Colorless Dream End

14

「……がわ、柳川!」
「っ……!?」

 名前を呼ぶ声が聞こえて、はっと意識が覚醒する。真っ先に目に入ったのは、見知った顔の男だった。黒髪に黒縁眼鏡を掛けたその男は。

「……まつ、ざきせん、ぱ」
「やっと起きたか……。大丈夫か?」
「っ……俺、こえ、」

 声が出ている――きちんと話せている。琴葉の治療がようやっと効果が出たということなのだろう。まだ少し喋りにくさは否めないが、意思の疎通に支障はない。それなら足は、と動かそうとしたものの、やはり足の感覚は全くない。動く気配もない――そんなに一気に解決はしないか、と恭は肩を落とす。
 しかし、今の現在地が分からない。周囲を見回してみたが、全く見覚えがない。アンティークな雰囲気を醸し出す、古い屋敷のような場所の一室に寝かされていたらしいことは分かる。

「……松崎、せんぱ……ここ、どこっすか……」
「街外れにある屋敷だよ。若宮と乙仲が此処を拠点にしてて、俺も今間借りしてる」
「……わか、みや? だれ……てか、せんぱ……ひびちゃ、知り合い……?」
「2ヶ月くらい前にな。乙仲はお前の同級生なんだろ、この間その話聞いた」
「……えと、ひびちゃん、は」
「ちょっと出てるよ。すぐ戻ってくるんじゃねえか」
「俺、聞きたい、こと、が、」
「無理して喋るな、馬鹿。ちょっと深呼吸しろ」

 ――そもそも、どうしてここに渚がいるのだろうか。若宮という名前に、恭は聞き覚えもない。だがその名前の人間が渚の現在の仲間で、そして合わせて響の名前が出てくるということは、3人で何かをしているということなのだろうか。
 そもそも、『彼方』を狩っている人間がいる、という話は響から聞いた。そして『分体』と一緒に調査に出て、そして奈瑞菜と出会って、渚が『彼方』を追いかけていることを知った。
 最初から仕組まれていたということだろうか、とぼんやりと思う。しかし、だからと言ってどういうことなのかは分からない。頭がついていかない。

「……てか、松崎先輩、何してんすか……『彼方』の人たち狩るとか、何考えて」
「はあ? 狩ってねーよ。俺は実力行使で聞き込みして回ってるだけ」
「……聞き込み?」
「ちょっと探してるヤツがいてな。お前には関係ねえよ」
「でも」
「お前も、……碓氷も、首突っ込んでこなくていいんだよ、馬鹿じゃねーの」

 困惑した表情で溜め息を吐いた渚のその表情は、恭がよく知っている渚そのものだ。そのことに少しだけ安心してしまったのは、響が恭の全く知らない顔をしていたせいだろう。どこかで渚もそうだったらどうしよう、という不安に襲われていたのか。

「……誰を探してるんすか?」
「あー……誰って言われてもな。『ディアボロス』なのは確か」
「『ディアボロス』……」
「白い仮面の『ディアボロス』。そいつが俺の知りたい情報持ってるっぽくて」
「知りたい情報?」
「まあ、ちょっと色々あってな。そいつを見つけるために今は若宮と乙仲と組んでて、乙仲が言うにはその『ディアボロス』をおびき出すにはお前が必要だから連れてきたんだと」

 ――何で、という疑問は言葉にならなかった。分からないことが多すぎて、喉に言葉が詰まってしまう。
 そもそも『ディアボロス』と言われても、恭にとっての『ディアボロス』の知り合いは小夜乃くらいで、そして小夜乃のことは渚も知っている。全く別の誰かを探しているのか、もっと違う理由があるのか。
 どこから聞けばいいのか分からない。渚は何をどこまで知っているのだろうと思いながらも口を開こうとした瞬間、がちゃりと扉が開いてそちらに視線が向いた。
 黒い巫女装束を着た女。どこかで会ったことがあるような気がするが、しかし覚えがない。思わず首を傾げる恭に視線を向けた女はしかし、すぐに興味を失ったように渚へと視線を向けた。

