Colorless Dream End

12

 恭に関して気になることはまだあるが、取り急ぎ別に解決しなければならないことは二つある。

「話は変わるんだけど、憂凛ちゃん。渚くんって何やらかしてるの今」
「あ! なぎちゃん! そうなの茅嶋さん、なぎちゃん怒って!」
「うん、何で?」
「ゆりゆり、ちょっと落ち着きなさい……。松崎の件については私から説明させていただけますでしょうか。御挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません、碓氷 奈瑞菜と申します。松崎とは大学の同級生で、『陰陽師』仲間です」
「俺の方こそ挨拶なしですいません、初めまして。茅嶋 律、『ウィザード』です」
「お名前やお話はよく松崎や楠からお伺いしてました。お目に掛かれて光栄です」
「……その二人から何を聞いているかは分かりませんが、俺はただのしがない『ウィザード』ですよ」

 言われた言葉に苦笑する。母である雪乃は規格外、世界最高峰と謳われるレベルの『ウィザード』ではあるが、今の律ではその域には到底達していない。同じように名前の出た渚の同級生でその友人であり、前から知っている少し問題ありの『サイキッカー』である青年の顔を思い出しつつ、ひとまず聞きたいのは渚のことだ。
 彼が現在関わっているらしい『彼方』狩り。律の知る限り、渚はそういったことに手を出すようなタイプの人間ではない。彼が自主的に動くのは大抵憂凛に何か頼まれたときか、何かが起きたときだ。恭が憂凛のことを忘れていることも手伝って憂凛に何かあったのではないかと思ったが、憂凛はここに居る上に渚に怒っているということは全く別件に巻き込まれているのか。

「まず結論からですが、松崎は操られていると私は考えています」
「操られてる?」
「というよりは、思い込まされている、と考えるのが正しいのかもしれません。『橘 憂凛』が襲われて行方不明になった、と」
「……それは少し、俄かには信じ難い話ですね」

 渚は頭がよく、性格的にかなり疑り深いところもある人間だ。簡単に騙されるとは思えない。そもそもそんな情報が入った場合、渚は絶対に憂凛か、そうでなくても憂凛の近くにいる人間に真偽を確かめるはずだ。
 何より、憂凛が襲われて行方不明になる確率がかなり低い。彼女の傍には『黄昏の女王アリス』がいる。彼女の実力は律もよく知っている――かなり強力なボディーガードだ。まさか渚がずっと『アリス』の存在を知らないとも思えない。

「松崎と一緒に行動している女が一人います。昨日楠のところに行って私の記憶を読み取ってもらったのですが、楠もその女と面識があったようで素性が判明しました」
「……あ。もしかしてそれ、黒い巫女装束の『憑物筋』っていう?」
「そうです。名前を若宮 柑奈、とある村で巫女として崇められていた『神憑り』……だったらしいのですが、とある事件で村が廃村になり、そしてたまたまその事件に松崎も楠も巻き込まれたことがあるそうで。まあそれも高校時代の話らしいんですが」
「そのころ二人が出会った若宮さん? は『神憑り』だったってことですか?」
「いえ。どうにも憑いている『彼岸』が特殊なようで、彼女の出身の村が廃村になった原因は彼女自身だったそうなんです」
「特殊?」
「曰く、『此方』と『彼方』を自在に入れ替える」
「……、は?」

 いっそ反則ではないのかと、律は眉を寄せる。『此方』と『彼方』は表裏一体ではあるが、入れ替えができるようなものではない。精神面にも深く根付くそれを入れ替えるなど、少なくとも律は聞いたことがない。しかし、情報筋は確かだ。

「憂凛はね、なぎちゃん探してその子のこと探してたの」
「なるほど? それでたまたま恭くんと碓氷さんが襲われてる現場に遭遇したんだね」
「本当にそれは偶然だったんだけど……、えと、それで、恭ちゃんが倒れたときに、憂凛となっちゃんでその子のことは捕まえてるの!」
「え? じゃあ」
「この病院で現在治療中です。何を聞いてもだんまり決め込まれてて、本人から情報は今のところ引き出せてないんですけどね」
「……後で会えます?」
「もう手配はしてます」

