01:Cracked Jewel

 世界はジュエルがいなければ成り立たない。
 ジュエルはラスターがいなければ成り立たない。

 そして今日も、世界は。


「ネネ、また専属デコーダーとのパートナーシップ解消したって? 身体、大丈夫なの?」

枢軸局アクシスの中にある休憩所の一角。
 不意に声を掛けられて、アザミ=ネネは怠い身体を起こした。ミルクティーブラウンの前髪の奥で、アプリコットの瞳がゆらり、熱で揺れる。
 術式を編む代償として生じる魔力熱クラック。それは今も、ネネの体内をじわじわと蝕んでいる。放置すればそれは肉体を内側から焼き崩し、結晶化させていく。最悪の場合ひび割れ、死に至ってしまう。その魔力熱クラックを排熱するために、デコーダーは必要不可欠だ。
 ――そんなことは、よく知っている。声を掛けてきた同僚に心配そうな視線を向けられて、ネネは曖昧に笑った。

「だってさあ、魔力熱クラック排除しきれないんだから、いても仕方ないでしょ」
「専属デコーダーがいなきゃ、いくら特級ジュエルコア・プロトコル様でも強制休職でしょうに。ネネが休職したら、誰がこの街の重力バランス術式を描いてくれるっていうの?」
「分かってますけどー……」

 本来であれば、人類ラスターは常に魔力を帯びて生活している。魔力熱クラックの排熱は呼吸と同義で、考える必要もない。だが、ラスターの中から変異して生まれるネネのようなジュエルは、自力での魔力熱クラック排熱機能を失ってしまう。世界を維持していくための術式を描く能力を手に入れる代わりに、術式を使用することで常に死と隣り合わせになる。
 大きく息を吐いて、ネネは窓の向こう側へと視線を向けた。今日もジュエルたちの術式に、ラスターたちが魔力を与えながら生活している。穏やかな晴天、安定した物理法則。それらはすべて、ジュエルたちが編み出す術式の上で守られる平穏だ。
 この平和を守るために、ネネは生きている。守りたい、と心から強く思う。かつての日、ラスターからジュエルに変異したのは、ネネの誇りだ。

「一応ちゃんと、次の専属デコーダー候補、提示されたんだよ」
「誰?」
「……シロガネ特等……」
「ええー……」

 ネネの口から出た名前に、同僚はあからさまに表情を歪めた。
 世界を維持するためのジュエルの魔力熱クラック排熱対策として、特殊な魔力使用技能を持ったデコーダーがいる。デコーダーは己の魔力をジュエルに注ぎ込むことで魔力熱クラックと交換し、循環させる者たちだ。故にジュエルは、枢軸局アクシスに登録されている専属デコーダーの中から、己に合った者を専属デコーダーとしてパートナーシップを締結することが義務づけられている。
特級ジュエルコア・プロトコルであるネネは、一都市全体の物理法則の維持と修正を任されている。大きな事故が発生しなければ猶予はあるが、万一のことを考えると呑気に休職していられる立場でもない。何より、今現在抱えている魔力熱クラックを排熱しきらなければ、ネネの身体が保たなくなってしまう。

「シロガネ特等ってやばいって噂じゃん……前任のジュエルが解導デコードに耐えられなくなって職務放棄して逃げ出したとか、ジュエルのこと人間扱いしてないとか、とにかくいい話を聞かないんだけど……」
「ね。私も嫌なんだけどさ、他に私の魔力熱クラックに対応できるデコーダーは現在のところ登録されていませんって言われちゃって」
「最近のデコーダーは根性がないな、と言いたいとこだけど、ネネの魔力熱クラック引き受けるにはかなり負荷が大きいだろうなっていうのは想像つくからねえ」

 扱う術式が大きくなれば、魔力熱クラックも比例して大きくなる。ジュエルの魔力熱クラックを引き受けることで、排熱機能を代替するのがデコーダーの役目だが、通常のデコーダーでは多すぎる魔力熱クラックは毒になる。
 もう少し、魔力熱クラックが発生せずに済む術式が編めたなら。
 そう思ってはいるが、現実はなかなか難しい。結局、専属デコーダーを解任し、違うデコーダーに賭けては同じことの繰り返し。とうとう、現在いるデコーダーの中で唯一特等と呼ばれる相手を紹介されてしまったのが、つい数時間前の出来事だった。

「でもまあ、良い噂は聞かなくても、実力は確かなんだろうし。とりあえず会って話はしてみようかな、と思ってるんだけどね。他にデコーダーいないって言われちゃ、仕方ないよねえ」
「えー……本当に大丈夫? 気を付けてよ……」
「仕事するためなら、まあ、ね。突然身体が宙に浮いちゃったらみんな困るでしょ」
「それはそうだけど」

