室に入って扉を閉めると、そのまま恭の隣に腰掛ける。んじゃ後でな、とノートパソコンの画面から『分体』が消えて、恭はノートパソコンを閉じる。渚の方に視線を移せば、黒縁眼鏡の奥、冷たい色を湛えた瞳がじっと恭を見る。
「……松崎先輩も病院送りって律さんに聞いたんすけど、元気そうっすね」
「あ? あー……まあお前に比べりゃ、っつか俺は根本的に皆に手加減されてたからな……」
「?」
「気にすんな、ちょっと怪我した程度だよ。……お前は大丈夫なのか」
「腹痛くて動くのちょー辛くて多分歩くと死にそうになると思うっすけど、まあ、大丈夫っす」
「それ大丈夫って言うのかよ……」
眉を寄せる渚に、恭は肩を竦める。理由も分からないまま歩けなかったことを考えると、それよりは大丈夫だ、と恭自身は思っている。腹部に穴があいていたのだから、すぐに動くことができないのは当然なので。そっか、と小さく呟いた渚は、それきり黙ってしまう。
しんと落ちる静寂が気持ち悪い。何とか話題はないかと考えて、あ、と思い出す。
「そういや松崎先輩の探してる人って誰だったんすか?」
「あ? お前馬鹿の癖にんなこと覚えてるんじゃねーよ」
「いや、ずっと気になってて……つか何でひびちゃんとあの巫女さんと一緒に動いてたんすか」
「若宮な。まあ、色々あってな。お前には関係ねえよ」
「うー……ひびちゃんたちってどうなったか、松崎先輩は知ってます? 律さん、何も教えてくれなくて」
「さあな、俺は詳しいことは何も。この病院にも乙仲も若宮も居ねえし。大方鴉が噛んでたからアイツが何かしらしてんだろ」
「からす? ……鴉って」
「お前もリノのこと知ってんだろうが。アイツ帰ってきてんだよ」
「おお!?」
「ま、何処行ったか知らねえけど」
「えーと、じゃあ小夜ちゃんは」
「……聞いてないのか。アイツは意識不明の重体だよ」
「……へ?」
小夜乃が意識不明。何がどうなってそうなっているのかが、何も分からない。
どういうことだ、と思った感情のまま思わず飛び起きて、腹部に走った激痛に蹲る。馬鹿、と呆れた渚の声に、反論する声が出ない。諦めてもう一度ベッドに身を倒しながら、知らず溜め息が出てしまう。――ままならない。
「琴葉先生がついてる。何がどうなってそうなったのかまでは俺は知らない。……つか茅嶋さんなら知ってるだろうし聞けばいいじゃねえかよ」
「聞けなかったってのもあるんすけど、教えてくんなかったんすよ……」
「何で。何かあったのか?」
「いや多分それは律さんがめんどくさくて眠かっただけなんすけど……俺律さんの相棒になるの白紙にされたっす……」
「ああ?」
意味が分からない、とでも言いたげな表情になった渚は、少し考えた後に急に納得したようにああ、と呟く。何が分かったのかが分からない。分かるのであれば教えてほしい――これからどうするべきなのか。
しかし、それは聞くべきことではないだろうということも分かる。恭自身が考えなければならないこと。恐らく、これは頼るべきことではない。
「……っと。本題を忘れるとこだった」
「何すか?」
「悪いんだけど憂凛のこと頼むな」
「……松崎先輩?」
ぞくり。背筋に嫌な気配が走る。渚の表情は真剣そのもので、それでいてどこかすっきりしているようにも見えて。
これはきっと、駄目なものだ。頭の中で警鐘が鳴り響く。渚は今、何を考えているのか。
「まああの馬鹿狐には心配しなくてもなかなか最強の布陣が周囲固めてっけど」
「何の心配してるんすか」
「万が一の心配だよ」
「万が一って」
「俺はもうアイツの傍には居てやれねえから、誰かに託しておかねえとな」
「……何で」
「『人探し』のせい、ってことにしとく」
少しだけ、困ったように渚は笑う。
――どうして今、そんなことを言うのか。そもそも渚は本当に、何が目的で動いていたのか。
