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Session Date:20200125
それは、丁野 英二のところにかかってきた一本の電話から始まった。
『もしもし丁野先生? ごめん暇?』
「……茅嶋くんはそろそろ他の誘い方を学んだ方が良いと思うぞ」
『すいませんね人誘うのに慣れてないもので』
へら、と電話の向こうの声が笑う。疲れているな、と感じる声音ではあったが、敢えて何も言わない。言ったところでそんなことないよ、と笑うであろうことが目に見えている。
『ちょっと暇があるなら、なかみーと二人で恭くんの子守頼みたいんだけど』
「依頼か? 一緒に行かないのか」
『ちょっと『院』から呼び出し受けてて……恭くんおやすみにしてあげたいところなんだけどそうすると俺が死ぬ……』
「休め」
『なかみーにも言われた。まあいいんだよそんなことは……。で、暇?』
「だから他の聞き方はないのか」
――そんな、何のことはない依頼が、始まりだった。
「あっジッポせんせー! なかみー!」
待ち合わせ場所にて。
詳細は恭くんに聞いて、と丸投げされ、指定された待ち合わせ場所。こちらを見てぶんぶんと元気に手を振る青年――柳川 恭。相変わらずのジャージ姿に苦笑が漏れたのは無意識だ。
「元気そうだな」
「うっす! 元気が取り柄ー。なかみーはちょくちょく会うけどジッポ先生本当に久し振りっすね」
「柳川くん、この間のトレーニングの時石段で派手に転んだでしょう。龍神様が心配なさっていましたよ」
「そこにあると思った石段がなかったんだもん……見られてた恥ずかしい……」
へへー、と笑いながら、恭はスマホを取り出した。仕事のデータがそこに入っているのだろう。えーと、と眺めているその姿にどこか違和感を覚えて、英二は眉を寄せる。……そこにあるべきものがない。
「……柳川くん、キーホルダーはどうした?」
「へ?」
「ああ、本当だ。今日はアリスちゃんはご一緒じゃないんですか?」
「……あっ!?」
「柳川お前忘れてきたな!?」
「……てへっ」
「ああもう、怒られますよ……?」
「昨日ゆりっぺに預けたまんまだった……おっかしいな、いっつもちゃんと確認すんのに」
むう、と不思議そうに首を傾げたところで、彼のスマホにチェシャ猫のキーホルダーが現れる訳でもない。取りに行くかと尋ねれば、「ゆりっぺお仕事中だから邪魔しちゃ悪い」と首を横に振られた。そういう律儀なところは彼の良いところだが、融通が利かないのは悪いところだ。
チェシャ猫のキーホルダー、もとい彼の『保護者』の一人である『黄昏の女王』が居ないというのはどうにも不安が残る。彼女が居ない時に恭が怪我をしようものならどうなることやら。考え込むと寒気がするので、努めて思考から追い出して。
「仕事の内容は柳川くんに聞いてくれと、茅嶋さんがおっしゃっていましたが」
「うん! えーっと、なんかー……あ、これだ、消えたり出てきたりするとこ!」
「……はい?」
「……分かるか?」
「柳川くんはいつになったら日本語が上手になるんですかね……?」
「空き地の筈なのにお屋敷が建ってたり、お屋敷があると思ったら空き地だったりするんだって。律さんからは解決しなくていいからとりあえず調べといてーって。でも俺としては解決までしておきたい気持ちはあるけど」
あの人忙しいから、という恭を見て、英二と陵は顔を見合わせる。恐らく事前調査も何も出来ないまま、律は『院』の本部があるヨーロッパに行ったのだろう。帰ってきてそのまま仕事をするつもりなのは目に見えている。
頼まれて仕事を手伝う、と請け負ったのはこちらの方だがしかし。いくら何でも律から分かる範囲の情報を貰っておいた方が良かったかもしれない。
「まあ悪いことがあれば大体茅嶋さんのせいにしておきましょう」
「そうだな」
後で文句の1つや2つを言っても許される。ごめんごめん、と笑うか、それとも言い返して愚痴り始めるか。そればかりは当日の彼の機嫌次第だろう。
「で、何だったか、そのやばそうな屋敷を調べてこいってことだな」
「うん」
「場所は? どうやって行くんだ? 車を出した方が」
「徒歩で大丈夫。えっと場所はぶんちゃんが案内してくれる」
「お前はすーぐそうやってぶんきちに頼る」
「だって! 地図もらったけど! 地図わかんない!」