 ネネの一言に、同僚は肩を竦める。先刻自身が口にした言葉に対する返答であることには、気付いているらしい。
 他に特級ジュエルコア・プロトコルがいないわけではない。だが、各々任された都市を快適にすべく働いている。そしてネネ自身、今の都市を任されていることに誇りを持っている。
 ネネが日夜こだわって編んだ術式の下、平穏を守られている都市。この平穏を、崩してはならない。

「……一応明日、シロガネ特等と面会の予定……」
「生きて……」
「頑張るぅ……」

 小さく返して、ネネは再び体を横にした。排熱しきれなかった魔力熱クラックのせいで、まだ体はひどく重い。この不調を解消しなければ、次の術式を編むのが危険であることは、ネネ自身理解している。
 ――どうか、噂通りの人ではありませんように。
 そう願いながら、ネネは目を閉じた。


 翌日。魔力熱クラックで気怠い身体を引きずりながら、ネネは指定された場所へと向かっていた。
枢軸局アクシス中央部、特別処置室。
一級ジュエルエリア・デザイナー二級ジュエルマテリアル・クラフター、そして見習いデコーダーや新米デコーダーの練習台となることが多い三級ジュエルライフ・エディターとは違い、特級ジュエルコア・プロトコル魔力熱クラックはデコーダー一人では処理しきれない場合が多い。その為、特別処置室に施されている術式の力を借りて対応するのが基本だ。かつての特級ジュエルコア・プロトコルが、後の世代の為にと編んで残した術式だと聞いている。時折手の空いている特級ジュエルコア・プロトコルがメンテナンスを行い、術式は十全に効果を発揮している――が、この術式の力を借りても、ネネの魔力熱クラックに対応できるデコーダーはいなかった。
 次に紹介できるデコーダーはもういない、と枢軸局アクシスの担当官には言われている。特等デコーダー、シロガネ=イオ。良い噂は聞かないが、しかし次期枢軸局アクシス局長候補と専らの噂だ。
 ノックすれば、どうぞ、と硬質な男の声。扉を開けば、部屋の奥に腰掛けていたのはミッドナイトブルーのストレートヘアに、ガーネットのような赤い瞳をした男だった。その瞳が、冷ややかにネネを射抜く。

「アザミ特級ですね。どうぞお掛けください」
「初めまして、シロガネ特等。パートナーシップの件でお話しさせていただきたいのだけれど」
「話?」

 ふ、とイオが笑う。どこか馬鹿にしたような笑い方に眉を寄せつつ、ネネは勧められた椅子に腰を下ろした。
 目前にある机の上には、一枚の紙。それは何度も書いたことがある、専属デコーダーのパートナーシップ締結契約書だ。既にイオの箇所は記載されており、魔力印まで押されている。

「契約書の記載を。書き方は御存知でしょう」
「……私、まだあなたとパートナーシップを結ぶなんて言ってない」
「貴女は私しかいないと言われてここに来たのでしょう。結ばない理由がありますか? 会話は時間の無駄です、職務放棄をして強制休職の処分がお望みですか」

 イオは表情ひとつ変えず、淡々と言葉を紡ぐ。確かに今のネネに、イオとパートナーシップを締結する以外に特級ジュエルコア・プロトコルとしての職務を遂行する道はない。だがネネとしては、何も知らないままイオとパートナーシップを締結するのは避けたかった。
解導デコードの方法は、デコーダーによってさまざまだ。だがひとつ、共通していることがある。
 デコーダーの魔力を受け取り、魔力熱クラックを引き取ってもらう。その過程において、ジュエルにとって解導デコードとは、術式を編んでいる脳を無防備に曝け出すようなものだ。
 故にパートナーシップ締結には、試用期間を設けることが推奨されている。一度から数度解導デコードを受けて相性を確認してから、パートナーシップを締結する。その期間もなく早速締結と言われるのは、どうしても抵抗感を覚えてしまう。

「あなたは特等なんだから、腕は確かだろうけど。私を解導デコードしようとしたデコーダーが大怪我をするのを何人も見てきてるのよ。私が慎重になるのは当然のことだと思わない?」
「ああ、二人ほど死にかけたと聞きましたね。一緒にされては困りますが、まあいいでしょう。では一度、私が貴女に解導デコードすれば満足ですか? アザミ特級」
「……まあ……それは、そうね」

魔力熱クラックは今も、ネネの体内に燻っている。一度楽にしてもらえるなら、それに越したことはない。
 成程、と呟いたイオが、宙に手を翳す。瞬間室内に魔力が行き渡り、術式が起動したのが感じ取れた。

「では解導デコードを行いましょう」
「……え、いや、説明とかないの」
「時間の無駄です。やってみせた方が早いでしょう。首筋に触れますので、大人しくしていてください」
「……はい……」

