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02 白兎と雪街
ミヅキ=サザナミはザラマンドにある高級服飾店『雪街』の服飾図案者の一人である。駆け出しの頃に幾つかの服飾の図案を任され、その図案の一つが商品化された途端飛ぶように売れた。その後も好調な売り上げを上げる図案を幾つか作成することができ、他店からの引き抜きを恐れた上層部から多額の家賃補助を受けて高層住宅の一室に住居を構え、さあこれから、という時にミヅキは彼に出逢ったのだった。
「あら。おはようございます」
「おっ……はようございます!?」
仕事に向かうべく乗り込もうとした昇降機の中に彼は居た。純白の髪に深紅の瞳のノスタリア――すぐにかの有名な抑止庁遊撃部隊の副隊長であることに気がついて、背筋がぴんと伸びる。粗相があってはいけない。この昇降機に乗っているということは、彼はこの高層住宅に――そしてミヅキよりも上階に住んでいるということになる。この高層住宅に引っ越してくるときに家賃を聞いたが、上階に行けば行くほど目が飛び出そうな額だった。その代わりに安全保障や警備がかなりしっかりしている。魔術犯罪抑止庁の一隊の副隊長ともなれば、そんなところに住んでいても確かにおかしくはないのかもしれない。
乗り込んだ昇降機の扉が閉まり、階下に向けてゆっくりと降りていく。当然ではあるが会話などない。単に「同じ高層住宅に住んでいる住人」だから挨拶を交わしただけで、こちらは彼のことを知っていても、彼は当然自分のような一般庶民のことなど知るはずがないのだ。気まずい。早く下に着いてくれないかな、と思いながら視線を彷徨わせて、ミヅキはふとあることに気がついた。
「あっ……!?」
思わず声が出てしまった上に、かなり大きく昇降機の中に響き渡ってしまった。驚いたようにミヅキを振り返る彼の視線を感じながら、反射的に両手で口を塞ぐ。
「す、すいません……」
「いえ。何か忘れ物でも?」
「……えっと、いや、あの、その服」
「服?」
キョトンとした表情で、彼は己の服を指差す。袖のない、黒の革を基調として赤の裏地と縫い目を特徴とした上衣。それはミヅキがまだ駆け出しだった頃に図案を描いた服の一つだ。あまり売れた図案ではなかったものの、ミヅキとしてはとても気に入っている図案の一つ。売り上げを鑑みて早々に製造は打ち切られたので、一般に流通している数は然程なかった筈だ。
軽い音を立てて昇降機が一階に辿り着いたことを知らせる。あ、と思っている間に彼が昇降機を降りて、そのままミヅキを待つように扉を開けてくれる者だから、慌ててすいません、と謝りながら昇降機を降りた。
「それで、ごめんなさいね。私の服が何か?」
「いやあのごめんなさいっ、私『雪街』で服飾図案の仕事をしている者なんですがっ、それ、私が描いた図案の服でっ、着て下さってることに気がついて思わず……! すいません!」
「え、そうなの?」
ぱちり。驚いたようにその深紅の瞳を瞬かせて、彼がまじまじとミヅキを見る。紅玉のようなその瞳は宝石のように美しく、直視できずにミヅキは俯いた。――こんな綺麗な人に、自分が考えた服を着てもらっている。何て誇らしいことだろうか。
「私、『雪街』の服が好きでよく着させてもらっているの。いつも素敵な服をありがとうございます」
「いえ、そんな……! 私の方こそ、着て頂けていて本当に嬉しいです! ご愛用ありがとうございます……!」
「これからもお世話になります。……っと、遅れちゃう。またの機会に是非ゆっくりお話しさせていただけたら……ええと」
「サザナミ!ミヅキ=サザナミと申しますっ! 貴方は抑止庁の遊撃部隊副隊長……ですよね……!?」
「あら。有名人なのも考えものねえ」
自己紹介しそびれちゃった、と彼は笑って、ぺこりと頭を下げて去っていく。その後ろ姿にぺこぺこと頭を下げながら見送って――へなへなとその場に座り込みそうになって、ミヅキは深く息を吐いた。
いくら自分が描いた図案の服が売れていると言われてもあまり実感がなかった。『雪街』に合わせた服は売れるかもしれないが、自分の好みでつくった服というのは売れるかどうかが難しい。それでもきてくれている人がいる。あんなに綺麗な人が、自分の図案の服を好きだと言ってくれる。
「頑張ろう……!」
今日は絶対に良い日だ。朝からこんなに素敵な出来事があったのだから。高鳴る胸を抑えながら、ミヅキは駅へと向かったのだった。
その数日後。抑止庁から改造制服の図案についての相談がミヅキのところにやってくることなど、その時のミヅキは知る由もなかった。