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15
琴葉に桜を預けて病院を出た律は、そのまま雪乃に電話を掛けていた。もしもし、と面倒そうに電話に出た雪乃に、ざっと経緯を説明する。
「……というわけなので、これは『茅嶋』に喧嘩を売っている案件として動こうかと。いいですよね?」
『あーあ、そりゃまた派手に喧嘩売ってくれてんなあ。私も行こうか?』
「いや、俺一人で大丈夫です。……っていうかお母さまが行ったら問答無用でまとめて何もかも吹っ飛ばすでしょう、勘弁してください」
『まあな。……分かった、好きにやってこい、律。手加減なんて絶対にするな。うちに喧嘩を売るっていうのがどういうことか、骨の髄まで刻み込んでやれ』
声は楽しげに笑っているように聞こえるが、しかしその実かなり怒っているのが分かる。おそらく本当に、響にはそんなつもりはないだろう。何らかの目的があって、それを達成するために恭が必要で、たまたまその場にいた桜が巻き込まれる形になっただけ。しかしこちらとしては、そのお陰で彼は『条件』を満たしてしまった。
雪乃はもちろん、律も『ウィザード』としての『茅嶋』という名前を背負った人間だ。だからこそ、個人的な感情以上に許すことのできないことがある。
「じゃ、そういう訳で。行ってきますね」
『ああ。『戦神の加護あれ』、馬鹿息子。分かってるだろうけど――ドジは踏むんじゃないよ』
雪乃の言葉を聞いてから電話を切って、溜め息。とっくに夜は更けている。つい数時間前に日本に帰ってきたばかりのような気がするのだが、休む暇が少しもない。どうしてこう次から次に色々と起こるのか。
今から追いかけるのであれば、憂凛だろう。今から恭や響を追いかけるのは厳しいが、憂凛であれば律にも追える。憂凛は『半人』、『狐』としての能力の一環か鼻が利く。人を追うことには長けているので、恐らく恭と響のことも追えているだろう。何にしろ憂凛とは合流しておく必要がある。
刻んだ『リズム』、吹き奏でた『旋律』と共に魔法陣が浮かんで、そして弾ける。現れたのは一本の道筋。それは律にだけ可視化された、憂凛への道。既に結構な距離がある――律の足で追いかけるのは当然無理だ。タクシーに場所が分からないものを追ってもらうのは気が引ける、ずっと車が入れる道なのかどうかも分からない。となれば。
手に持ったままのスマートフォンに視線を落とす。こういうときに頼れる人と言えば。考えた瞬間遠慮も何もせずに呼び出したアドレス、迷うことなく通話ボタンを押して。遅い時間にも関わらず、相手は数秒で電話に出た。
『どーしたりっちゃん』
「悠時ごめん、理由は後で説明するからバイク出してくれる?」
『りょーかい。久々だなー。今何処よ』
「鹿屋先生の病院」
『おっけ、……あー、15分くらいかな』
「ありがと」
――頼れるものは、説明しなくても何もかも分かってくれる、幼馴染である。
「ようりっちゃん、久々」
「ホントだね。お葬式ぶり?」
「その前3か月くらい会ってねえしな……久しぶりの癖におめーはちょっと人使いが荒い」
「あはは、ごめん。悠時なら大丈夫かなって」
本当に悠時は15分程度で現れた。学生時代から変わらずに悠時のバイクに積まれている律用のヘルメットを受け取って、そのままバイクに跨って後ろに乗る。本当にこの幼馴染には世話になりっ放しで申し訳ない気持ちがないわけではないが、緊急事態に遠慮をすると怒られるので。
「芹ちゃん怒ってない?」
「怒るに決まってるんだよなあ……。詫びに美味しいケーキの差し入れを所望されてたぞ」
「了解しました……。よし、じゃあ悠時、とりあえず真っ直ぐ行って4つ目の信号左」
「おっけー」
こんな風に悠時に送ってもらうのは、果たして何年振りか。学生時代にはよくあることだった。バーテンダーのバイトをしているときは悠時はもうサラリーマンとして働いていて、時間が合わないこともあって声を掛ける機会は減っていった。そして右手を怪我して以降、家の仕事に専念するようになってからは、そもそも律自身が日本にいることが少なくなって、必然的に会うこと自体少なくなってしまっていた。それに今は恭が車の免許を持っていることもあって、悠時に頼む必要性はなくなっていた。
