魔術師になれる教室の話 03

Session Date:20200315

 物置の状態を説明していると、アクティブスペースにいた生徒の一人がやたらと挙動不審であることに気が付いた。各々怯えているのでその少年も同じようなものかと思ったが、それにしては様子がおかしい。膝を抱えて座ったまま、視線がおどおどと泳いでいる。つん、と恭をつついて少年の方を指差せば、少し首を傾げてそのまま少年の前にしゃがみこんで視線を合わせる。……ものの、合っているようには見えない。

「どした? 大丈夫?」
「わあああああああ!?」
「えっなに、大丈夫だよちょっと落ち着いて? ねえ?」

 話しかけた瞬間、奇声をあげて立ち上がった少年につられるように恭が立ち上がって。落ち着いて座らせようと手を伸ばせば、その手は払い除けられ。

「だって先生がそうやったら魔術師になれるって言った!」
「えっ」
「先生が言ったんだ! 俺は悪くない! 悪くないんだ!」
「わっ、分かった分かった悪くないよ、俺まだ何も聞いてないし、ゆっくり話しよ、な?」
「わああああああ!」

 少年は完全にパニック状態に陥っている。宥めすかそうとする恭――の視界に移ったのは少年が取り出したカッターナイフ。条件反射で後ろに下がった恭はそのまま体勢を崩すことなくカッターナイフだけを蹴り上げ、人の居ない方へと飛ばす。ほっとしたのも束の間、次の瞬間、今度は少年の体が吹っ飛んだ。
 目を点にする恭の前で、壁にぶつかった上両手足が有り得ない方向に曲がっり、見えない力にぐしゃりと押し潰された格好になった少年は、体中から流血してそのまま意識を失って床に落ちる。一瞬の静寂の後、狂乱に支配される室内。頭を抱えつつも大騒ぎになる人々を落ち着かせようと動いた陵をよそに、ぐるりと振り返った恭が声を荒げた。

「アリスちゃん!? 何やってんの!?」
「だってアイツが恭くんにカッターなんて向けるから……恭くんに刃物向けるだなんて許せる訳がないでしょう」
「何当たり前みたいな顔してんの!? 俺助けてって言ってない! 無傷! 何!? 俺にナイフ向けるよりひどいことしてない!? 何でアリスちゃんそういうことすんの!」
「確かに怪我はしてないかもしれないけど! でも! アイツが悪いでしょう!? 恭くんだって何かあったらお願いって言ったじゃない!」
「あれくらいは何かあったらの部類に入らないから! 何の為に俺対ナイフ戦の修行してっか忘れてない!?」

 ぎゃあぎゃあと言い合う恭と『アリス』を背後にしつつ人々を移動させ、陵は深々と溜め息を吐く。今の恭は恐らくあまりの出来事にすっかり忘れているが、一般人に『アリス』の姿は見えない。例外は混じっている『彼方』の女の子くらいのものだろう。少年が超常現象に見舞われ恭が虚空に向かって怒鳴っている様子はどう考えても普通ではなく、帰りたいと泣き出す者まで出てくる始末である。
 大惨事だ、と頭を抱えつつ、陵は少年の様子を確認する。辛うじて息はあるようだが、このままにはしておけないだろう。『アリス』のやったことであれば『ヒーラー』が手配出来れば治療は可能だろうが、と思いつつ、着物の上着と物置にあった資材を使って応急処置を施す。

「もう何も話聞けないじゃんアリスちゃんのばか……」
「だって恭くんが危ないと思ったんだもの」
「やり過ぎだしやっていいことと悪いことがあるでしょ!」
「アイツが先にやったのよ!」
「……やな……、舎弟それいつまで続きます……?」

 いつまでもヒートアップしていそうな言い合いに声を掛けると、ようやっと我に返ったのだろう、はっとして周りを見回した恭の口からああ……と何とも言えない声が漏れた。恭の気持ちは分からなくもないが、この状況は最早どうしようもない。

「……もういいもんアリスちゃんのことはゆりっぺに言うもん……」
「何で憂凛に言うの……!?」
「はー……なかっ……組長その子のこと若頭に報告しなきゃ……」
「そうですね、応急処置はしましたが治療出来る人を回してもらわないと。……それにこの子が言っていた『先生』も気になりますね」
「……そーいや、いない気がする」

 あんまり覚えてないけど、と言いつつ恭は室内にいる人々を見回す。大体寝ていたとはいえ、流石に授業をしていた講師くらいは覚えているつもりではいたが、どうにも顔は思い出せない。しかしそれらしい人はどうにも見当たらない。

「……『先生』は人ではなかったかもしれませんね」
「あー……なるほど?」
「となると……、……若頭の了承は得ておきましょう」

 後片付けを律に任せることになるなら、勝手なことをするよりも許可を取っておいた方が良い。電話を掛けると、1コールも鳴らないうちに律は電話に出た。掻い摘んで状況を説明すれば、疲れ切った乾いた笑い声が返ってきた。気持ちは分からなくもない。
 何より律の場合、「まあアリスちゃんが居るから」で恭を放任していることも多い。実際、恭に危害が加えられた訳ではない。但し、未遂で大惨事は引き起こされている。

