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Colorless Dream End

35

 ずきん、という酷い頭痛と共に目が覚めた。
 
「……ぅあ」 
「あ、茅嶋くんやっと起きた。もうお昼なんですけどー」
「……あー、ごめん……あたまいたい
「完全に二日酔い。飲み過ぎですー」 
「……すいません……」  

 可笑しそうに笑いながら、はいどうぞー、と芹が差し出してくれた水を受け取る。こくりと喉を動かせば、全身に冷えた感覚が行き届いて心地がいい。
 さて昨夜は、と思い出そうとしたものの、どうにも途中から記憶がない。家を出た後、仕事の処理だ何だとしてみたもののどうにも集中できず、食材と酒を大量に買い込んで白石家を来訪したことはさすがに覚えている。名目上は以前、悠時を夜中に呼び出したお詫び、ということで。
 平日だということもあり、訪れたときは悠時はまだ仕事中で家にはいなかったが、芹が出迎えてくれた。事前に訪ねるという連絡をしていたからか、玄関前で仁王立ちの芹に出迎えられたのは正直怖かった。何かあったなということを察知されているのがそれで分かったので、芹にぼやかした内容ではあるが何があったかを説明した。怒られるのも覚悟していたのだが、芹は時々相槌を打ちながらも黙って聞いてくれて。最後に「茅嶋くんは本当に甘っちょろいなあ」という一言だけ言って、仕方なさそうに笑った。
 キッチンを借りて料理を作っている間に悠時も帰ってきて、3人でああだこうだと言いながら食べて飲んでとしている間から、さっぱり記憶が飛んでいる。それほど酒に弱くないとは思っているのだが、どうにも気を抜いて飲める相手と一緒にいるとアルコールの回りが良くなってしまうらしい。

「っ、あー……ごめんね芹ちゃん……、悠時仕事行った?」
「当たり前でしょ、だからお昼だって。私も掃除と洗濯が終わったレベル。茅嶋くんたら真横で掃除機かけても起きないんだから」 
「嘘、そんな爆睡してた? 最近寝不足かなあ……」 
「仕事が立て込んでて疲れてるのもあるんじゃないのかなあと思いますが。お昼食べてく?」 
「いいの?」
「ちょうど今から作るところ」
「じゃあお言葉に甘えようかな」

 幼馴染の嫁にあまり甘えすぎるのもよくないとは思うのだが、しかし相手は芹である。遠慮する方が怒られることは分かっているので、ここは素直に甘えておくべきだ。
 それにしても、頭痛がひどい。さすがに昨晩飲んだ酒は片付けられているが、かなりの量を買い込んだ記憶がある上に、ほとんど空けたような気もする。酒の勢いで余計なことをぼろぼろ喋ってしまっていそうだが、しかし記憶がないので確かめようがない。
 ――恭はあれから、どうしているだろうか。
 少し言い過ぎたかもしれないとは思っているが、しかし今更フォローすることもできない。ショックを受けてへこんでいるところに、追い打ちのようなことをしてしまった自覚はある。しかしいつまでもあの様子では、恭が完全に参ってしまう。自分で自分を追い込んで、そのまま内側に閉じこもってしまっては意味がない。そして今、そこから律が助け出すのは違う――やっていることが、何の意味もなくなってしまう。

「あ、茅嶋くん」
「ん?」
「事後承諾で申し訳ないんだけど、悠時さん、恭ちゃんぶん殴りに行ってるから」
「……、いつ」
「昨日の夜。茅嶋くんがぐでんぐでんに酔ってきてあ、もうこれ記憶なくすな、って思った辺り」
「……うそ」
「ホントに」

 思いがけない芹の言葉に、上手く言葉が出ない。悠時が恭を、どうしたというのか。キッチンから昼食を持って出てきた芹は、普通にテーブルの上に並べていただきます、と手を合わせている。手伝い損ねた、という考えが浮かんで、首を振る。

「ねえ俺何か変なこと言ってた?」
「べっつにー」
「ちょっと芹ちゃん」
「食べないの?」
「食べます」
「どうぞ」
「いやどうぞじゃなくてちょっと」
「あのねえ茅嶋くん。私も妊婦じゃなかったら悠時さんと一緒に行ってたよ。友達が泣いてるの見て、じっとしてられるタイプじゃないの」
「……泣いてた? 誰が?」
「テメエだよ」
「……すいません」

