遺体が消えた話 02

Session Date:20200918

「怪我の治療は無事に終わりましたけど、一晩様子見はした方がいいですね。じゃあ帰っていいよ、は茅嶋さんとしてもまずいでしょう」
「はい、ありがとうございます。さっすが鹿屋先生」
「おだててもこの間診察ドタキャンした件については許しませんよ」
「それはわざとじゃないので許してほしい……」

 病院にて。
 律と恭の主治医である鹿屋 琴葉が治療を終えた後、律は病室の前でどうしたものかと溜め息を吐いた。陵から聞いた情報によれば、女子高生らしき女の子は倉木 晶。日本では高名な魔術師一家だった麻宮の分家筋の人間に当たる。律と陵のことを見張っていた女性は倉木家の使用人で、小林 美優。こちらはごくごく普通の一般人で、晶の世話役をしていたばかりに巻き込まれてしまった、ということらしい。
 さてどうするか、と律は試案する。一応琴葉の方から治療中にいろいろと尋ねてくれたようだが、完全に黙秘しているとのことだった。もし律を――茅嶋家を狙ってのことであれば、律が直接問い質すのはあまり得策とは言えないだろう。美優の方は精神的なショックが強く、今は鎮静剤で眠らせているとのことで、どちらにしろ話は聞けない。
 陵からは「縁があるようなので、徹に頼む手もありますよ」と言われたが、それは断った。現状どうしても『彼岸』の力を頼らなければならない事態でもない。何より、相手が麻宮の家系の人間であるならば、情報収集の伝手がないわけではない。立場上下手に『彼岸』を頼ることで、縁を強くし過ぎるのは憚られる、という事情もあるので。
 スマートフォンを操作して、呼び出したのは恭のアドレスだ。恐らく憂凛と過ごしているだろう今電話するのは悪いな、と思いつつも電話をかけると、すぐに恭は電話に出た。

『もしもーし? どしたんすか? 今日休みっすよね?』
「うん、そうなんだけど。恭くん、悪いんだけどちょっと連絡取って確認してくれないかなーー」


「ふんふん、じゃあ倉木? 晶ちゃん? って人のことをらっちっちに聞けばいいんすね?」
『そうそう。悪いけどよろしくね』
「てか律さんが知江ちゃんに聞いちゃえば早いのでは?」
『俺が麻宮の当主に直接連絡取ったらまーた茅嶋の当主の圧がえぐいだの怖いだの言われるからやだ』
「……実は気にしてるんすね?」

 圧が強いのも怖いのも事実だと思う、と言いかけて、恭は言葉を飲み込んだ。あれはあれで律のひとつの仕事のやり方であることを知っている。立場を利用している、プライドと虚勢。大変だなあと横で見ていて思うのだが、最近律が力を借りている『彼岸』である幸峰 巧都に言い回しや雰囲気が似てきていたりもするので、性質的に影響を受けているのかもしれない。
 じゃあ頼むね、という言葉と共に電話は切れた。首を傾げつつスマートフォンから耳を離したタイミングで、憂凛がどうぞ、とカフェオレを差し出してくれる。

「あれっ。ありがとゆりっぺ」
「どういたしまして。お仕事?」
「ん-ん、ちょっと電話だけ。ごめん」
「気にしなくていいよ、そんなこと」

 洗濯取り込んでくるね、と笑って憂凛は部屋を出ていく。気を遣わせたなあ、と苦笑しながら、恭はスマートフォンを取り出した。同時にぴょこんと白いもやもやが画面上に現れる。

「ぶんちゃんー、邪魔ー」
『邪魔とは何や邪魔とは! 恭をそんな子に育てた覚えはありません!』
「育てられた覚えねー……」
『マジレスすな。禮知に連絡するんか?』
「うん」

 律が連絡を取ってほしいと頼んできたのは、麻葉 禮知。現在麻宮家の当主を務めている麻葉 知江の兄に当たる人物だ。

『ホンマお前は何であんな奴に懐いてるんや……』
「らっちっちいい人だよ?」
『お前はすーぐそういうこと言うからな……』

 困惑した顔の顔文字を頭の上に浮かばせてから、白いもやもやの姿がふっと消える。心配されていることは分かっているが、恭にとっての禮知は『友人』の位置づけだ。『分体』に小言を言われたところで、付き合いを止める理由は特にない。
 アドレスを呼び出して電話をかけると、かなり長い時間コール音が鳴った後に途切れた。もしもし、と聞こえた声は不機嫌だ。