しかし、こうしていると全く昔と変わらない。お互い歳は取っても、今更変わるようなこともないということだろう。
「でー? 何があったー?」
「ちょっといろいろ起きてて、恭くんが攫われた」
「はあ!? 攫われたってまたえらく物騒だなおい」
「今回はさすがに俺の権限でうちに喧嘩売ってると見做した。とことんやる」
「そっか。あんま無茶はすんなよ」
細かいことを、悠時は聞かない。言わない。律の仕事のことに、必要以上には踏み込んでこない。だから甘えてしまうのは、昔から同じ。
何十年経っても、何歳になっても変わらないのだろうと思うと、思わず笑ってしまう。
「はーあ。ごめんね悠時、明日も仕事なのに」
「いいよ。でも久々にりっちゃんの我儘聞いたな! 俺もケーキ買ってもらうか」
「え、悠時甘いもんそんなに食べないくせに」
「まあな。そういや芹今二人分食うぞ。苺がめっちゃ食べたいって言ってた」
「……え? ん?」
「りっちゃんに報告しそびれてんだけど、芹、オメデタ」
「マジで!?」
そんな大切な話をこの局面でされるとは思ってもいなかった。思わず出た大声に、楽しそうに悠時が笑う。律が忙しかったこともあって、言い出すタイミングがなかったのだろうということは想像がつく。
「すごいなー……悠時がお父さんになるんだ……。おめでとう、悠時」
「おーよ。芹にも言ってやってくれ」
「勿論。無事に生まれたらこれでもかってくらいお祝い持ってっちゃうな俺」
「家に入る程度にしてくれな?」
茶化す悠時に、律は笑う。こんなおめでたいことは、早く恭にも教えてあげたいな、とも思う。恭のことだ、素直に大喜びするだろう。
二人でお祝いを言いに。だからその前に、やらなければならないことは多い。ひとまずはちゃんと、恭を連れて帰ってこなければならない。
「……ところでさあ、りっちゃん」
「ん?」
「おめーさあ、何かろくでもねーこと考えてねえか」
「何急に。何で?」
「いや、何となく。カン?」
「……次の交差点右」
「おう」
ろくでもないこと、という表現が正しいかどうかは分からない。誤魔化したところで、律が考えることなどある程度悠時には予想がつくだろう。
「……決めてないよ」
「そっか」
「恭くん奪還してから色々考えることにする」
「ん」
「次の次の信号右、そこで止まって」
「おっけー。待つか?」
「いや、帰りはタクでも何でも捕まえるし、ていうか最悪救急車手配の大騒ぎになる可能性高いから……。大丈夫だよ、ありがとう」
「……相変わらず物騒だよなあ」
呆れ切った呟き。そこで会話は止まって、バイクは目的地へと到着した。ヘルメットを脱いで周囲を見回す――可視化した憂凛への道筋はもう少し先まで続いている。
この先にあるのは――と考える前に、この場所に律は見覚えがあった。
「……いやホント喧嘩売ってくれてる」
「どした」
「何でもない。ありがとうね悠時、近々ケーキ持ってお礼に行きます」
「おう。恭と来い」
「勿論」
その約束を交わして、律は悠時にヘルメットを返した。受け取った悠時がいつもと変わらず笑ってくれることが、律の気持ちを安心させる。
――大丈夫だと、信じられる。必ず、恭をこの日常に連れて帰る。
走り去っていく悠時の背中を見送った後、さて、と律が視線を移したのは己の左手。数年来嵌めている、形見の指輪。
「……ちょっとどういうことか説明していただけませんかね、お祖父様」
当然ながら返事は返ってこない。しかしこればかりは本当に誰か説明してくれないだろうか、と律は肩を落とす。この先にある、憂凛が向かったであろう場所にあるのは古びた洋館。かつて律が祖父に初めてあった、その場所だ。
その洋館を律が訪れたのは、もう7年も前のことになる。祖母に言われて、この指輪を探しに来た日。あの日、律は虱潰しに屋敷の中を探し回っている。確かに誰も住んでいなかった、その筈だ。埃の積もった、人が入った形跡があればすぐに分かるような場所だった。そこに祖父――宗一郎がいたのだから、その洋館は間違いなく『茅嶋』の管轄にあるもののはずで、そうなるとそう簡単に他の人間が勝手に根城にできるような場所とは思えない。宗一郎がこの洋館から律の指にある指輪へと宿る場所を変えたところで、その影響力が消え失せてしまう筈はない。