「渚。行く」
「……帰ってきて早々かよ。柳川連れてきてんのに何処行くっつーんだ、お前」
「先輩、誰っすか、その子」
「あ? あー、コイツが若宮。若宮 柑奈。俺が今手伝ってるっつーか、手伝わされてるっつーか、手伝ってもらってるっつーか……」
「……?」
「ま、ちょっとした知り合いだと思っとけ、今は。気にすんな」
「ふーん……?」

 やたらと複雑な事情がありそうな雰囲気のそれに、上手く言葉が見つからない。
 巫女装束の女――柑奈は、それだけ告げてすぐに部屋を出ていってしまう。何が何だか分からない。再度溜め息を吐いて、渚は立ち上がった。

「取りあえずお前も起きたし、ちょっと出てくる。大人しくしとけ」
「えと」
「色々あったし、疲れてるだろ。……かなりうなされてたぞ」
「……俺が?」
「そう、お前」

 何か夢を見ていた覚えはない。しかしだから、それを気にして渚は何度も恭の名前を呼んで起こしてくれたのだろう。起きるのを待つのではなく、起こしてくれた。そういうことだ。
 ――相変わらず不器用に優しい人だ、と心底思う。

「……あざっす」
「おう」

 柑奈を追って部屋を出ていく渚の背中を見送って――さて、どうしたものか。
 話せるようにはなったが、足が動かないので移動ができないという事実は変わらない。本当なら今すぐにでも渚の後を追いたい気持ちもある。一体何の情報を得るために動いているのだろうか。あまり話す気はなさそうだったが、ここまで巻き込まれている以上きちんと話は聞かせてほしい。

「ぶんちゃ……んは、いないのか……」

 いつもの癖でスマートフォンを探しかけて、すぐに思い出す。恭のスマートフォンはあのとき響に壊された。『分体』のことだ、恐らくはどこかしらに移動して逃げているだろうから、インターネットに繋がるものがこの場にあれば呼び出すことは難しくないだろう。しかし、『分体』が消えてしまったのは突然だった。『世界樹の断片ユグドラシル』が変な感じがする、と言い出した次の瞬間と言っても過言ではない。そうなると、『分体』は今すぐに出ることができない状況である可能性は高いだろう。
 恐らく『分体』を封じたのは、『分体』がいる限りすぐに恭の居場所が律たちに割れてしまうからだろう。あの相棒はインターネットに繋がる場所にいる限りは非常に優秀で、頼れる相棒だ。
 この部屋の中を見る限り、インターネットに繋がりそうなものはない。当然と言えば当然ではる、この状況で恭が律に連絡を取れば、恐らく響が恭をここまで連れ出した意味はなくなってしまうだろう。やはり響には話を聞かなければならない。話してくれるかどうかは分からないが。
 足は動かないが、何とかなるだろうと気合を入れて。腕の力だけで体を引きずって、寝かされていたベッドから転がり落ちる。右肩を強打したものの、この程度なら支障はない。足は相変わらず動かなくても――ほふく前進は、できるので。

「っ……、よし!」

 長らくベッドの上にいたので、多少鈍ってしまっているかもしれないが。しかし暇潰しに筋トレをして律に「馬鹿じゃないの……」と言われ続けているわけではないのだ。腕の力だけで身体を引き摺って、手を伸ばして、何とか扉を開けて部屋の外に出る。
 部屋の外に出たところで、やはり自分がどこに連れてこられてしまったのかは分からない。どこかの屋敷であることは確かだ。長い廊下に、幾つかの扉。そして今恭がいるのは、廊下のちょうど真ん中辺りだろうか。廊下の先には恐らく階段があるということから考えるレ場、ここは2階か。この状態で階段を下りるのは難しいかもしれないとは思いつつも、ひとまず階段を目指す。できれば長袖の季節であってほしかったと思ったのは、擦れる腕の痛みのせいだ。