「あ! 電話出てくれた! 久しぶりー」
『……お前からの電話は出ないと何百回と鳴らすだろうが……』
「そんなかける前に出てくれるじゃん! てか話あるから電話してるし!」
『俺はねえよ』
「冷たいなー。えと、ちょっと聞きたいんだけど、倉木 晶ちゃんって知ってたりしない?」
『あ? 何でお前からその名前が出るの? あれ以降お前とは何の関係もなくない?』
「……あれ以降? ん? 何かあったっけ?」
『お前のその脳の記憶容量の微妙さ何なんだよマジで!?』

 苛立ちながらも、禮知は恭は以前関わった事件のことをかいつまんで説明してくれる。聞けばそんなこともあったな、と思い出せる事件だ。インターネットに書き込まれたひとつの書き込みから恭が関わることになった、倉木の家に関する一件。

「あー、そっか。イッチがいたおうちか。あれ? イッチって倉木さんだったっけ?」
『いや違うけどその辺はツッコミ入れんなどうせお前分かんねえしめんどくせえわ』
「むう」
『んで? 倉木 晶が何だって?』
「何かね、今律さんのところに来てるらしいんだよね」
『は? え? 何の用で? 来てる? 茅嶋家に?』
「いや、俺も詳しいことは全然知らないんだけど」
『じゃあちょっと電話代わって、自分で聞くから』
「あ、ごめん俺今家にいて。律さんと一緒にいるわけじゃなくて、らっちっちに連絡取って聞いてって言われて連絡しただけで」
『何なんだよそれ!?』
「ごめんってほんと」

 そもそも聞いてほしいと頼まれただけなので、恭には詳細はよく分からない。恭の反応で怒っても仕方ない、ということは禮知にも伝わったのだろう、電話の向こうで特大の溜め息が聞こえた。

『……こっちから連絡取らせてもらう、って伝えといて……』
「はあい。ありがとね、らっちっち」


「……だーから恭くんから禮知くんに連絡取ってもらったのに……結局こうなる……」
「最初からそうすればよかったじゃないですか」

 病室近くのロビーにて。
 電話を切った律のぼやきに、陵はやれやれとでも言いたげに肩を竦める。恭から連絡が返ってきた数秒後には、律の電話が鳴っていた――相手は麻宮現当主である知江である。状況を説明すると謝罪に伺うと言って聞かなかった。別に大丈夫だよ、と何度伝えても死にそうな声で申し訳ございません、と繰り返していたので、彼女にとっては全く大丈夫ではないのだろう。
 知江から取り急ぎ聞き出せた話によると、麻宮家の復興を目論んでいる分家筋の人間が倉木の娘に接触しており、その後使用人と共に行方不明になっていたとのことだった。どうやらそれが晶と美優のことらしい。

「で、これ何で丁野先生巻き込まれたんだと思う?」
「どう考えても偶然でしょう」
「偶然巻き込まれるか普通? 実は『彼岸』のクセに?」
「そこが彼らしいと言えば彼らしいですよね」

 だらだらとそんな雑談に興じていれば、がつんがつんと杖らしき音が派手に廊下に響き渡る。音がした方に視線を向ければ、慌てた様子で知江と執事風の『彼岸』がこちらに向かっていた。

「知江ちゃんあぶな、」
「この度は大変申し訳ございませんでした!」
「ええー……」

 彼女は諸事情により義足である。危ないだろうと声を掛けようとした瞬間、謝罪の言葉と共に律の前に知江が土下座する。あまりのことに陵と顔を見合わせて、律は慌てて屈み込んだ。床に額を擦りつける勢いの彼女の耳に入るかどうかは分からないが、別段律は彼女に謝罪を求めていたわけではない。

「ち、知江ちゃん? 顔上げてもらって……?」
「本当にこの度は麻宮に連なる家の者が多大なるご迷惑をお掛けしてしまい誠に申し訳ございませんでした、この責は」
「いや落ち着いて落ち着いて!? とにかく顔上げて、ここ公共の場!」
「もう何とお詫びしてよいか……」
「別に俺は大した迷惑被ってないから。ね、そんなに謝るなら今度桜と買い物にでも行ってあげて、喜ぶからさ」

 畏れ多い、とぶんぶん首を横に振る知江に苦笑して、律はちらりと病室の方に視線を向けた。恐らく彼女はこのまま晶に話を聞きに行くつもりだろう。この様子では、同席すると言っても拒否される可能性は高い。何より他所の家の中の話だ。
 立場的にも、律はあまり関わるべきではないだろう。偶然であれ故意であれ、律自身が直接被害に遭っているわけではない――この先遭う予定だったのかもしれないが、それは未遂で終わっており、そうであれば手を出す必要はないからだ。
 だがしかし、「じゃあこれで」と言うことはできない。こうなった経緯は知る必要がある。

