Hound Dog - 01

 それは、律が『院』から戻って数日後のこと。SNSに恭から『ちょっと今から行くっす!』というメッセージが入ったのが始まりだった。

「おはよーっす律さん! らっちっちから電話!」
「おはよ……、は?」

 開口一番言われた言葉に首を傾げて、すぐにああ、と合点する。先日楠家で発生した事件を、麻葉 知江からの依頼という形で助力した――その結果として、疑問点の調査を知江に任せた。その辺りのことで、彼女の兄である麻葉 禮知から連絡が来ているということだ。麻宮家の当主である知江が、直接茅嶋家の当主である律に連絡を取ることはよくないという理由もあり、恭と麻葉 禮知が中継地点になっていることが多い。

「らっちっち今律さんとこ着いたから、うん、代わる代わる。はい!」
「はいじゃないよ」

 言いつつも、差し出された恭のスマートフォンを受け取って。もしもし、と声を掛ければ、お世話になってます、と禮知の声。

「どうも。報告の案件?」
『いや、調査途中だったんすけど、ちょっと問題が。知江が刺されて』
「……んん?」

 思いがけない言葉に、律は眉を寄せる。
 禮知曰く、あれから知江は律に言われた通り、起きた事件の調査を進めていたらしい。その調査の護衛として禮知ともう一人が常に傍につくようにしていたが、たまたま二人とも知江の傍を離れるというほとんどないタイミングを狙いすまして、知江は襲われたのだという。

『凡そ人間業じゃね……ない感じっつか、まあそんなので。今入院中なんで、頼まれてた調査については中断、結果も届けられるかどうかっつー状況なんで、それをご報告しとこうかと』
「ん-……なるほどね。知江ちゃんの容態は? 大丈夫なの?」
『まあ、今のところは。ちょっと俺もそっちの調査にかかるんで、すんませんけど』
「了解。何か進展があったらまた教えて」
『はい』

 あまり時間を取らせていい状況でもないだろう。それ以上の詳細は聞かずに、律は電話を切った。
 何より当主が刺されたとなれば、これは麻宮の家の問題だ。そこにあまり首を突っ込みたくはないし、よほどのことがない限りはこれ以上巻き込まれたくもない――先日、その点については知江にも念押ししている。

「らっちっち何て?」
「ちょっと麻宮の家の方でいろいろあったみたい。この間の調査が進まなくなるかもしれないからって謝罪の連絡」
「……この間……あ、楠先輩とこで律さんが知江ちゃんいじめてたやつ!」
「いじめてないよ人聞き悪いな」

 当主同士の正当な仕事としての会話なので、圧が強いと言われようといじめていると言われようと、律としては筋を通しているだけである。桜の友人である知江相手にあまり強く出たくはないのも正直なところだが、麻宮家の問題にあまり巻き込まれたくはないので、これはこれ、それはそれ、という状態である。
 ――それにしても、どうして知江が刺されるような事態に陥っているのか。
 もう一人誰が護衛についているのかは知らないが、知江は麻宮の当主だ。当主の護衛なのであれば実力者であろうことは想像に難くない――というか、ろくに護衛もつけずに動く律の方がおかしいと言われればそれはそうなので。その護衛が離れる瞬間を狙えるとなるとずっと知江を見ていたということになるが、それが人間のものであれば禮知やもう一人の護衛が気付かないことはないだろう。だからこそ禮知は人間業ではないと言ったのだ。
 つまり何か噛んでいるとすれば、それは『カミ』か何か、ということになる。

「……巻き込むなって言ってるんだけどなあ……」

 面倒事の気配に、律は大きく溜め息を吐いた。
 
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 話が大きく変わったのは、その数日後の話。
 朝からけたたましく鳴るスマートフォンの着信音で目を覚ました律は、もしもし、と半分寝ている頭でその電話に出た。途端律さん! と耳が痛くなるほどの音量の恭の声に、脳が揺れる錯覚。

「……朝から元気だな……」
『やっぱり寝てたなこの人!? 起きて! 外が! 外が大変!』
「……外?」

 何が何だかさっぱり分からないな、と思いつつ、ベッドから這い出て窓のカーテンを開ける。眩しさに目を瞬かせつつ、下を見下ろして――一気に目が覚めた。
 茅嶋家は常日頃から結界が張られている。それは『向こう側』や『あちら側』の襲来を避けるためのもので、一度不慮の事故のような形で破られたことはあるものの、現在はその頃より改良を重ねて強固なものにしてあるので、ちょっとやそっとでは破れない。その結界に体当たりしている存在が幾つか。青黒い犬のようなそれは、明らかに『怪異』だ。
 ちょっと待てよ、と記憶を辿る。そう言えば椿が一昨日から海外出張で家を空けていて、故にこのところ毎朝のように椿を桜から引き剥がすために迎えに来る悠時は来ていない。裏を返せばだから気付かずに寝ていた、とも言える。犬、と言えば昨日ニュースで人が野犬に襲われたというニュースを見た覚えがある。かなり大きい野犬だったのか傷が酷いという話で少し嫌な予感はしていたのだが、やぱりただの野犬ではなかったのだろう。

「恭くん今どこ?」
『なかみーんとこ! ゆりっぺと子供たちと一緒に避難してきた!』
「分かった、そこなら絶対安全だからとりあえず動かないで。俺も用意したら桜連れてそっち向かう。なかみーにも言っといて」
『了解っす! 気を付けてくださいね』
「ん」