洋館の方へと歩きながら、周囲に気を配る。憂凛の姿は見当たらない。もう既に洋館に入っているのか、それとも『彼岸』の『領域』に閉じ込められていたりするのだろうか。可能性が高いのは後者だ。道筋は洋館の中には続かずに、途中でふつりと途切れてしまっている。『領域』の場所を把握してこじ開けるというのは、それなりに準備と時間が掛かる。他の方法を取った方が早い。
――そう、例えば。
「若宮 柑奈、だよね」
「……茅嶋 律。金髪の見た目がチャラくて派手っぽい『ウィザード』。聞いてた通り」
「誰がチャラくて派手だ」
誰からの情報なのか教えてほしい、と思いながらも睨み上げた先には、黒い巫女装束の女。その足が動くたびに、しゃらん、と嫌な鈴の音が鳴る。
若宮 柑奈。病院から逃げ出した、その人がそこにいた。
「何で君此処に居るのかな。病院脱走して」
「問題は何もない。此処は貴方の家の土地。あるじさまに聞いたから、知っている」
「あるじさま?」
「私たちはあるじさまの仇討ちがしたいだけ。貴方は関係ない。だから帰って」
「……誰の仇討ちだか知らないけど、ちょっとそれはできない相談だな」
復讐であろうと、仇討ちであろうと、その理由が何であろうと、それに恭が巻き込まれているという事実は変わらない。
左手に握る銀の銃、刻み慣れた『リズム』はシリンダーに雷弾をきっちり6発装填する。そして律は迷うことなく、その銃口を柑奈へと向けた。手加減する必要はない。雪乃にも好きにやっていい、と許可をもらった。だから、容赦はしない。
「うちの大馬鹿、返してもらうよ」
「――『ホシヒメ』」
しゃらん、と聞こえた鈴の音と同時、周囲の景色が変化していく。真っ黒な、逆鳥居の神社。鳥居の上に立っている、禍々しい口裂け女のような姿の十二単を纏った『彼岸』を無感情に眺める。
この程度で、勝てると思われては困る。律には自身も『茅嶋』の人間だという自負がある。
先制して6発連射、『彼岸』に向かった雷弾は振り払われはしたものの、2発程はその身体を貫通していく。奇怪な悲鳴と共に口裂け女の口ががばりと開いて、真っ黒な無数の塊が律に向かって降り注いでくる――が、それは展開した防御壁で全て受け止めて。そのまま刻んだ『リズム』、奏でた『旋律』。呼応して即座に展開した術式は、宙に魔法陣を展開した。
「え、」
「で? 終わったけど」
魔法陣からの落雷一撃。『彼岸』の身体は真っ二つに切り裂かれ――それで、終わりだ。あっという間に『彼岸』の『領域』は消え失せて、風景は元に戻っていく。
「ど、ういうこと……」
「どうもこうも。『口寄』した『彼岸』が弱すぎるんじゃない」
「……そんな、筈は」
目を見開いて動揺しながらも、柑奈が唇を噛んだのが見えて。そのまま律の方へと走ってくると同時、巫女服の袖が鋭い刃と化して律に襲い掛かってくる。瞬時に避けられるような反射神経はないが、先ほど展開した防御壁はまだ残ったままだ。律に届く前に防御壁が受け止めてぱりんと割れる、その感触に舌打ちしながらも律は柑奈の頭に銃口を突き付けた。そのまま『リズム』を刻んで雷弾を一発装填、放てば柑奈の身体はいとも簡単に吹き飛んでいく。
地を転がって強かに塀で背中を打ち付けて、咳き込みながら柑奈は律を睨み上げた。戦意は失われていない。諦めてくれる気はないらしい。
「あるじさまの仇討ち、か」
「……」
「もしかして、狙いはシャロン=マスカレード?」
「……どうしてその名前を、貴方が知っているの」
「君には関係ない」
「関係なくないよって言ったら、どうする?」
「――ッ!?」
気配は全くしなかった。突如割り込んできた第三者の声に、律は迷いなくそちらに銃口を向ける。
その人物は、律の背後に立っていた。ちょうど銃口を向けた位置に立っていて、そして余裕の表情で笑っている。
「……リノさん」
「あるじさま!」
立っていたのは、『鴉』。スペインで出会った、リノ=プリドその人だった。