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Colorless Dream End

33

 その後、モニカから大量の報告を受け取り、律は律でモニカに大量の報告をモニカに上げた。その後、一緒に夕飯でもと誘ってくれた椿と桜には申し訳ないものの首を横に振り、律は自宅へと向かっていた。送ってくれるという伊鶴の言葉に甘えて車に乗せてもらい、報告書に目を通す。
 電話で事前に聞いていた情報を、更に細かく分析したもの。やはり旭 理美は養護施設にいた子供たちを様々な方法で殺害していた――そして、露見した際は『シャロン=マスカレードが行った』ことにしている。故に、彼女はシャロン=マスカレードに許されなかったのだろう。名を騙り、子供を殺し続けた悪魔は、シャロン=マスカレードによって断罪された。
 響はそのことを知らない。しかし一人、恐らくそのことを知っていたであろう養護施設の出身者がいる――モニカの情報源はどうやらその人物のようだった。辺見へんみ大樹たいじゅ、デイトレーダーで生計を立てている『魔人』。伝手を繋いでもらった方がいいだろうなと考えているうち、車はマンション前へと辿り着いていた。
 伊鶴に礼を言って車を降りて、外から自分の部屋を見上げる。電気は点いていないようで、真っ暗だ。恭はバイトだろうか。時計を確認して、まだバイト中でもおかしくはない時間であることを確認する。ラストまで仕事をしているとすれば、恭が返ってくるのは0時前後だった筈だ。
 エレベーターに乗って上階へと上がり、自分の部屋の鍵を開けて。がちゃりと扉を開けた瞬間、中からがたりと音が聞こえて、律は眉を寄せた。

「ただいま。恭くん、いるの?」

 いるとすれば一体、こんな時間まで電気を点けずに何をしているのか。電気を点けると、照らし出されたのは見慣れた自分の部屋だ。若干散らかってはいるが、目くじらを立てるほどのことでもない。いつもと違うのは、自分の部屋に繋がるドアの前に座り込んで、泣き腫らした目で呆然と律を見る恭がいたことだ。
 どうして泣いているのか。一体何があったというのか。どう見ても弱り切っているような恭の姿に、さすがに動揺する。

「……りつ、さん」
「どうしたの……何かあった?」
「まつざき、せんぱい、が」
「渚くん……?」
「ッ……」

 ぶわ、とみるみるうちに恭の瞳に涙が溜まる。これほど泣き腫らした顔をしているのに、まだ。渚が一体どうしたというのか。嫌な予感――を通り越して、これは確信だ。知らない間に、何かが起きている。
 泣き出して言葉にならない恭を見かねたのだろう。恭の隣に置かれていたスマートフォンの画面から、ひょっこりと『分体』が姿を見せる。白いもやもやからぴょこぴょこと出ているのは、慌てたような顔文字。

「ぶんちゃん、何があったの」
『3時間前、姫氏原 永鳥から連絡が来てん』
「永鳥さん? 修行してたっていうのは聞いたけど。何て?」
『アイツの『仕事』の現場で、バラバラ遺体が見つかったらしくて。即こっちの世界の事件やって分かるような状態やったらしくてな、即報道規制は敷かれてて全然表には出てへんねんけど……』

 そこで『分体』も言葉に詰まる。それだけで、言われなくても分かる。その遺体が渚のものだった――ということだ。一体どうしてそんな事態になっているというのか。少なくとも律が話を聞いたとき、そんな状況に陥るとは思えなかった。手出ししなければ、渚が殺されるようなことにはならないと踏んだ。
 見誤った。――渚は、手を出したのだ。自分の同級生を殺した犯人に。

「な……にやってんのあの子……!?」
『元々松崎の奴は殺されるつもりで行ってる。『ケンゾク』になるつもりっぽかったけど、全貌は何も分からんのや。茅嶋はその辺何か聞いてないんか?』
「むしろどこまで知ってるの、俺そんなの全然知らないよ……そもそも話も途中で途切れちゃってたしさ……」
『そんなもん茅嶋に言うたら本気で止められるん分かってたからやろな……。松崎は恭にしか言うてへんて。碓氷がニセモノで、本物は殺されてるって話は聞いた』
「そ、っか……」
「……りつさん、なんで、なんもおしえてくんなかったんすか……」
「……恭くん」

