謎の屋敷の話 02

Session Date:20200125

 血を掬ってきた、と見せようとする英二は流石に殴ろう、と陵は思った。
 ひえ、と部屋の隅に飛び退いた恭に謝りつつ、英二はおら、とめんどくさそうに像の手の上に器を置く。途端器に溜めてきた血は消え失せ、代わりに器の中に現れたのは血で汚れたロザリオだった。

「そんなんだから趣味が悪いとか言われるんだぞ」
「貴方に言われたくないんじゃないですかね……」
「これを階段のところの像にかければ良いか。……かけるのか?」
「何で私に聞くんですか」
「いや信仰心薄かったから自信がない」

 どっと疲れた表情を見せる陵と、最早英二が何をするか分からず恐る恐る行動する恭と共に、英二は階段のある部屋へと向かう。像と向き合ってロザリオをかければ、霧散するように像は黒いもやへと変わり。

「お、出たっすね」
「先程丁野さんと柳川くんにはこんな風に見えていたんですね」

 言いながらすぐに戦闘態勢を整える2人と同じく――とは、いかなかった。
 英二の目に、それは黒いもやには映らない。何か分からない黒い『何か』にはならない。歪んでブレて見えるものの、その姿は金髪の女性のようにも、筋骨隆々の男性のようにも見えて。そしてその姿に、英二は嫌という程見覚えがあった。乾いた笑いが口から漏れる。馬鹿な冗談を言っている場合ではない。

「くっそこういうことか……こういうことかこれ」
「丁野さん?」
「中御門さんよくやったなお前!?」
「おや、分かって頂けましたか」
「誰に見えてるんですか?」
「あ? まあアレだよアレ」
「何です」
「アレ! 終わり!」

 名を口に出す気にはなれなかった。真っ直ぐに銃口が向けられる。或いは剣先が。避けなければ、と思っているのに、身体が動かない。引き金が引かれたのか、剣が振るわれたのか。脇腹を抉ったそれに思い切り吹き飛ばされて、舌打ち。
 動揺している場合ではない。分かっている。分かっていても、手を下したくない相手を選んでくる辺りこの屋敷の主は意地が悪いらしい。喉から溢れる血を床に吐い捨てて、向き直る。

「……ははははは」
「ジッポ先生が怖いんすけどー! なかみー助けて!」
「ああもう放っておきなさい、集中しないとやられますよ!」
「中御門さん回復出来るものは何か持ってるか」
「少しは。如何してです?」
「死んだら頼む」
「ジッポ先生死ぬの!? やめて!?」
「何で貴方はいちいち柳川くんのトラウマ抉っていくんですか!?」


 辛勝をもぎ取って、心身ともにぐったりしながら3人は3階へ上っていた。

「絶対ジッポ先生一回体まっぷたつだった……俺は見た……見てしまった……」
「忘れなさい気のせいです良かったですね私が回復手段持ってて、茅嶋さんに殺されても知りませんよ折角頼ってくれているのに」
「これまでの法則性を考えると次に出てくるの茅嶋くんじゃないのか。アイツ出てきたら思いっきり殴ってやろうぜ普段出来ないから」
「本気で敵対してくる茅嶋さんを殴れると? 無理では?」

 実力的に。と付け加えた陵の言葉を無視するように、ふんふんとかつての流行歌を謳い出す英二に困惑しきった顔をしつつ、恭はぐるりと部屋を見回した。綺麗さっぱり何もない。あるのは階段だけだ。
 部屋に何もないことには調べようもない。次に行こうと部屋を開ければ、今までと扉の数が違う――1つ多い。構造が少し変わっているのか、扉がある位置も少し変わっていた。そしてひとつ、異様な雰囲気がある扉。
 ひとまず、とぱたぱたと恭がそちらの扉の方に近づいていく。落書きのように見える紋様が扉一面に描かれた扉。一応扉に手を掛けてみたが、開く気配はない。

「こら、勝手に動いちゃ駄目ですよ」
「こういうのって律さんの専門すかねえ……」
「ん?」

 言われて、陵はまじまじと扉を眺める。その紋様に、見覚えがある――というか、よく知っている。

「魔除けですね」
「わー」
「丁野さんもうツッコむのがめんどくさいのでやめてください」
「見捨てられた」
「中にあるモノを封じているのか、外からのモノを避けているのか……」

 間違いなく、『陰陽師』が用いる封印の魔除け。少し触れてみたものの、擦った程度で消えそうな雰囲気ではない。とりあえず開けない方が良いかもしれない、という判断で後回しにし、次の部屋に入る。
 今までと同じく、柵に囲われた階段。扉には何かの機械がついている。それ以外は何もない、がらんとした部屋だ。下のゴミ屋敷は何だったのかと首を傾げる英二の隣、お、と声を上げたのは恭だった。

