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09 白兎と靴
「副隊長の靴って壊れないんですか?」
「これ?」
訓練場にて。先日の外回りの際に起きた事件対応の見返しも兼ねて魔術の使い方を見てもらっている最中、ふとユリウスは常々気になっていた疑問を口にした。ユリウスの質問にひょい、と片足を上げたランドルフが履いている靴は、かなり高さのある針踵の革長靴。立つだけでも均衡を取るのが大変そうなそれは基本的には女性用の筈で、男性が好んで履くようなものではない。履く者がいないとは言わないがそれは飽くまでもお洒落の一環で、機能性が重視される抑止庁の制服に採用されるようなものではない。いくらランドルフが輪廻士で、好きに制服を改造してもいい立場であっても、だ。どう考えても機能性がいいとは思えない。
そもそも、針踵靴の見た目は非常に華奢だ。殆ど爪先立ちのような形になってしまうために接地面積が非常に少ない上、踵の高さは三寸前後はあるだろう。改造制服なのだから当然ランドルフの『変異』に合わせて改良されていることは想像に難くないが、それなりに筋肉質でしかも長身のノスタリア成人男性であるランドルフの体重を十全に支えるものだとは思い難い。
「流石に女性用じゃないわよ、踵折れちゃうもの」
「ですよね」
「かなり強めの素材を使ってくれてるって聞いてるわ。実際女性用の針踵靴よりもかなり重たいのよ、靴自体が」
「動きにくくないんですか? って聞くのも野暮だということは承知してますが。いつもそれで普通に仕事されてますし」
「気になるなら履いてみる?」
「生まれたての子鹿になれと?」
思わず口を衝いて出た返答に、楽しそうにランドルフが声を上げて笑う。ユリウスとしては笑いごとではない――そもそもあんなものを履いて立てる気がしない。どう考えても均衡感覚だけではなく、普段使わない箇所の筋肉を要求されるのが目に見えている。
「まあ、私はねえ。一応戦闘官だし」
「一応どころじゃないですよね?」
「ふふ。仕込み刃とか色々小細工を仕込む方法もあるけれど、私はどうにもそういうのまどろっこしくて。性に合わないっていうのかしら」
「へえ……、っ」
「身につけるものそれ自体が武器に出来るくらいで丁度いいわ」
呼吸が、止まる。
ぴたりと喉に突きつけられた針踵は、小刀や槍を突きつけられているような威圧感を持って。少しでも動けば確実に喉元を切り裂かれる。否が応でもそれを理解させられて、つ、と嫌な汗が背を滑り落ちていった。
女性の夜会服を模したような、背中が大きく開いた形の長裾の上衣も。その背を隠している隊章が施された大判の肩掛けも。ランドルフは意味を持って着用しているということなのだろうか。それともこれは、全てを指して言っているわけではないのだろうか。その真意は、分からない。
ふう、と溜め息を吐いてランドルフが針踵を下ろす。途端心臓が爆音で鼓動を鳴らして、ユリウスは一歩後退った。
「いくら補助官とはいえ、今くらいの速度なら何かしら反応はしないと駄目よ、ユリウス。棒立ちだなんて殺してくれって言っているようなものじゃないの」
「す、すみません……」
「これがマタミスなら間髪入れず反撃してくるし、アーテムなら私の足は氷壁を抉ってるし、フィオレならもう私の後ろに回ってる。気を抜かないことね、ユリウスは今訓練で此処に居るんだから」
「……、はい」
雑談を持ち出したのは自分でランドルフもそれに乗ってくれたせいか、そんなことが少し頭から抜けていた。こういうところはこの上司はしっかりしている。気を抜いているかもしれない、と気合を入れ直す。好敵手たちの名前を引き合いに出して発破を掛けられては、黙ってやられているわけにもいかない。
――いつまでも新人ではないのだ。そうそう甘えてばかりもいられない。
「すいません、改めてお願いします」
「よろしい」