「……何してんのお前」
「あー……? あ、ひびちゃん!」
「……ああ、声戻ったんだな」

 もう少しで階段、というタイミングで背後から掛けられた声に振り返れば、いつの間にか響が恭の後ろに立っていた。完全に呆れた顔をして恭のことを見下ろしている。

「アクティブだよなー、お前。足動かなくてもここまで移動してくるか、引くわ……」
「ふふん。筋トレの成果!」
「ホント意味わかんねー。とりあえず喋りにくいしさ、座れば?」
「足動かないのにどうやって座れと」
「仰向けになって腹筋使って起き上がればいいだろ」
「あ、そっか」

 言われたとおりに転がって、よいしょと起き上がる。どっと疲労が押し寄せてきて、恭は息を吐いた。座った恭の隣に腰を下ろして、擦れて赤くなった恭の腕を見てうわ、と眉を寄せる響の様子はいつもと変わりない。
 変わりないから、やはり、分からない。

「ひびちゃん、何で俺のことここに連れてきたわけ。桜っち攻撃して、……ぶんちゃんまで遠ざけて」
「最初からずっとそのつもりだったんだよ」
「最初?」
「お前に初めて会ったときから」
「……へ?」

 初めて会ったとき――ということは、大学に入学したころだ。
 もともと恭が響と出会ったのは、ストーカーに追われていた響をたまたま助けた縁だった。そこからよく一緒にいることが増えて仲良くなった、と思っている。そのときからということは、それより前から響は恭のことを知っていたということになる。

「……俺な、恭。施設育ちなんだよ」
「しせつ?」
「ネグレクトで……あー、えっとな。5歳のときに親に捨てられたの、俺。お前なんか育てらんねー、って」
「え」
「それからずーっと施設育ち。『エクソシスト』の人がやってる施設で育って、まあ何だかんだやってきたし、俺はその『エクソシスト』の人を親だと思って生きてきた。今でもそう思ってる。優しくて厳しくて、すごい良い人だった」

 淡々と。唐突に自分の昔話を始めた響の横顔に、表情はない。無表情に、感情がないかのように、淡々としていて。
 瞬時に背筋にぞくりとしたものがこみ上げる。――それは恭にとって、覚えのある感情だ。

「……あの人は殺されたんだ」
「殺された?『エクソシスト』の人……?」
「そう。俺が高1の時。見るも無惨な惨殺だった。……ほんっとに、酷い有様だった。思い出しただけで寒気するよ、何したらあんな殺し方が出来るっつーんだ……」

 ゆっくりと、しかし確実にその無表情に上がる感情。
 それはかつて、『魔女』が浮かべていた感情と同じもの。どうしようもない感情、ぶつける場所のないもの。怒りや悲しみを内包している、真っ暗な気持ち。
 ――『復讐』。

「俺は絶対あの人を殺した奴を許さない」
「……誰が殺したか、分かってんの?」
「そりゃあ血眼で探しまわったからな。犯人は分かってる。絶対殺す、何をしてでも殺す、何を犠牲にしても絶対殺す。……殺したところで許せねえけど、でも、殺さずにはいられないんだよ」
「……ひびちゃ、」
「なあ、お前も手伝ってくれよ」

 ひどく冷たい声だった。断ることなど許さないとでも言いたげな声だった。
 しかし、恭は知ってしまっている。復讐の行く先を。雪乃に復讐をしようとしたあの『魔女』と、姉が死ぬきっかけを創り出した『魔女』との決着をつけようとした律と。それが生み出した結末を、既に恭は知ってしまっている。
 何も生まなかった。律はピアノを失って、『魔女』はその命を絶った。消えない傷を、爪痕を、呪いのように遺しているだけ。

「復讐なんかして、どうすんだよ」
「恭」
「復讐して、もし、殺して、その先は? その先、ひびちゃんはどうすんの?『エクソシスト』の人が帰ってくるわけじゃないし、……それに、誰か殺しちゃったら、苦しいだけじゃんか……」