「お前24にもなって地図も読めないってどういうことだ」
「高校生の時からぶんちゃんに案内してもらってるし、迷子になったことはないっす」
「自慢すんな!? ぶんきちも甘やかし過ぎだろう!? お前が甘やかすから齢24にもなって地図も読めないモンスターが爆誕してるんだからな!?」
『お前そんなこと言うたかてコイツ放っとかれへんやろぉ!?』
ひょこ、と恭のスマホの上から白いもやもやが現れる。抗議するように怒った顔の顔文字を連発する『分体』と喧嘩をし始める英二を横目に、陵は大きな溜め息を吐いた。
一応、とごそごそ取り出されたくしゃくしゃの地図を受け取って眺めてみる。乱雑に地図に記された赤い丸は、律がつけたものだろうか。恭の言う通り、充分徒歩で向かえる範囲内のようだった。そのことも加味して待ち合わせ場所を決めたのだろう。
いい加減にしておきなさい、と英二と『分体』の喧嘩を止めて、目的地の場所を英二に説明する。すぐに把握してああ、と英二が納得したのを確認してから歩き出す。数分も歩けば目的の場所に着く筈だ。
「まだまだ行かないといけないお仕事もあるんで、頑張るっすよー」
「……あーんなちっちゃかった子がこーんなおっきくなって……」
「え? 俺初めて会った時からジッポ先生よりおっきかったっすよね?」
「うるせえそういう意味じゃねえ」
道すがら、恭から仕事の詳細について聞き出してみたところ、結果としては「よく分からない」というのが実情のようだった。数年前までは確かに屋敷が建っていて、別段事件があった等の形跡はなく、当時の土地の持ち主がその土地を手放した際に屋敷も取り壊された――筈だったようで。特に不審な点はなく、買い手のついていない空き地があるだけ。なのに、前と何ら変わらず屋敷が建っている時があるから調べて欲しい、というのが事前に分かっている情報のようだった。
地図上では空き地だったその場所には、確かに屋敷が建っていた。見るからにヒトの手による建造物でないことは明らかで、妙な雰囲気を漂わせている。一歩足を踏み入れれば、恐らくそこは『彼岸』の『領域』だ。
「あっ、やったーある! 中入りましょー」
「おい不用心が過ぎるぞいいのか」
「まあまあ、消えてしまえばただの空き地でしょうし」
何だかんだと話しながら、屋敷の扉に手をかければ抵抗なく開く。中に足を踏み入れて扉が閉まった、次の瞬間。
「あっ」
「……扉消えましたね」
「あーもー怪異すぐそういうことするからな……」
文句を言いながら、英二は先程まで扉だった筈の壁をノックする。しかし、コンコン、というノックの音が返ってくるだけだ。出口は封じられた――ということは、出る為に行動するしかない。
「ま、いつものことっすねー。どうせ調べるしかないから調べましょ」
「柳川くんはいつも茅嶋さんとそういう感じな訳ですね……」
「まあこういう時は左回りで虱潰しに探してくのがセオリーだな」
「ではこちらの部屋からですね」
屋敷は然程広くはないようだった。部屋の扉しか見えないが、扉は4つ――となればとりあえず部屋も4つと考えて良いだろう。左側の部屋から順番に調べよう、と扉を開けて。
眼前に広がっているのはあちこちが傷んだ家具の置かれている部屋だった。何もかもが使えそうにない雰囲気の中、何か手掛かりはないかと部屋中をひっくり返す。調べろと言っている矢先から床に落ちているガラクタに蹴躓く恭や、棚の上から落ちてくるものにぶつかる英二に溜め息を吐きつつ探すこと数分。
「……これが怪しいかと」
「お?なかみー何持ってんの?」
「お線香ですね」
「匂いはないな……、燃えた形跡もなしか」
「これだけモノが雑然としているのに、このお線香の周りだけモノがないのはおかしいでしょう」
棚の中にぽつんと一本だけ入っていたその線香は、通常のものに比べて長さがある。持っていけとばかりに置かれていては持っていくしかないだろう。何らかの儀式をやらされる可能性もある。進んだ先に何があるか分からない以上、一旦持っていくしかない。
その後も部屋を探してみたものの、めぼしいものは特にない。飽きてきた恭から「次の部屋行きましょうよー」という提案を受けて、隣の部屋へと移動する。扉を開けて中に入ると。
「わふっ」
「何してるんだお前」
「何かふわっとしてた……、カーテン?」
部屋を斜めに区切るように、白いカーテンが引かれている。向こう側で何かが揺れているような影。中を確かめるべくカーテンの端に手を掛けた英二の手首を掴む形で、陵がその動きを止めた。