 泣きながら、けれど心底悔しそうに。絞り出すように、恭が呟く声が胸に痛い。こんなことになるとは思っていなかった、というのはただの言い訳にしかならない。それに、渚に聞いた情報の中には恭に話すわけにはいかないことも含まれている。しかし、今の恭にそんなことは関係ないだろう。何を言っても無駄だ。
 ここで慰めるのは簡単で、本来であればそうするべきで。しかし今ここでそうすることで、恭をここで立ち止まらせるわけにはいかない。

「……渚くんは覚悟を決めたんだよ、恭くん。俺や恭くんがとやかく言えることじゃない」
「でも、何で松崎先輩、死ななきゃいけないんすかっ……、こんなの、こんなの」
「俺だって、皆を守る為に俺が死ぬしかないと思ったら、死ぬよ」

 思ったより冷淡な声が出たことに、自分でも驚いた。目を丸くした恭と目が合って、律はゆっくりと瞬く。自分で動揺してしまったことを、恭に悟られてはいけない。彼には教えておくべきことだ――これが、律の隣で『仕事』をしていくということだ。この世界がどれだけ『死』と隣り合わせなのか、命が軽んじられてしまうのか。恭は命を落としてしまっているからこそ、きちんと理解しなければならない。
 やめておくのであれば、もう今しかない。だからこそ律は、恭を突き放している。それでも食らいついてくるのではないかと思ってはいるが、恭という人間を駄目にしてまでこの世界にいてほしいとは思わない。恭は律とは違う、普通に生きていくことを許される。律のように――あるいは椿や桜のように、家の名を背負うことを義務付けられて生きたことなどないのだから。

「……永鳥さんのところに行ってくる。帰ってくる頃にはもうちょっとしっかりしてて」
「ッ……、何で」
「知らなきゃ、何も分からないままだから。生きている限りは進まないといけないんだよ」

 ――起きてしまったことは変わらない。律も、そして恭も、渚を止めることができなかったという事実は、変わってはくれない。
 背負うものは同じだからこそ、ここからどうするかが問題だ。立ち止まるわけにはいかない――渚の犠牲を無駄にするわけにはいかない。そんな後悔をしたくはない。
 そうやって生きていくことしか、できない。


 姫氏原の家に連絡を取って永鳥の居場所を確認し、律はすぐに家を出た。恭のことは心配だが、今は連れていくわけにはいかない。過保護になるわけにはいかない、律は常に恭の傍にいられるわけではないのだ。あの様子では憂凛に連絡を取ることもしていないだろう。渚のことであれば、憂凛にもショックが大きい出来事だ。とはいえ、いつまでも隠しておけるようなことではない。
 せっかく送ってもらったのにな、と思いつつもタクシーを捕まえて、現場に向かう。目的地の少し手前で降りて、そこからは徒歩で。明らかに雰囲気の違うその場所に足を踏み入れた瞬間、ぶわりと目眩ましのように律の周囲に舞う白い花弁。直後、殺気を纏った鋭い刃が律の喉元に突きつけられていた。律は一切身構えず、体の力を抜く。少しでも臨戦態勢を取れば、このまま喉を掻っ切られるであろうことは知っている。

「……おや。茅嶋くん、お久しぶりです」
「どうも。……刀、ヤなんですけど」
「失礼を」

 にこりと微笑んで、相手――永鳥は刀を引いた。流浪の侍のような出で立ちは、彼が既に『変身』状態であることを示している。
 喉元への刃は、いつもの永鳥の挨拶のようなものだ。趣味が悪いなとは思うが、永鳥にとっては家族以外、いつ的になってもおかしくないという考え方をしていることも知っている。仕事で敵対することがあれば、『此方』も『彼方』も『彼岸』も関係なく、斬り捨てる。