『……まあアリスちゃんの教育は憂凛ちゃんに任せるとして』
「若頭が手を出したら妖怪大戦争になりそうですもんね」
『それ組長の家の中の話でしょ。まあいいや、あれこれ情報追ってみて、そこの『先生』については大体割れた。犯人は一般人じゃない、姿が見えないなら姿を隠してるんだろうから、存分に『陰陽師』としての本領発揮して問題ないです』
「分かりました、それでは遠慮なく。……ここにいらっしゃる方々はどうしますか?」
『それについてはもうすぐ桜が警察の皮被ったメンツ連れて到着するから、その時に適切に記憶処理するのでそこから出さないようにだけしておいて。一般人が巻き込まれるとほんっとめんどくさいんだよな……』
「発言が怖い。……ええとあと、SUWAくんどうします?」
『使えるものは使っとけば? 役に立つ気はしないけど』

 綴に対する律の扱いはかなり雑かつ辛辣だな、と思いつつ、分かりました、と返事を返して陵は電話を切る。隠れているものを探すのであれば、恭は向いていないだろう。宥めるのは難しくなってしまったが、此処に居る人たちを見ておくくらいは頼めるだろう。
 ちらりと綴の方を窺えば、きらきらした目を向けられた。何処かに行くといえばすぐについて行きたいと言い出すことは間違いない。さっきの顛末を見ても物怖じもしないのは褒められたことではないが、まあ居ないよりはマシだろう。

「……ええと、舎弟。ちょっとSUWAくん連れて行きますね」
「おっけーっす。何かあったら呼んで、飛んでく!」
「分かりました」
「やったー! 組長が連れてってくれる!」
「SUWAくん静かにしないと怒られるよ?」
「舎弟に言われたくねえな?」
「馬鹿言ってないで行きますよ」

 またやいのやいのと言い合いをされては困る。綴をずるずると引き摺る形でアクティブスペースを出て、向かった先は教室だ。よくよく考えればあの停電の前まで、教室では授業が行われていた筈で。停電の後、教室に居た人々を動かした時にもう『先生』が居なかったのだとしたら、隠れている場所としては教室以外考えにくい。
 そしてそれは――正解だった。
 おお、と綴が赤いスマホを構える傍ら、陵は牽制を兼ねて『式神』の用意をしながら『それ』を観察する。半人半蛇、ラミアのような風貌の『それ』は確かにこの教室の講師だった人間の面影を残しているように思える。魔術師になれる教室を騙り、薬で幻覚を見せ、素質がある者を取り込むのが目的だということだろうか。細かいことを考えても仕方ない。やるべきことは決まっている。

「居ました!」
「おっけー!」

 声を上げれば、本当に飛んできたのかというスピードで恭が教室に飛び込んできた。入った瞬間にはその服装が軍服へと変わっている。え、え、と驚いている綴は恭が『セイバー』であることには気付いていなかったのだろう。
恭の乱入で状況が動く。陵を狙った一撃が繰り出されようとした、その時だった。

「アンタの! せいで!」

 怒声と共に、『アリス』がラミアの前に立ちはだかり。


「こわいものをみた」
「あれをひとはやつあたりといいます」

一瞬の出来事だった。遠い目をしている恭と綴に苦笑しつつ、陵の目はフロアをふわふわと飛んでいる桜色の翅の蝶を追っていた。先の律の電話通り、あの後すぐに到着した桜と警察の恰好をした面々が『事後処理』を行っている。いつのまにやらぐっすりと眠り込んでいる人々は『記憶処理』をされているのだろう。唯一、『彼方』の少女だけは「必要……ないですよね……?」という桜の一言と共に先に帰されていた。本当にただ紛れ込んでいただけだったようだ。『アリス』により大怪我を負った少年も動ける程度にまでは治療され、この後事情聴取等を受けることになるらしい。どんな理由であれ人を殺したことに変わりはなく、そのことに関してはきちんと法の下で裁かれることになるようだった。
 ラミアはキレた『アリス』の餌食となり、その後を引き継ぐ形で『陰陽師』として陵が祓う形になった。本当ならば何が目的なのか等聞き出すべきだったのかもしれないが、その辺りは諦めざるを得ない。どうにもならないことはある。

「あっそういえばSUWAくん撮影してたでしょ、あれ拡散しちゃダメだかんね」
「トッテナイデス」
「いや冗談抜きであれ拡散したら若頭に殺されるし俺も殺されかねないマジでやめよ?」
「ああ、その時は私も参加しますね」
「えっ組長それは殺す側? 殺される側?」
「殺す側ですが」
「ぎゃーやめよやめよ!?」
「やめよやめよ! あぶないあぶない! 組長こわい!」
「……あとSUWAくん俺にうっかり何かあったらやばいの見たじゃん……? いのちだいじにって言うじゃん……」

 しくしく、と泣き真似をする綴にしみじみとやめようね、と声を掛ける恭に苦笑しつつ、さて、と陵は受付にあった入会書類を一枚引き抜いた。そこには汚い字で「柳川恭」と書かれている。

「……こういうところで本名を書くなって言わなくていいんでしょうか」
「帰ったら報告しておきますね……」

 陵の独り言が聞こえていたらしい桜が、処理の片手間に困ったように笑った。