 憂凛の言葉を琴葉が引き継いで、律の言葉に頷く。会いたいと律が言うであろうことも把握してくれているのは非常に助かる。会えたところで情報が引き出せるかどうかは分からないが、見るだけでも分かることはある。自分の目で確かめられるのであれば確かめておきたい。
 考えるだけでも面倒な相手だ。何より現状、若宮 柑奈のことが分かったとしても『彼方』狩りのことがどこまで分かるか。何よりもし柑奈が渚を使って『彼方』狩りをしているとして、それは一体何の為なのだろうか。『彼方』側が勢力争いをしているとすれば、さすがに律の耳にも入るはずだ。

「……駄目だ、まだ分からないことが多いな……」
「とりあえず現状私が集められる人間と情報はこれくらいです。後は」
「足を使って調べて回るしかないですね」
「そういうことになります」

 理由が分からない。目的も分からない。そしてどうして渚が動いているのかも。
 頭の中でざっと優先順位をつける。律一人でできることは限られている。誰にどう協力してもらうかも考えなければならない。
 ひとまず、恭のことは憂凛に任せるのがいいだろう。憂凛でどうにもできなかった場合は他に方法を考えるしかないが、二人がどうにかならないことには恐らく恭の現状が変わらない。
 そうなると律がやるべきことは、渚に関することだ。

「……まったく、手の掛かる」

 ぼそりと呟いた律の声を聞いていたのだろう。琴葉が少しだけ、苦笑した。


 情報を得たら各自必ず共有するために連絡先を交換し、絶対に一人で行動はしないということを取り決めて一旦解散。そのまま律は憂凛と二人で恭の病室へと戻ることにした。
 恐らくは緊張しているのか、それとも怯えているのか、憂凛は静かだった。今の恭は憂凛の名前はおろか、下手をすれば憂凛自身を認識できない可能性が高いと琴葉は言っていた。当然、そのことは憂凛も分かっている。
 そんな状況で、果たして何ができるか。しかし今二人の間にある問題をきちんと解決しなければ、同じことの繰り返しになってしまうだけだ。

「……かやしま、さん、」

 不意に憂凛に名前を呼ばれて、振り返る。律の後ろをついてくるように歩いていた憂凛の足は、既に止まってしまっていた。心なしかその体は震えているように見える。

「……怖い?」
「……、うん」
「まあ、そうだよねえ……」
「ごめんなさい……、頑張るって、言ったのに」

 憂凛は何も悪くはない。そう言おうとして、口を噤む。その言葉には意味がない。
 普通であれば怖いに決まっているのだ。無理に強要するわけにもいかず、さてどうしたものかと周囲を見回して。手近なところにあった待合用のソファに腰掛ける。遅い足取りで律の隣まで来た憂凛は、しかしそのまま俯いてしゃがみこんでしまった。
 ――この状況で何と声を掛けるべきか。頑張ろうとは言ったものの――そして憂凛も頑張るとは返してくれているものの。あれ以上のことは、律には言えない。

「……ねえ、茅嶋さんは」
「うん?」
「恭ちゃんのこと、殺しかけたって本当?」
「さすがにそんな嘘は言わないかな……」
「……どうやって、乗り越えたの?」
「うーん、俺かー……」

 憂凛のその質問に、少し考え込む。当時のことを思い出す――果たして乗り越えたという言い方は適当だろうか。恭が気にさせてくれなかった、と言ってしまった方が正しいようにも思える。
 あの頃のことを、律は何もかも忘れずに覚えている。本当にもう少しで恭のことを、そしてあのままなら一緒に来てくれていた渚のことも殺してしまっていただろうことを、鮮明に。

「……、うーん。そうだな、今ではもう気にしてない、って言っちゃうと、それは絶対嘘ではある」
「気になる……?」
「当然。さすがにね、人殺しかけといて平気な顔で一緒に笑ってられるほど、俺の神経図太くはないよ?」
「じゃあ、どうして……」
「恭くんにすっごい怒られたから、かなあ」

 後にも先にも、恭にあれほど怒られることがあるだろうか。できれば最初で最後であってほしい、とは思うが。
 ぼろぼろと泣きながら、自分のことを頼ってほしいと律に向けて怒鳴っていた恭は、本当に何一つ隠すことなくストレートに律に本心を曝け出していた。散々泣いて、怒って、そして律のことを許してくれた。だから恐らくは、余計に。