 いらっとした表情の芹に、一瞬後ずさりしつつ。勧められるがまま昼食の前に腰を下ろして、手を合わせる。とはいえ、芹の話は詳しく聞いておきたい。昨夜の自分は一体何をしたのだろうか。
 泣いていた――のだろうか。何せ頭痛がひどくて重い、自分が泣いたかどうかなど全く分からない。二日酔いになるまで飲んだ昨日の自分を恨む。

「ねえ茅嶋くん。家継ぐことになって、焦ってるでしょ」
「……そう……かなあ……」
「焦ってるよ。こうしなきゃいけないああしなきゃいけないって虚勢で凝り固まってて、自分の本心が見えてない。だから酔っ払って馬鹿みたいに泣くんだよ、昨日の茅嶋くんほんっと泣き上戸でちょーうざかった、反省しなさい」
「……ハイ」
「私も悠時さんも、そういうのが茅嶋くんだって知ってるのでいいのですけど。恭ちゃんおこちゃまなので、分かんないっていうか知ってるけど忘れちゃうからね。ちゃんと思い出させといたって、悠時さん言ってたから」
「……それは、お手数をお掛けしました……」

 ありがたいことだが、申し訳ない。それでも、悠時が行ってくれたと聞いてほっとする。あのお節介な幼馴染は、恭を悪いようにはしない。必ず恭に前を向かせてくれると、信じることができる。
 恭に言われたことに関して、律自身は恭を責めるつもりはない。それは本当にその通りで、恭は何も間違ったことを言っていない。この世界に身を置いた結果として、感覚が麻痺している。死んでしまったことを事実として受け入れることに、慣れてしまった。
 後悔ならある。もっと渚の話を聞いていれば。アメリカに行かず、日本にいれば。できることはあった筈だが、しかし結果としてそれはできなかった。そのことに対して自分を責める気持ちはあって、渚を殺した犯人を絶対に捕まえなければならないと思う気持ちもある。嘆き悲しむよりも、怒りの感情の方が遥かに強い。
 ――どうだろうか。芹の言う通り、律のその感情は虚勢で凝り固まった末のものなのかもしれない。自分を殺して、慣らして、そうしなければこの世界で生きていくのは厳しくて、難しい。大人になるということは、感覚を麻痺させることに長けることなのだろうかと考えてしまって、嫌だな、と息を吐く。
 改めて考えてしまう。こんな世界は、恭には向いていない。

「……私は、茅嶋くんの気持ちも恭ちゃんの気持ちもわかってあげられる立場だって思ってるから」
「……芹ちゃん」
「何かあったら頼ってください。……悠時さんずっと心配してるよー、忙しいのは分かってるし私も今は仕事のお手伝いできないけど、茅嶋くんの息抜きには付き合えるし。昨日みたいに」
「……ありがとう。ていうかごめんね、急に押しかけて」
「茅嶋くんの美味しいごはん食べれたので許す」
「やすい」
「身体に気をつけてね、本当に」
「ハイ」


  
 芹にお礼代わりにせめて、と食事の後片付けをしてから、律は白石家を出た。そのまま家に帰ろうかと思ったがしかし、悠時が話をしてくれているとはいえ、今、恭と顔を合わせない方がいいだろう。恭があの状態からどうやって立ち直っていくかは分からないが、律が今できることは彼を信じることだけだ。  
 そうなると、律の行き先は実家しかない。溜め息を吐きつつ茅嶋家に戻れば、椿と桜に迎え入れられ、自室で情報を整理したり処理しきれていなかった仕事の残務処理に追われているうちに、永鳥から「渚の遺体の修復が終わったので家に戻す」と連絡が入った。  
 そうなれば、時間を置かずに葬儀の連絡が入ることになるだろう。知り合いとかなり会うことになるのは目に見えているので、どうにも気が滅入る。『此方』として関わりのある知り合いは皆、渚が『事故』で死んだなどということを聞いても信じないだろう。少し調べれば律が関わっているであろうことはすぐに露見するのも分かっているので、どう誤魔化すかが問題だ。普段であれば手伝ってもらえば済む話ではあるが、今回の件に関してはあまり人を巻き込みたくないというのが正直なところだ。人数が増えれば増えるほど、リスクは増していく。情報を把握しきれなくなるのは、避けたい。  
 さてどうするか。試案に耽っているところに、コンコン、と扉をノックする音。返事をすれば、入ってきたのはモニカだった。  
 