 有無を言わせないイオの口調に、不服ながらもネネは口を閉じた。それを確認してから、潔癖そうな白の手袋を纏った手が、ネネの首筋に触れる。
解導デコードの起動を、感じる。
 一瞬身構えたものの、イオの魔力は静かにネネの中へと入っていく。痛みも熱さもない。これなら何も問題はなさそうだ、と安堵しかけて。

「……っ!? や、ちょ、待って」
「暴れないで」
「嫌だ、待って、やめてってば……!」

 逃れようとしたものの、体に力が入らない――動けない。体内に入ってきたイオの魔力そのものが、ネネに行動を許さない。
 消される。
 一番最初に心の中に浮き上がってきたのは、その言葉だった。日々術式を試行錯誤して編んだ形跡。その術式に込めた想い。平穏への祈り。何もかもが全て、真っ白に漂白されて消し去られていくような、ひどく嫌な感覚。

「……も、やだっ……」
「ご心配なく、終了です。魔力熱クラックは引いたと思いますが」

 イオの声は冷淡だ。す、とその手が引かれ、ばくんと心臓が音を立てた。身体を満たしたイオの魔力は、少しずつネネの中に馴染んでいく。身体が動くようになって、ネネは数度、深呼吸を繰り返した。
 ――嫌だ。
 ただただ、そう感じた。どうしようもない精神的な不快感に、頭痛がする。胸が痛い。
 イオが特等である理由は分かる、腕は確かだ。解導デコード時に発生しがちな苦痛も、熱さもなかった。解導デコードが終わった今も、魔力熱クラックによる特有の気怠さは感じない。久しく忘れていた体の軽さを取り戻していることを考えれば、このパートナーシップ締結は非常に合理的だ。
 それでも、この解導デコードは受け入れがたい。蓄積していたものを、根こそぎ無意味だと捨てられてしまったような。

「……ひっどい解導デコードするのね、シロガネ特等」
「お気に召されないのは勝手ですが、魔力熱クラックは完璧に処理されたでしょう」
「あなたのやり方は、魔力熱クラック以外も消してしまってる……!」

 消された、という思いは残っている。しかし何を消されてしまったのかは、もう分からない。あったはずの場所には、空虚で冷たい空洞が広がっている。
 ネネの言葉に、イオはわずかに首を傾げ。ややあって、ふんと鼻を鳴らした。

「ゴミをまとめて処理しただけでしょう」
「……ごみ……?」
「術式の構築に無駄が多い。だから貴女の魔力熱クラックを受け止められないデコーダーが続出したんですよ。もっと効率の良い職務の遂行をお願いしたいものですね」
「……何が分かるっていうのよ、あなたなんかに……!」

 都市機構の維持。この都市に住む全ての人が、不自由なく過ごせますように。
 そんな祈りも願いも、この男は無駄だと断じるのか。

「これ以上は時間の浪費です。私の解導デコードについては示しました。理解されましたら書類の記載をお願いします」
「嫌だ。あなたなんかを専属デコーダーにしたくない」
「では辞められますか、特級ジュエルコア・プロトコルを。すぐに代替の特級ジュエルコア・プロトコルを用意するのは難しいですから、その間この都市に何か起きた場合、この都市は丸ごと廃棄区画ジャンク・ヤードになる危険性がありますが、貴女はそれで構わないと」
「……それ、は」
「貴女に選択肢があるのですか? 子供のように駄々をこねても、現状は変わりませんよ」

 心底呆れたような溜め息を吐いて、イオの瞳が真っ直ぐにネネを射抜く。冷ややかな赤は、それ以上ネネの反論を許さない。
 分かっている。事実として、ネネに他の選択肢はない。職務に戻るためには専属デコーダーが必要だ。イオのことが気に入らなくとも、その解導デコードがどんなものであっても、彼の魔力熱クラック処理は完璧だった。

「……あなた以外で私の魔力熱クラックに対処できるデコーダーが現れたら、即パートナーシップを解消する。それを条件として提示させて」
「構いませんよ。枢軸局アクシスの担当官にもその意向は伝えておきましょう」
「……っ」

 ――嫌でも、この男とパートナーシップを締結するしかない。
 ペンを手に取り、ネネは契約書に必要事項を記入していく。字が震えているのが見て取れて、余計に指先に力が入ってしまう。嫌だと突っぱねる退路は、この書類上には存在しない。
 最後に署名をして、魔力印を残す。記載を終えて、ネネはイオを睨み上げた。

「……これでいいんでしょう? シロガネ特等」
「結構。それでは今後ですが、貴女のこれまでの職務量から考えると、当面は二日に一回の定期解導デコードが現実的でしょう。それ以外に魔力熱クラックが異常発生するようなことがあれば、必ず解導デコードの連絡を。ああ、私の連絡先はこちらになります」

 パートナーシップ締結契約書が引かれ、代わりに差し出された名刺を受け取ってネネは立ち上がる。これ以上、この男と同じ空間にいることは耐えられない。

「――では、よろしくお願いしますね。アザミ特級」

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