「何考えてるんですか貴方」
「いや、開けようかと」
「不用心でしょう。何かあって柳川くんがショックを受けたらどうするんです?」
「ああ……そうだった」
「えっ俺大丈夫っすよ?」
「お前がどうこうっていうよりお前の嫁が怖いんだ。正確にはお前の嫁の後ろに鬼が居る」
「? ゆりっぺ? ゆりっぺ可愛いっすよ?」
「のろけてんじゃねえぞ!?」
「はいはい喧嘩しない。カーテンを開けるのはとりあえずやめておきましょう。まずはカーテンより手前を探してみませんか?」
「まあ、それが一番安全か」
恭自身がきょとんとしているのが困る。どうにも危機感が薄いのか、それとも本当に分かっていないのか。憂凛はともかく、恭に何かあれば悪鬼羅刹と化す『カミ』を英二も陵もよく知っている。一緒に行動していれば良いのに、どうして今日に限って置いてきているのか。お陰で気を遣うのはこちらの方だ。――尤も、陵としては「此処にあの子が居たら既に丁野さんと大喧嘩を繰り返している」とも思わないこともないが、口に出すと話がややこしくなるので胸の中に仕舞い込んでおいた。
陵の提案を受けて、ひとまずカーテンの向こうはさておき、部屋の中を探してみる。先程の部屋と違い、あまり物は置かれていない。お陰で怪しいものはすぐに見つかった。
机の上にぽつんと置かれた、2本のマッチが入った古いマッチの箱。
「……線香だけなら火を点けるものは持っているから、と思っていたが、マッチか」
「マッチですね」
「マッチなあ……これは明らかに使えって言われている気がしてなあ……」
「使う場所にもよるんじゃないですか?」
「少なくともこの屋敷に火を点けろってことではないよな」
「当たり前でしょう馬鹿ですか貴方は」
「これが貉とか狐だったら火を点ければ逃げ出すって算段なんだが」
「むじな……?」
『ほら恭、これや』
「ぶんきちお前はまたそうやって甘やかす」
頭にクエスチョンマークが飛んでいる恭にすぐに検索結果を見せる白いもやもやに呆れつつ、英二はマッチを検分する。使われた形跡はない。マッチを擦っていれば痕が残っているであろう側薬にも何の形跡も残ってはいない。それでもわざわざ用意されている2本のマッチ。――けれど、先程見つけた線香は1本だけ。
ちらり、とカーテンの方に目を向ける。相変わらずうっすらと何かが揺れているような影。何かが居るのか、それとも。
「……やはり勢い良く捲ってしまうか?」
「卍固めがお望みですか」
「オーケー冗談だ」
「うーん……、何方かいらっしゃいますか?」
ゆらゆらと揺れる白いカーテンの奥。一応、と陵が声を掛けたものの、何かが揺れていることが分かるだけだ。声に反応する様子も特にない。
「……何かぶら下がってるんじゃないかこれ?」
「じゃあ開けていいっすか?」
「やめろ何でお前が開けようとするんだお前が開けて何かあったら俺が後で5、6発ぶん殴られる羽目に陥るやめろ」
膠着していても仕方がない。恭の申し出を首を振って拒否して、英二はカーテンの動きが最小限になるように注意しつつカーテンの中に足を踏み入れる。瞬間目に入ったのはヒトだったものの残骸。それは四肢を分断され、頭部を失い、天井からただ吊るされて揺れている。
ひとつひとつ検分してみるものの、遺体としては綺麗なものだった。抵抗した形跡すら見受けられない。どこかに傷がある訳でもなく、腐っている訳でもなく。これがバラバラでなければ、生きていると言われても納得してしまいそうだ。
「ジッポせんせー? 何があったっすかー?」
「あー、新鮮なお肉屋さんが開店してるからこっちに来るな」
「お肉屋さん? 食べれるやつ?」
「食ったらお前が嫁にブチギレされるやつだ」
「何それ怖い」
「……それはどのくらいあります?」
「ざっと5、6に……んん、5、6体といったところだな」
「そうですか……、……この近辺でそのような行方不明情報はないようですよ」
「じゃあどっから来たんだコイツら」
「私たちのように入り込んで、ですかね」
「じゃあ次に惨殺されるの俺らじゃん」
「丁野さん」
「ジッポせんせー何怖いこと言ってんの!?」
ぎゃあ、と叫ぶ恭の声が響き渡る。いい冗談を言ったつもりだったのに、と肩を落としつつ二人のいた場所に戻れば、英二に呆れた陵の視線が突き刺さるのだった。