「少し良いですか、リツ」    
「ああ、はい。何?」   
「サクラの件で、私からも少し話をしておこうと思いまして」    
「……ああ、そっか」   
 
 モニカの言葉に、もう一つ抱えている問題を思い出して無意識に溜め息が漏れる。雪乃に言いくるめられてしまった感は否めないが、桜が本当にこの先律の仕事のサポートをするかどうかというのは、律自身が考えなければならないことだ。雪乃の言う、モニカの仕事の負担を減らしたい、という言い分にも一理ある。だが、それと本当に桜でよいのかどうかは別問題だ。  
 
「モニカさんから見て、桜ちゃんはどう?」   
「才能はあるでしょう。サクラは器用ですし頭も良い、一度説明したことはきっちり覚えてある程度応用することもできますし、かなり優秀だと思いますよ。……協会に助っ人に来て頂きたいくらいです」   
「いやそれは勘弁して……」   
「冗談です。……私はユキノの頼みでもありますし、サクラに『仕事』を教えることは構いませんが。リツが乗り気ではないことも分かっています。ユキノは基本的に非常に強引ですから、このままだとリツの意思は無視してユキノの思い通りにサクラに私の仕事を引き継ぐことになりますよ」   
「……分かってるんだけどさ、難しいなー……」    
 
 律にとって、桜は妹ではあるが、しかし妹ではない。兄弟を知らずに育った律としては、どう対応するのが正解なのかは分からない。桜はいつまでも出会った頃の何もできない子供ではない上に、もう高校生だ。律の手伝いをしたいという目標を持って、その将来を見据えている。  
 律がいくら「そんなことのために引き取る算段をしたんじゃない」と訴えたところで、その主張には意味がないだろう。結局のところ、ただ律が心配なだけだ。兄としての立場を取るべきなのか、それとも茅嶋家の次期当主としての立場を取るべきなのか。――どちらにしろ、この家で引き取ってしまった以上、平穏無事とは程遠いのだということを、律自身が自覚すべきなのだろう。  
 守られるだけの立場には、どうしてもなれない。自分の身は、自分で守らざるを得ない。律が恭に課したことも、元を正せばそういうことになる。律の相棒になるということは――茅嶋の人間になると言っているも同義だから。    
 
「……どうすればいいと思う?」    
「私に聞かれましても」    
「正直本当に分かんないんだよ。危険なことはしてほしくないし、俺がしてる仕事の内容を桜ちゃんに教えるのも嫌だし、でもそんな我儘が通用しないことも分かってる。……できることならこっちじゃなくて、椿くんと一緒にお父様の会社手伝ってほしいなーって気持ちもあるし、でも、桜ちゃんが興味持ったのはこっちの世界のことなんだよね……」    
「サクラはリツに恋い焦がれている部分がありますから、それは仕方のないことだと思いますが?」   
「……モニカさんまでそれ言う?」   
「サクラの原動力は貴方への気持ちですから、諦めさせるなら今しかありませんよ。これ以上仕事の内容を深く知ってしまえば、リツの意思とは関係なくサクラを抜け出させることは不可能になりますし」   
「まあ、そうだよね……」    
 
 恋愛というものからは遠ざかって長い。今の律にとっては、それは自身の仕事を達成するための手段のひとつでしかない。いずれは自分の幸せも考えろと言われるのかもしれないが、しかしいつだって、普通に生きていくよりも遥かに一秒先の未来が不確定だ。あまりにも死に近すぎる。死ぬつもりはないが、そういったことを考えないわけにはいかない。誰かを巻き込んで誰かを不幸にしてしまうかもしれない『恋愛』をするのは、どうにも勇気が要る。    
 そしてきっと、今でも玲のことを引き摺っている。玲がそんなことは望んでいないだろうと分かってはいても、時々考えてしまう。律に出会わなければ、玲は死なずに済んだ。二度と同じことを繰り返したくは、ない。  
 