 思う――きっと余計に苦しくなるだけだ、つらくなるだけだ、悲しくなるだけだ。亡くなった人は復讐なんて望んでいないときれいごとを言うつもりはない。響が件の『エクソシスト』を殺した犯人が許せないという気持ちの強さは痛いほど分かる。殺したいほど憎んでいるその気持ちは、嘘偽ることなく本物で、今何を言ったところで恭に止められるものではないことは分かる。説得ができないことは分かっていて――それでも。

「……お前のことだから、そういうこと言われるだろうなって思ってたよ」
「ひびちゃん……」
「だからきっちり、時間掛けて用意することにしたんだ」
「……何の?」
「お前を堕とす為の」
「え、……は、っ……!?」

 思わぬことに、反応が遅れた。
 がん、と体が床に押し付けられる。首筋に強く感じる響の手、力任せに絞められて呼吸が止まる。何とか響の手首をつかんで無理矢理引き剥がそうとすれば、何とか呼吸ができる程度には引き剥がせた。元より腕力で響に負けるようなことはない。
 しかし問題は、先ほどまで恭は腕の力を使って移動していたこと。いつもであれば簡単に引き剥がせるところだが、上手く力が入りきらない。

「堕ちてこいよ、恭。……俺んとこまで引き摺られてきて、俺の仲間になれよ。お前じゃなきゃ駄目なんだ、だってお前だったらアイツのことを殺せる」
「……ざ、っけんな……、はな、せって!」
「ほんっと意味分かんねえよお前、普通ならとっくに堕ちてんぞ?いっつもギリッギリで踏み止まりやがって……、お前の話聞いてせっかく足の怪我のこともトラウマにして『 』のことも忘れさせて2年もかけて準備したっつーのに、何踏み止まってんだよさっさと堕ちてこいよふざけんな!」
「い、みわかんねー、の、……俺、だっつの……!」

 準備。足のケガのトラウマ。何を、忘れさせられたというのか。
 混乱する頭が思考する。頭痛の本当の原因は、小夜乃が恭に術を掛けたからではなく、響が恭に違う術を掛けていたということなのだろうか。しかし響は『サイキッカー』だ――しかしその言葉の内容をよくよく考えれば。恭にはどういう方法なのか全く想像もつかないが、響は『サイキッカー』に見せかけた『サイコジャッカー』だったということだろうか。
 ――つまり、恭が感じた違和感。違う、と思ったのは恐らく、その部分。
 意識がぐらりと揺れて思考が止まる。引き摺られてなるものかと、唇を噛み締める。『彼方』に引き摺られれば自分が『魔人』となってしまうことは分かっている、そしてそれは律のトラウマをつつくようなことになってしまうことも。そんなことは絶対にしたくない。『彼方』にされる気も、死ぬ気もない。
 それに、と思う。あの子を泣かせたくない、あの子があんな風に泣いてしまう姿を二度と見たくない。二度と会わないとしても、それでも何かの拍子に自分のことがあの子の耳に入ったとき、あの子を泣かせてしまうようなことはしたくない。恭の身に何かが起これば、その原因が何だったとしても自分のことを責めるだろうから。
 ――ああ。あの子とは、誰だったか。

「は、なせ……っ!」
「やだね。堕としてやる。堕ちて、殺してくれよ。小夜を」
「っ、はあ……っ!?」
「小夜はお前のことを絶対に傷つけない――だから小夜を殺せるのは、お前しか居ない」

 響の口から放たれた小夜乃の名前に、動揺する。確かに考えはした、恭が知っている『ディアボロス』は小夜乃だけだ。だがしかし恭の中では、響が探している『ディアボロス』と小夜乃が繋がらない。
 白い仮面の『ディアボロス』、響の親代わりの『エクソシスト』を殺した人間。復讐の相手。それが小夜乃だと、響はそう言っている。
 だが、恭の知っている小夜乃はそんな人間ではない。意味もなくそんなことをするとは思えない。
 一体何がどうなっているのか。ちゃんと説明してもらえなければ、恭には何一つ分からない。

「その手を離しなさい、響」

 ――場を切り裂いたのは、硬質な冷たい声だった。