 電話を切って、再度外の光景に目を向ける。びくともしていない結界に諦めることもなく体当たりを続ける犬は、一体何が目的なのか。そうそう結界が破れることはないだろうが、神社の方が安心できる。恭が避難していると言っていたことから考えると、恭の家の近辺にもこの犬は発生しているということだ。――となれば恐らく、この辺り一帯に、ということになっている可能性は高い。
 着替えて桜の部屋を覗けば、その姿はなく。階下に下りて中庭にある温室を覗けば、水やりの途中なのだろう、中央のベンチに腰掛けて休憩している桜の姿があった。

「桜、おはよう」
「おはようございます、律様。……どうかされましたか?」
「あー……桜外見てない感じ? ……ユグ?」
「え?」
『あんなもの急に見せたら驚くでしょう。体に障って良くない』

 ふわり、舞いながら告げるのは桃色の蝶。その返事だけでこの『カミ』が桜の視界を塞いで見せなかったのだということを理解する。外から遠ざけるために騒動に気付かないよう誘導したのだろう。

「それはそうだけど。……桜、ちょっと外が騒ぎになってる。大きい犬の『怪異』が発生してるみたい」
「……犬? ですか?」
「そう、犬。明らかに『カミサマ』。ただいま数匹我が家の結界に体当たり中」
「!」
「そうそう結界が破れることはないだろうけど、念のために桜には神社に避難してもらおうかと思って。俺も一緒に行くから」
「分かりました。……律様は動かれるということですよね」
「まあ、放置しとくわけにもいかなさそうだし」

 仕事の形にするのは難しいが、自分の身を守るため、という意味でも動かざるを得ないだろう。頷いた桜の手を取って桜の部屋へと戻りながら、律は思考を巡らせる。どこまでの規模なのかは確認する必要がある、それに一般人にも被害が出ている可能性は高い。後の処理のことを考えると頭が痛いが、今はその辺りのことを考えても仕方がないだろう。
 外の様子を見回りながら神社に向かい、神社に桜を預けてから本格的に調査をする形が最善か。次から次へと忙しいな、と内心溜め息を吐きながら、律は神社への移動ルートへと思考を移していった。


 様々なルートを検討したものの、状況が混乱しているのであれば車は使えないということも考えた結果、徒歩での最短距離を選択せざるを得なかった。家を出て駅前を通り、繁華街を抜ければその先にあるのは恭の自宅がある辺りの市街地になる。そこから程近い場所にかの神社があるのだが――さてどれくらい時間が掛かるだろうかと考えると頭が痛い。急ぎたいが桜の体調も心配だ。随分落ち着いたとはいえ無理をさせるわけにはいかないことに変わりはない。

「桜、気を付けてね。しんどくなったらすぐ教えて」
「はいっ。……けど、なかなかの光景ですね」
「そうだねえ……」

 一般人に被害が出ているどころの騒ぎではない、というのが現状だ。突如として街中に現れた、おおよそ生物とは思えない青黒い大犬に、人々はパニックになっている。こんなものが報道でもされようものなら大騒ぎになるが、その辺りは既に警察の手が回っているだろうと信じたい。人々がインターネット上に上げるのは止めようがないが、そもそもの段階でストップを掛けられる人間を何人か知っているので、後で依頼して対処するしかないだろう。
 人に襲い掛かる大犬に隠れて魔術で対処しながら歩みを進めていると、ふと目に入ったのは知り合いの姿。がっちりと女性が男性を抱きしめながら移動しているという妙なその光景は、どちらもよく見覚えのある人物だ。

「……おはよう無職ヒモ、それどういう状況」
「おはよう無職ヒモニートだよ」
「違います! 私の旦那様という職業に永久就職なさっているので無職ではないです訂正してください!」
「分かった、ヒモニートか」
「今この状況でそれが言える茅嶋くんに余裕がありすぎて引く」
「俺は丁野先生の状況に引いてるんだけど」
「ははは見なかったことにしてもらえなかった」

 乾いた笑い声と共に目を逸らす男は丁野 英二。そんな彼を抱きしめているのは玉藻 姫――英二の伴侶である『化生』の狐である。恐らく危険だからと姫が英二を捕まえているのだろうということは想像がつくし、英二は英二でそれに抵抗ができなかったのだろう。
 同じく目を白黒させている桜に笑いつつも、二人と情報共有をする。とはいえ英二も姫も、目が覚めたらこうだった、程度の認識で、情報らしい情報はもっていなかった。ひとまずこういったときの安全地帯は神社だろうということで、二人も神社を目指しているというのが現状らしい。

「私たちも神社に向かう途中で……ご一緒していただけると心強いです」
「まあ道中何があるか分からないし俺としてもその方が助かるかな。恭くんたちはもう神社にいるって連絡あった」
「憂凛たちが? よかった、安心しました」
「柳川がいるのかー……そうかー……見られたくないなあ……」
「諦めろ」

 どう足掻いたところで、今この状況でも姫はがっちりと英二を捕まえて離していない。恭に見られたくないという理由くらいでは離してはもらえないだろう。何が何でも英二のことは自分が守るのだという姫の意思は強そうだ。尤もこの男は過去にそれだけのことをしでかしているので、律からすれば仕方ない扱いだとしか言えない。
 そのまま4人で繁華街を抜けて――道中に妙に縁ができてしまっている賑やかな動画配信者に出会い、そしてすぐにスマートフォンを破壊するささやかな事件は起きたが――市街地に辿り着けば、大犬が倒された痕跡が幾つか。何かに潰されたようなその姿に、4人は顔を見合わせ。

「……憂凛ちゃんでは?」
「憂凛ですね」
「間違いなく」
「ですよね……」

 恭が戦闘態勢に入るよりも早く、その尻尾が振るわれた光景がありありと浮かんで、4人は顔を見合わせたのだった。