「ホテルのドアみたい!カードキー、ぴって差すやつ」
「ああ。相変わらず茅嶋くんとあちこち行くとホテル暮らしか」
「ウィークリーマンションとか借りてる時もあるっすけどね」
「まあ、ということは今度はカードキーが必要ということですね」
「いい加減めんどくさいっすねえ」

 うあー、と声を上げながらも、じゃあ次、と恭が歩き出す。面倒になったところで、どうにかしないと出られないのであろうことはもう分かっていることだ。出たいと思って出られるなら苦労はしていない。
 入った部屋はこじんまりとした部屋で、中央に映写機が置かれていた。からころと何かを映写しているようだが、映っているのは隣の部屋だ。こちらからは何が映っているのか窺えない妙な作りの映写室に、どうしたって嫌な予感しかない。

「……見てくる。変なものが映ってたら見るの嫌だろう」
「ジッポ先生大丈夫なんすか?」
「大抵のことは慣れてる。何かあったら叫ぶから」
「うっす」

 隣の部屋の扉を開いて様子を窺ってから、英二は中に入る。中は映画館というよりは会議室のようになっていて、映写機で映している筈なのに映像はプロジェクタで映しているような雰囲気だった。そして延々と白い光だけが映し出されている。数分待ったものの映像が変わる気配はなく、そのままふっと光は消えてしまう。
 どうにも消化不良な気持ちを抱えつつ映写機のある部屋へと戻れば、恭がフィルムを手に取っていた。少し伸ばして光に透かして見ているのは、やはり内容が気になったからだろう。

「……何見せてるんだ中御門さん」
「ちゃんと先に確認しましたよ。何か撮影した形跡がないですね」
「何も映らなかった。スカか」
「どっかに違うフィルムあるのかもしんないっすよ?」
「あー……となると」

 入ることの出来る部屋はもう全て入ってしまった。残っているのは、扉に魔除けの紋様が描かれていた扉の先だけだ。何かあるとしたらそこしか考えられない。暫し無言で考えこんだ後、ふと陵は今の持ち物を思い出した。マッチが1本、そして先程2階で拾ったのはシンナー。

「……ああ……シンナーってそういう……?」
「ん?何がだ」
「魔除けをシンナーで消すんじゃないですか?」
「なるほど、やってみよう」
「魔除けなのに消して大丈夫なんすか?」
「何か出てきたらその時はその時だと思うしかないでしょう」

 どちらにしろ、今のままでは何も起きない。扉の前へと戻った陵はハンカチにシンナーを染み込ませ、紋様の上から撫でてみる。擦らずとも何もなかったかのように消えたそれに眉を寄せつつ扉を拭き上げれば、音もなく扉が開いた。
 何か出てくるかと警戒はしたものの、人の気配もなければ何かがいる気配もない。中に足を踏み入れれば、放送機材がごちゃごちゃと置かれていた。とは言えど、階下ほどゴミに溢れている訳でもない。進めば、目的のもの――映写機のフィルムは、見つけてくれとばかりに机の上に放置されている。
 手に取った英二がフィルムを透かす。何かが映っているのは確かだが、やたらと黒々として見えて何が映っているのかは分からない。映写機で回さないと中身を知ることは出来ないのだろう。

「ホラーとかはやめて欲しいですね」
「そうか?まあ、何かえぐいものが映ってる可能性はなきにしもあらずだからな。柳川くんは見るな」
「えーもー何かめっちゃ仲間外れじゃないっすか俺」
「柳川くんに何かあったら嫌なんですよ、それだけです」
「皆で見るって方法もあるじゃないっすかー」
「3人で見てパニックになったら困るだろう。何か出たら呼ぶから」

 不服そうな恭を宥めて、英二は映像を見に、陵と恭は映写機の方へと移動する。さて何が映っているやら、と椅子に腰かけ、英二は画面を眺めた。
 ――映し出されたのは。

「……今日はこんなものばっかりだな」

 思わず自嘲する。それはヒトの肉を裂き、内臓を取り出し、骨を取り出し、丁寧に解体されていく映像だった。見て気持ちの良い映像ではないが、英二にとっては悲しいかな珍しい情景でもない。ただ、その映像は神経質なまでに綺麗な解体だということは分かる。何一つ壊さず、綺麗なまま。
 ――綺麗な解体。それに何かしらの引っ掛かりを覚えて、英二は眉を寄せる。何か、どこかで。考えているうちに映像は終わり、何も映らなくなる。ろくでもないものを見ただけだった、と思いながら映写機の部屋へと入れば、陵が手にカードキーを持っていた。