「……リツ、ひとつ言っておきます」    
「何?」    
「感情を殺すことに長けるのは止めなさい」    
 
 きっぱりとした口調で、いつもと変わらない無表情で言ったモニカは――きっと、その中に律の知らない後悔を滲ませている。その言葉に、律は何も言えなかった。  


 
 渚の葬儀は案の定というべきか、知り合いに散々絡まれた。死ぬのではないかと思うほど酒を飲まされ、知っていることを吐けと脅迫され懐柔され、それでも何とか「何も知らない」とシラを切って言い張った。途中に出された酒のアルコール度数については考えたくもない。  
 ――それにしても、『そこ』に本人が『居ない』葬儀というものは、やはりあまり出たいものではないな、と思う。無理矢理に切り離されているかのような違和感がつきまとって、どうにも気持ちが悪いのだ。こればかりはどうにもならない――渚を連れ戻すことができれば、とは思うが、今の渚の状態も分からない。最悪の場合、消滅してしまっている可能性もあるのだ。そうならないと踏んだからこそ、渚は自身を犠牲にする方法を取ったのだろうが。  
 葬儀でちらりと見た恭の顔には、思い切り殴られた痕があり、顔色もそれほど良くはなかったが、心配はいらないだろうという雰囲気でもあった。悠時は本気でぶん殴ったのだなというのが良く分かる。それだけかの幼馴染を心配させてしまったことは、律にとっても反省すべきことだ。  
 何だかんだとありつつも明け方には解放されて、アルコールで重い体を引きずって実家に戻って、ひとまず泥のように寝た。一度寝ないことには、頭が全く動かない。考えなければならないことが山のようにある状態で、アルコールを引き摺っている場合ではない。  
 昼前には起き出して、シャワーを浴びてすっきりさせてから、情報の整理。気にかかるのは、渚の葬儀に奈瑞菜が顔を出さなかったことだ。『仲の良かった同級生』を装うなら、彼女は絶対に葬儀に顔を出すべきだろう。泣くなり怒るなりしておけば、疑いの目も向かない、と考えるべきだと思うが――現れなかったのは、恐らく。    
 
「……こっちの動きがある程度読まれてるよな……」    
 
 既に、誰かしらが『碓氷 奈瑞菜』の正体に気付いたことに気付かれている。それ自体は不思議なことでも何でもない、渚がわざわざ殺されに行ったというのであれば、正体を知っていると言っているようなものだ。そうなれば『もしかしたら既に誰かに話しているかもしれない』と考えるのは妥当な話で、渚が居なくなった今、彼女はわざわざ律たちの前に姿を現す必要はない。  
  彼女が今どうしているかは調査をしておくべきだが、おそらく尻尾をつかむことはできないだろう。まだ大学院に通って『碓氷 奈瑞菜』として生活を続けているのであれば何かしらのアクションは起こせるが、行方不明になっている場合、その正体が分からないこちらとしては追うことが難しい。そうなった場合、追うのであれば渚ということにはなるが、現状手段がない。
  できることはするが、どうしようもなければあちらから仕掛けてくるのを待つしかない。掌の上で踊らされているようで好ましくはないが、できることは限られている。ある程度は仕方がないと諦めざるを得ない――何より、律は個人的にもう一つ、問題を抱えている。
 
「……『幸峰 巧都』の正体も調べなきゃだしなあ……」

 彼に出された宿題を、忘れてはいない。『彼岸』が――『カミ』がヒトの名を名乗っているということは、ヒトに紛れて生きているか、あるいは元々はヒトであった者が『カミ』になった場合の2パターンが考えられる。どちらの場合も基本的に本名や正体は名乗らない。それはその『カミ』にとって、弱点となるからだ。その真名を知ることで『カミ』を服従させることも可能とする者も多い。
 さて、巧都はどちらに当たるのか。幸峰 巧都と『名乗っている』と言うくらいだ、偽名は偽名なのだろう。玲のことを知っていて、律のことを知っている、そしてその名前。律に与えられている情報は、現段階ではそれだけだ。あれほどの力を持った存在で、律や玲と共に大学に所属していたわけではないだろう。もし生徒や講師として紛れていたら、かなり鈍くないかぎりは気づく。彼が本気で自分が『彼岸』の存在であることを隠せば、分からない可能性がないわけでもないが。
 何にせよ、律はあの銃を取り返す必要がある。その辺に転がっているようなものではない、あれは玲が使っていたものを土台として、 簡略化して魔術を展開する為に複雑な術式を埋め込んである。手元にあるのとないのでは、取れる方法が大きく変わってくる。魔術を展開するスピードは昔に比べればかなり上がったと思ってはいるが、しかし律が普段魔術を使っているのは利き手ではない。左手でもそれなりに使えるとはいえ、それは大きなハンデでもある。銃で補っている部分は大きい。
 そこまで考えて、溜息。現状、優先してできることは。
 
 「……とりあえず桜ちゃんと話すか……」

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