「……申し訳ないんだけど今回の件、警察が関わっちゃってるからそれなりに整合性の取れる『事実』を報告しないといけないんだけど、肝心の理由が黙秘されてて分からなくて」
「責任をもって、私が必ず茅嶋様にご説明させていただきます」
「うん、ちなみに暴力的な解決は勘弁してね」
「……ええと」
「せっかくちゃんと治療してもらってるから、『ヒーラー』の人たちの働きを無下にするのはとっとね。怒ってるのは分かるけど、できれば穏便に」
「……承知いたしました」

 深々と律に頭を下げて、知江と執事風の『彼岸』は病室の中へと入っていく。その背を見送って、これも圧が強いと言われるのだろうかと悩みつつ溜め息を吐く律に、陵が笑った。

「肩でもお揉みしましょうか? 御当主様」
「……勘弁してください大丈夫です……」
「大変ですねえ」
「俺は敵対意思がない人とは仲良くしたいと思ってはいるんだけどね……」


「それではー、丁野先生の復活を祝して……祝して……?」
「できれば祝してほしい」
「じゃあ祝して。かんぱーい」
「はい、乾杯」
「……なあ中御門さん、茅嶋くんは一杯呑んでから来たのか?」
「最近ゆるっとしてるときは大体こんな感じじゃないですか?」

 数日後、とある駅前の居酒屋にて。
 英二の奢りで、という話で、スケジュールが合う日に3人は集まっていた。先日の事件のあらましの報告会、という名目の飲み会だ。どちらが主体なのかは目に見えている。

「で? 麻宮の事件だったんだろう?」
「うん。分家が麻宮を復興させようとしてて、そのためにプライドの高いお嬢様を煽って無理矢理『ソーサラー』に仕立て上げ、猟奇殺人事件を起こすことで俺を引き摺りだして殺してしまえ、っていうのが目的だったみたい。茅嶋を殺せば箔がつくからって。そんな回りくどいことしなくても直接喧嘩売ってくれたら買うのに、何でそういう勇気はないんだろうね?」
「正面切って茅嶋さんに挑んだら即座に返り討ちにされるのが分かっているからじゃないですか?」
「俺はそんなに強くないんですよ案外……」

 はあ、と不貞腐れた溜め息を吐いてビールを煽る律に、陵と英二は顔を見合わせる。どうにもこうにもツッコミは入れづらい。普段は立場も手伝って上に立つ者らしい台詞を口にすることの多い律だが、どうにもこういった呑みの席になると自己評価の低い発言をしがちだ。

「ま、それで知江ちゃんはキレてた……俺に直接喧嘩売ってくれていいよって言ったら真っ青になってたからあれは申し訳じゃなかった……」
「茅嶋に喧嘩を売ったら焼け野原も残らないからな」
「それくらい残るでしょー。すいませーんビールおかわりー」
「こら、ペース早いですよ?」
「いーのいーの。でも笑ったのが、丁野先生が巻き込まれた理由がさあ、お嬢様の使役してる『彼岸』が『子供を惨殺する』っていう性質のあるろくでもないやつで、そして狙って丁野先生が襲われたってわけじゃないってことだよねえ」
「こども」
「子供ですか。まあ丁野さん、警察にも高校生かと思ったって言われたって話でしたもんね」

 喋りながら堪えきれなくなり、口元を押さえて笑い続ける律と、律の言葉にうんうんと納得したように頷く陵。憮然とした顔で二人を見た英二は、黙々とワインを呑み進める。拗ねた、とけらけらと律が笑い、睨んだところで陵に頭を撫でられる。眉間の皺を深くして、英二は大きく溜め息を吐いた。

「ま、麻宮のことは麻宮の問題だし、俺が口出すことじゃないからね。向こうの決まりに従えばいいんじゃないかな。というわけで何か文句あっても俺に言われても困るし、そもそもあれくらいのに負けて殺された丁野先生ってばおちゃめ」
「ちょっと手加減してやっただけだ」
「手加減して殺されてどうするんですか……」
「あはははは」
「ははははは」

 楽しそうな律の笑い声と、明らかに乾いた英二の笑い声がkさなって、陵はこっそりと溜め息を吐く。この様子であれば、今日も二人とも酔い潰れてぐだぐだになってしまうのだろう。神社に泊まる旨を連絡しておいた方がいいかもしれない。桜にも、と思ったが、その辺りは律がきちんとしているだろう。こんな酔っ払いの姿を見せると心配させてしまう。或いは桜の顔を見た瞬間正気に戻るかもしれないが、確証はないのでやらない方がいい。
 そういえば、という言葉と共に、事件の話からまた別の話へと話題は切り替わる。ああだこうだと笑いながら、宴会の夜は更けていき。

待ち受けているのは、二日酔いの朝である。