「俺はクソ映画見させられただけだってのに。映画代返せ」
「こっちはこの通りカードキーが出てきましたよ。お疲れ様です」
「何見たんすか?」
「何ていうか……、……ほら動画でよくあるだろ?時計解体してみたとか。あんな感じ」

 さすがに人体解体ショーを見ましたというのは憚られる。カードキーが出たなら階段も開くだろう、と揃って階段のある部屋に戻って。
 だが、陵が差してもカードキーは何ら反応がなかった。続いて英二も試してみるが、同じだ。二人で顔を見合わせて、恭の方を見る。――そう、確かに、順番から言えば彼だ。1階は陵、2階は英二。誰かが階段の扉を開けるキーであるというなら、3人しかいなければ次は恭ということになる。

「……柳川くんにやらせたくねえんだよなあ……」
「分かります」
「え、カードキー差すくらいやるっすよ俺」
「その後がな……本当に茅嶋くんが出てきたら全員死ぬぞ……」
「大丈夫ですって」

 ひょい、と陵の手からカードキーを奪って、恭がカードキーを差し込む。瞬時に構えたもののしかし、反応はなかった。だめっすねえ、という恭の声は呑気だ。
 手持ちで残っているものを考える。シンナーは先程使った。後のものは全て使ってきた――そう、けれど。再三冗談を言ってきたものが残っている。マッチだ。

「まさかカードキーを燃やす訳じゃなかろうし……いや待てよ、炙り出しか」
「炙り出し?カードキーをですか?」
「何らかの模様が出てないといけないのかもしれない。柳川それ返せ」
「うす」

 恭からカードキーを受け取って、英二はマッチを擦った。その炎をカードキーに近づければ、ぶわりと広がるように現れる何かの模様。文字のようにも見えるそれに、英二は首を傾げて陵に渡す。
 受け取った陵はじっとそれを眺めて。――見たことがあるような、ないような。先程の魔除けのような馴染み深さは感じるが、知らないものだった。こうなると、聞く相手がひとりしかいない。

「柳川くんこれ、見たことあります……、か、」
「――それ、」
「柳川?」

 口元を押さえて後退る恭の顔色は、真っ青だった。とんでもないものを見た、とでも言い出しそうな雰囲気に、嫌な気配。やはり、此処を進むのは恭が関係があるのだろう、と思うには十分な。

「……おいぶんきち」
『……悪い、分かるけど言いたない。とりあえず恭を早く逃がしたい』
「玄関が消えている今帰したくても帰せないだろう」
「今すぐにでも帰してあげたいですけど……大丈夫ですか」

 陵の問いに、ぶんぶんと恭は首を横に振る。これは本格的にまずいかもしれない――けれど先程までのことを考えれば、このカードキーは恐らく恭が開けなければ反応しないだろう。
 そこまで考えて、ふと英二は律の話を思い出す。飲みの席で聞いた話だ、内容ははっきりしていない。けれど――聞き覚えがある。全てをバラバラにされた遺体。よくよく考えれば1階にも2階にも、恭のトラウマを抉りそうなものは多かった。話は繋がる。英二が直接見たことはないが、そのカードキーに浮かんだ模様は恐らく。

「……中御門さん、これはだいぶまずいぞ。俺が見た映写機の映像は茅嶋くんがぼそぼそ報告してた彼のアレだ」
「は?……え?何でそれを早く言わないんですか、それならこれを柳川くんに見せたりしなかったのに」
「いやー……映像を見た時はあー、みたいな感じだったんだ……運命って残酷……」

 瞬間、陵は思い切り英二を殴っていた。殴った後であ、という顔はしたものの、ここまで我慢したのだから許して欲しいという気持ちもある。すまん、と謝る英二に特大の溜め息を返しておいて、陵はもう一度恭を振り返った。自分を落ち着かせようと深呼吸している背を撫でて思案する。――どうにかならないものか。

「……後ろから目隠しして、目隠ししたままカードキー差させるとか」
「黒いアイツ、直視しないと存在が確定しない可能性はあるぞ」
「……なら丁野さん、時間稼ぎを頼めますか。出たら私が柳川くんを逃がします。ぶんちゃんに見ていてもらって」
「それしかないか……」