「……うん、憂凛ちゃんだからまあ言うけど、今でもたまに夢に見るよ、恭くん殺しかけたときのこと。当時はすごい夢に見たし、フラッシュバックもかなりきつかったし、でもずっと恭くんが傍にいて、俺のこと支えてくれてた」
「恭ちゃんが……」
「うん。ほんっと、馬鹿だと思わない? あの子。もしかしてまた殺されるかもしれない! とか考えないのかね、ホント」
「でも……何か、納得できる。恭ちゃんらしい」
「そうだね。……あと、その後ちょっと依頼もされて。それでもうチャラにするから気にしないようにって言われちゃったら、俺には何も言えないよねえ。気にしたらぶん殴るって言われたし……」
「じゃあもう二人の間でそのときの話することって、ない?」
「ないよ」

 一度もない。あれから本当に、律と恭は一度もあのときのことの話をしていない。なかったことにしている、ということとはまた違う。そして何より、恭にあのときの話を振れば、恐らくいつもと変わらないけろっとした表情で「そういやそんなこともあったっすねえ」と言いそうだ。
 話す必要がもう特にない。律自身に負い目はあるが、わだかまりというものはない。そして律自身が、恭に負い目を感じて罪悪感に駆られて自責するくらいなら、恭のことを支えて生きていくことを決めている。
 解決はしてきている。ずるずると引き摺ることは、何もない。

「憂凛もそういうふうにしてたら……できてたら、今でも恭ちゃんと笑ってられたのかなあ……」
「……憂凛ちゃん」
「憂凛、どうしても、自分のこと許せない。恭ちゃんが許すよ、気にしないよ、って言ってくれても、許せない」
「……うん」
「……恭ちゃんの笑顔がね、すっごく大好きなの。太陽みたいに笑ってくれる、優しい笑顔が……」
「……うん」
「……本当に、大好き、なの……」

 憂凛の表情を見ることはできなかった。声が震えている。彼女が泣いていることは容易に察せる。
 今でも――何年も経った今でも、憂凛が恭を好きだという気持ちは変わらないのだろう。高校生の頃と何も変わっていない気持ちで、もしかしたらそれ以上の気持ちで。その想いを抱き続けることさえ、憂凛にとってはどうしようもなく苦しいことでも。

「……多分、自分のことなんて許さなくていいんだよ、憂凛ちゃん」
「……へ、」
「俺だって許してはいない。二度とあんなことはしないって戒めてるし、大体許せるわけがないんだよ」
「茅嶋さん……」
「離れちゃうのは逃げだ。遠ざけるのも逃げてる。一緒にいることはある意味で償いだとも思う」
「……離れたのが駄目だったのかな。アリスちゃんにも、離れても意味はないよって言われたことはあって」
「そっか」
「でもね、やっぱり、怖くて」
「……ん-。じゃあ憂凛ちゃん、俺と約束するっていうのはどう?」

 律の言葉に、憂凛が涙を拭って顔を上げた。怪訝そうな表情をする憂凛と目を合わせて、律は柔らかに笑む。

「次に憂凛ちゃんが恭くんを傷付けるようなことがあれば、俺が絶対に憂凛ちゃんのことを許さない」
「……茅嶋さん」
「あの子は俺の大事な『弟』みたいなもんだし、『相棒』だからね。俺が守るよ、憂凛ちゃんが例えどうなっても」

 大切な人が律に遺していったもの。託していったもの。
 だからそれを失うようなことが、ないように。

「……『ウィザード』の人がほいほい約束とか言っちゃっていいの……?」
「あはは、よく言われる。でも本気で言ってるよ?」
「でも、茅嶋さんにそう言われると、ちょっと安心するかも」
「ん?」
「茅嶋さんなら、もしものときは、ちゃんと憂凛のこと、殺してでも止めてくれる気がする」
「……そうだね」

 言い過ぎであることは否めないがしかし、それに近い状態に追い込むくらいのことはする。それが自分の生きている世界だと、律は知っている。『此方』の世界に身を置いている限りは避けることができない運命であることを――知っている。
 憂凛が口を開きかけたのそとき、ばたばたと廊下を走ってくる足音が響いた。反射的に視線がそちらに向く。走ってきたのは琴葉だ。その表情には、焦燥が浮かんでいる。

「いた! 茅嶋さんすいません、トラブルが……!」
「どうしたんですか」
「若宮 柑奈に逃亡されました……!」

 琴葉のその言葉に、律と憂凛は思わず顔を見合わせた。