「帰ってこられたんですね」
「ちょうど今日戻ってきたところです。俺がいない間恭くんがお世話になったみたいで。……永鳥さん、ちょっとご説明いただきたいんですけど、本件何で恭くんに報告されたんですか」
「単に被害者のことを調べていたら彼の知り合いだということが分かったので、それで連絡を取っただけですよ。ショックを受けていましたか」
「かなり。……それ、永鳥さんの教育方針ですか?」
「茅嶋くんが過保護すぎるんですよ。彼を相棒にするつもりでいるのなら、甘やかすのはいかがか」
「……そう言われると返す言葉はないんですけどね」

 どうしても、恭を甘やかしてしまう自分には自覚がある。だからこそ一度突き放すことを決めたのだから。恭と永鳥という組み合わせはどう考えても相性は悪い。だからこそ、律と一緒にいるよりはこの世界の現実を知ることにはなるだろう。
 しかし、それでも。どんな理由があれ、恭と渚が知り合いだということに調べがついたのであれば、『茅嶋』を通すことも永鳥にはできたはずだ。敢えてそうしなかったのは永鳥なりの意図がある。ショックを受けている今の恭を見た後だ、どうしても責めたい気持ちが表立ってしまうが――仕事だ。私情は挟めない。

「一応、過ぎた真似をしたことに関しては私にも非はありますが。近しい人間の死を乗り越えられずしてこの世界で生きていくのは不可能でしょう。言い方は悪いですが、良い機会です。死を見ずしてこの世界は生き抜けない」 
「……近しい人間と言うのであれば、彼は姉を亡くしてますよ。調べはついているんでしょう?」
「ええ、知っています。けれど恭くんの姉の死、というのは、彼がこの世界に足を踏み入れる前のことでしょう。寧ろそれは貴方が乗り越えるべき壁だったのでは?」 
「言ってくれますね」 
「そういう性分なもので」 
「相変わらずで安心しました。恭くんのこと、宜しくお願いします」 

 頭を下げれば、可笑しそうに永鳥は笑う。言外にまた過保護だと思われているのだろうが、そこは気にしないことにする。どうしたところで、律には恭の面倒を見る責任がある、とは思っている。それを一時的にでも永鳥が引き受けてくれるというのであれば、保護者としては当然のことだ。
 ――そして問題は、本題だ。

「世間話はこれくらいにして。申し訳ないですが状況を簡単に説明して頂いても?」 
「勿論。要人警護中、夜の移動の際に上から降ってきたんですよ――松崎 渚くんの大量の骨が」 
「骨?」 
「悪趣味な悪戯で何かの玩具か標本かとも思ったのですが、明らかに人骨でした。任務中の事態ですから、私は犯人を探さねばならない。故にまず誰の骨なのか、から調べていたのですが、調べていくうちに今度は内臓が見つかりました」 
「……つまり、バラバラ遺体というのは」 
「骨と内臓が部位毎にバラバラにされ筋繊維や脂肪、それに皮膚なんかは全て剥がれた遺体、ですね。美しく異様で猟奇的な遺体です。通常バラバラ遺体が指すのはパーツ毎のことかと思いますが、彼の場合は中身がバラバラです。とはいえ遺棄が面倒なのかそれとも喧嘩を売っているのか、骨も内臓も一箇所でほぼ全て揃って、一人の成人男性が出来上がり、結果松崎 渚に辿り着いたという訳です」 

 顔色ひとつ変えず、永鳥は淡々と事実を説明していく。内容を聞けば、律にもすぐにこちらの世界の事件であると判断された理由は分かる。
 喧嘩を売られている。渚を殺したということを、わざとこちらに示してきている。
 しかし、分からないこともある。永鳥は今まで、一切この件に関わりがなかった人間だ。確かに律と永鳥は何度か共に仕事をしたことはあるが、繋がりとしてはそれだけだ。そして恭が永鳥と知り合ったのは、つい最近ということになる。
 その事実が示すのは――恭の現状は、恐らく、相手に筒抜けということだ。