 陵にとってはトラウマではない。英二にとっても、戦いづらいと思う相手ではあるものの戦わなければならないなら戦うしないという気持ちもあった。けれど恭は恐らく違う。彼は恐らく、戦えない。動けない。
 はあ、と大きく息を吐いて。覚悟を決めたように、恭がカードキーを見る。恭自身も分かっている――そうしないと、先には進めない。

「……カードキー、差したらいい?」
「……ああ、頼む」
「私たちが居ますから。大丈夫、落ち着いて」

 小さく頷いて、恭はカードキーを受け取る。振るえる手でカードキーを差し込めば、確かにかちゃり、と鍵は開いて、扉が開く。

「――ッ!」

 瞬間、現れた黒い『何か』。恭にはそれが『誰』に見えているのか、英二と陵には聞かなくても分かる。いっそ本当に律であれば――倒せるかどうかは別として――気は楽だったかもしれない。黒い『何か』から放たれた黒い影が恭を狙っていくのを見て、躊躇なく英二はその間に割って入った。傷つける訳にはいかない。

「じっぽせんせ、」
「いいからお前は早く逃げろ!中御門さん!」
「行きますよ恭くん!」
「ッ……嫌だ!」
「「はあ!?」」

 思わぬ拒絶に、英二と陵の声が重なる。真っ青な顔をして、今にも倒れそうな表情をしながら、それでも恭は動こうとしない。陵が引こうとする腕を振り払って、震えながら真っ直ぐに黒い『何か』を見つめている。
 ――こうなったら彼はテコでも動かない。出会った高校生の頃から頑固なことくらい、英二も陵も分かっている。その頑固さで、彼は律の相棒を務めるまでになったのだから。

「……ッ、ああもうお前本当にそういうっ……このっ、馬鹿っ!」
「でもやだ!……絶対やだ、俺だけ逃げたりしない!」
「おい中御門さんアイツのこと絶対茅嶋に言いつけるからな絶対言うからな、この馬鹿我儘言って俺らの心遣い無駄にしましたって言うからな!」
「柳川くんがこういう子だって忘れてた私たちも私たちですけどね!」
「ああもう!なるべく早めに倒すぞ!」
 長期戦では恐らく、恭の心が保たない。呼吸を整えて、黒い『何か』に向き直る。
 ――全くもって、ここの主は性格が悪い。そう思いながら。


『もう本当にごめん俺が人選を間違えたご迷惑をお掛けしました……』

 数時間後。陵は神社に戻って律に連絡を入れていた。かいつまんだ報告を聞いた律が頭を抱えているのが目に浮かぶようだ、と思いつつ、陵は客間の方に視線を向ける。
 客室には、恭を庇い続けて気絶してしまった英二と、何とか戦いを終えた後蹲って吐いてしまい動けなくなった恭が眠っている。戦いが終わった後、屋敷は忽然と消えてしまった――気が付けば、3人空き地に取り残されていた格好だ。結局のところいいように心の傷を弄ばれただけ、という、屋敷の正体など何も分からない状況のままだ。

「丁野さんも数日休ませた方が良いでしょうし、柳川くんも少し静養させておきますね」
『うん、ごめんね。俺もなるべく早く帰る』
「無理はなさらないよう、こちらは大丈夫ですから。……まあ神社に入れないアリスちゃんが何を仕出かすか分からないところはありますが」
『……それなんだよな』
「え?」

 陵の言葉に、低い声で律が呟く。思わず聞き返せば、ううん、と困ったような声。言うべきかどうか迷っているのが分かる。言わないつもりかもしれない、と思いながら言葉の続きを待てば、大きな溜め息。

『……ねえなかみー、おかしいと思わない?』
「何がです?」
『どんな理由があれ俺と一緒じゃない時にアリスちゃんを仕事に連れていかないような馬鹿、普段の恭くんなら絶対しない』
「――何かあると?」

 よくよく思い返せば、律がそこに引っかかる理由もわかる。恭自身もあの時不思議そうな顔をしていた。いつもきちんと確認するのに、と言っていた――にも関わらず、今回に限って。
 何かが意図的に引き離したのか。それならば何の為に。恭が狙われているのか、それとも他の理由があるのか。

『……ちょっと調べる』
「分かったら教えて下さいね」
『うん、分かってる。今回は本当にごめんねなかみー、埋め合わせは必ずする』
「お気になさらず。……ただ」
『ただ?』

「――丁野さんと柳川くんの面倒を私一人で見るのはかなりきつかったので今度飲みに連れて行ってください」
『ほんとごめんまじでごめん今後もうちょい人選は考えます』

Mission Failed …
GM・柳川恭/雨夜 丁野英二/とりいとうか 中御門陵/雅