きっと何を聞いても、渚は口を割らないだろう。しかし知らなければならない。渚が探していた人。どうして探しているのか。渚は一体、何のために。
「……せんぱい、」
「俺はお前のことは嫌いだけど、信用はしてる。だから、頼んだ。……二度とアイツのこと堕とすなよ」
「何で俺にそんなこと言うんすか」
「柳川、お前は誰のこと信じる?」
「信じる?」
「誰が敵か味方か分からない状況で、お前は知り合い全員信じるか?」
信じる、と返しかけて、言葉が止まる。
信じたい。しかし、恭を『殺した』のは響だった。恭にとっては友人でも、響にとっては恭は友人ではなかった。裏切られたということは、分かっている。
ふと思い出したのは、玲の言葉だ。玲は恭に言っていた――恭を利用したい者は多いのだと。だから、自分の味方は見抜かなければならない。確かにそう伝えられた。
それが一体どういう意味なのか、今の恭には全く分からない。恭自身としては、利用したところで何かできる人間ではないだろうとも思ってしまう。
「……俺が絶対、100%信じるのは、律さんのことで」
「うん」
「ぶんちゃんも、アリスちゃんも……ゆりっぺのことも松崎先輩のことも、あとるっきーとかくろちゃんとかセンセーたちとかなかみーとか、あとえっと琴葉先生と小夜ちゃんとあと」
「ああもううっせえめんどくせえ、誰が羅列しろっつったよ分かった分かった」
「……俺、基本的には皆信じたいっすよ。疑って付き合うの、寂しいじゃないすか」
疑いたくない。信じていたい。こうなてしまった今だって、恭はどこかで響のことを信じていたいと思ってしまう。
馬鹿だと言われても、その結果酷い目に遭うことになったとしても。それでも人を疑いながら生きるなど、恭には考えられない。
自分が好きな人たちのことを信じたい。だから信じている。恭にとっては、それだけだ。
「……ほんっと、お前馬鹿だよな」
呆れたように、渚が笑う。言い返せずに目を逸らせば、ふ、と小さな笑い声。
「ま、柳川はそれでいいんだろうな。……多分それってお前の最大の弱点だけど、最大の武器だろうし」
「……先輩」
「だから茅嶋さんの隣に居ても許されるんだろうしな。……ああ、今は白紙撤回か」
「うっ……いや、俺絶対律さんの相棒になってみせるっすよ……!」
「おう。まあ頑張れ」
そう言って、渚は立ち上がる。頭の中で鳴り響く警鐘が大きくなる。
このまま渚を行かせてはいけない。渚が憂凛のことを恭に頼むなど、あり得ない話だ。思わず手を伸ばしたものの、既に渚には届かない。
「今からどこ行くつもりっすか」
「言わねえよ」
「松崎先輩! ……っ、てぇ……」
「無理すんな怪我人。ゆっくり治せ馬鹿」
「せんぱい、」
「……んな顔すんなよ。だからお前に会いに来んの嫌だったんだ」
「どこ、行くんすか。何するつもりなんすか」
「……わざわざ聞くなよ。言わなくても分かってんだろ、馬鹿なお前にも」
分かっている。だから行かせてはいけない。しかし今の恭は身体を起こすのが精いっぱいで、これ以上動けない。どうしたら――どうすれば。
「俺は今から殺されに行ってくる。っつーことで後は頼んだ」
「……な、に勝手なこと言ってんすか、何で先輩がっ」
「柳川」
強い口調だった。何も言わせない口調で恭の名を呼んだ渚の目は、見たことがないほどに優しい。
意味が分からない。渚が殺される理由などない、何より誰に殺されるというのか。誰が、どうして。恭は動けない、しかし今ならもう『分体』が動くことができる。誰かに、それこそ今すぐに憂凛に連絡してもらって、伝えることができれば。
「柳川、『もしも』の時は」
「もしもって何すか!」
「るっせえな、傷に響くぞ。――お前が俺のこと、殺してくれ」
呟かれた言葉の意味が、すぐには理解できない。
――そんなことは、あってはならないことだ。
「頼んだ」
「せんぱっ……!」
叫ぼうとした声は、白い狐に遮られて。『分体』に頼む間もなく、恭の意識は吹き飛んだ。