「……永鳥さんは犯人の思う通りの行動をしたってことになりますね」 
「私がですか?」 
「ええ。恐らく相手の狙いは恭くんだと俺は考えてます。けれどそんな中身だけの遺体を見ても恭くんには渚くんだと調べる方法がない、だから代わりに永鳥さんを使った。貴方なら恭くんに伝えるだろう、と」 
「成程。それは面白くない推測ですね。で? 狙いが恭くんだという理由は何でしょう?」
「……相手は、恭くんを堕としたいんですよ」 

 恭を『彼方』に引き摺ってしまえば、恐らく犯人の筋書きは完成する。 
 だからこそ、響はずっと恭を『彼方』の人間にするために動いていた――動かされていた。響の目的のために動いているようでいて、実際恭を『彼方』の人間にしたかったのは別の誰かだ。碓氷 奈瑞菜という人間になりすました、得体の知れない『何か』。

「……茅嶋くん、君は一体何を知っているんです?」 
「何も知りませんよ。……何も分からないんです、まだ。本当に」 
「まだ、ね……。まあ良いでしょう」 
「ところで永鳥さん、さっき遺体は『ほぼ』揃って、と言いましたよね。足りないパーツがあるんですか?」 
「心臓です」 
「……心臓」 
「依代か、それとも傀儡にする為の核か。そのようなものに心臓を使っているのでしょうね、何処かの誰かが。遺体を御覧になりますか? 一見して『誰か』を判別出来る状況ではありませんが」 
「……後で確認させていただけますか」 

 ――最悪だ、という思いを噛み殺す。恐らくそれは、渚の狙い通りでもあるのだろう。犯人に辿り着きやすくするための道を作ってくれている。しかし、心臓を持っていかれているのなら――そしてそれを『核』にされるのなら、渚は恐らく今までと何も変わらない。何も変わらない状態で『何か』の手先として動かされることとなるだろう。そしてその存在は、恭を『彼方』に引き摺るために使われる。
 まだ、『何か』の掌の上にいる感覚が抜け出せない。まだ何も足りない。

「渚くんの遺体、見れる状態にまで修復することって可能でしょうか?」 
「伝手を当たれば。そうですね……そうしてからご家族のところへ返す、が正解ですね」
「死因もどうしか取り繕わないと……殺されたなんて言えないし……全く」
「案外冷静ですね。取り乱す茅嶋くんが見られるかも、なんて少し思いましたけど」
「冷静ではないと思います、隠蔽工作にはそこそこ慣れてきましたけど。……今、俺、結構怒ってますよ」
「犯人に?」
「……何の相談もなく勝手に死んだ彼に、ですかね」

 これしか方法がない、そう渚は判断したのだろう。渚は、彼の大切なものを守るために、その道を選んだ。律にそれを批判することはできない。しかし、少しくらい相談してくれてもよかったのではないかとも考えてしまう。それができなかった渚の気持ちも分かってしまうので、責められない。
 これから渚が調べたことを紐解いて、そして『彼岸』になってしまっているであろう渚を探して。そして彼が望んだこととは言えど、誰かが渚に手を下さなくてはならなくなるだろう――かつて、律が『赤い部屋』と化した柳川 玲に手を下すことになったときのように。

「ああ、そうだ。茅嶋くん、先に言っておきますが」 
「はい」 
「恭くんが堕ちたら、私は彼を殺しますよ」 
「……、構いませんよ」 

 律の返答に、面食らったように永鳥は瞬いた。分かっている、永鳥はそういったことに容赦はしない。『彼方』になるようなことがあれば、危害だと判断されれば、殺されるだろう。――構わない。律の口元に浮かんだのは笑みだ。それは虚勢ではない。

「有り得ないので、そんなことは」

 恭のことを、信じている。引き摺られたりはしない。律を置いていかない――そう、信じている。
 ただ願うのは、それが律の勘違いでないことだけだ。

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