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One Last P"l/r"aying

12

 都市郊外にある白亜の豪邸といえば、地元の人間であればほとんどが知っている。
 茅嶋家――つまりは実家に、律は戻ってきていた。『ウィザード』としての歴史は浅いが、大正時代から続く衣料品を扱う店舗を経営していたところから、律の父の代でその他飲食業やサービス業も手広く扱うグループ会社を経営するようになっている。一人息子である律自身は『ウィザード』としての茅嶋家を継ぐことを決めている為、父が後継者に悩んでいることも知っているが、流石にそんな二足の草鞋は履けない。

「あら? お帰りなさい、律様。急にどうなさったんです?珍しい」
「ただいま、伊鶴さん。お祖母様居る?」
「千里様なら温室にいらっしゃると思いますよ」
「あ、ほんと? ありがと」

 帰ってきて早々律を出迎えたのは、安藤 伊鶴。律が中学生の頃から父の秘書として働いているが、『此方』の世界の事情にも明るい人材であり、頼れば何かと融通してくれている。今日この時間にいるということは、祖母の手伝いをしていたのだろう。
 律の父は『ウィザード』としての才はなく、ごく普通の事情を知っている一般人に留まる。その父と祖母の弟子であった雪乃が結婚し、そして律が生まれた、という系譜だ。社長業に忙しい父と、『ウィザード』としての仕事で忙しい母に代わり、律はほとんど祖母に育てられたといっても過言ではない。律にピアノを教えたのも、『リズム』と『旋律』を軸とした魔術の使い方を教えたのも、先代茅嶋家当主である祖母、茅嶋 千里である。78になる千里は一線を退いて長いが、それでも現役で家を守っている――その要が、茅嶋家にある温室であり、千里がよくいる場所だった。

「ただいま、お祖母様」
「おや、律? 珍しいね、おかえり。どうしたんだい」

 足を向けた温室で、千里は片隅に置かれたカフェスペースで本を読んでいた。律を見て驚いた顔をした千里は、すぐににこやかな柔らかい笑みを浮かべてくれる。大切に育てられている植物で溢れた温室も、その千里の笑顔もいつもと変わらないことに、自然とほっとする。

「ちょっと仕事のことで気になることがあって」
「私はとっくに現役を引退したんだから、仕事のことなら雪乃に聞きなさい」
「別にお母様帰ってきてるならそれでもいいけど……あの人今何処で仕事してるの?」
「さて。モニカと一緒にバチカンに行ってくるって言っていたかねえ。いや、ロンドンだったかな? まあいつも通りヨーロッパに居るよ」
「あー、やっぱり」

 その才から敵も味方も多い雪乃の多忙さには舌を巻く。どんな仕事を引き受けて何をしているのか、あまり想像したくない。いずれは律も引き継ぐことになることではあるが、同じだけのものはこなす自信はない。

「さて、なら話をしながらお茶でも飲もうかね。律、私の部屋に行っていなさい。水やりをしたら戻るよ」
「水やり? 手伝おうか?」
「大丈夫だよ。それにこの子たちは私じゃないと機嫌を損ねるから」
「あー、そっか。じゃ、お茶淹れて待ってるよ」
「頼んだよ」

 にこにこと笑いながら、千里の指がゆっくりと踊る。描かれる魔法陣は、律にとっては見慣れたもの。
 温室が柔らかな空気に包まれていくのを感じながら、律は千里の部屋へと向かったのだった。


 千里の部屋で律が淹れた緑茶を2人で飲みながら、律は先日起きた事件のことを千里に説明した。
 楽譜を使って力を吸われて殺されかけたこと。『魔女』、新藤 奈南美のこと。玲の見立てを信じるならば、実年齢は律の3倍以上生きている後輩であること。そして禍々しいフルート、その音色で玲が呑み込まれかけたこと。
 律の話を、千里は黙って聞いていた。――新藤 奈南美が雪乃のことを知っていた、と口にした時千里の表情は一瞬強張ったようにも見えた。

「『魔女』ねえ。えらく厄介ごとを拾ったもんだね、お前は」
「俺ちょっと面倒事に巻き込まれやすい体質なのかなってたまに思う」
「『魔女』が何たるか、覚えているかい?」
「『ヒロイン』の『彼方』側、使い魔を使う、あと情報収集に長けてるってことは」
「宜しい。まあだから私達からすれば敵、もしくは救えるのであれば救うべき相手でもあるけれど、話を聞いた感じだとそんな相手ではなさそうだね。今の律の実力なら、そうだねえ……この界隈から追い出すことが出来れば御の字かな」

 楽譜の件は恐らく奈南美が仕込んだことだろうという想像はつく。件のフルートの時には高熱を出して倒れる学生が出るという被害もあった。そういった形を厭わないのであれば、また他の被害が起きる可能性はある筈だ。それは律を狙うかもしれないし、玲を狙うかもしれないし、他の誰かかもしれない。彼女の目的が分からない以上、現在対策を立てるのも難しい。
 倒せる、とは思っていない。奈南美は余裕だった。笑いながらあの禍々しいフルートを吹いていた――そして律は何とか一撃加えるのが精一杯で。あの時あのまま追撃されていれば、今こうしてここにいるかどうか分からない。
 見逃されたのだ。玲と2人。

「……律、お前、いつまでこっちに居られるんだい?」
「ん? いや、明後日は授業あるし、今日は泊まって明日はもう帰るつもりだよ」
「そうか。ならば急ぎ用意しておこうかね」
「……何を?」

 律の問いに、千里はにこりと笑う。一瞬でこれは良くない、と律は直感する――良くないが、だからと言って逃げかえる訳にはいかない。

「本当はお前が大学を卒業して家に戻ってきてからで構わないかと思っていたんだけれど、そんなことに巻き込まれているなら教えておいた方がいいだろう」
「……何を教えてくれるつもりですかお祖母様」
「力を底上げしてあげようって話さ。ちょっとした修行だね」

 緑茶を飲んでいた湯呑みを置いて、千里は立ち上がる。その後姿を目で追いながら、実家に帰ってきたのはまずかったんじゃないか、と考えてしまったのは、修行という言葉のせいだ。さぼっているつもりはないが、今の本分は学生なので、という言い訳をつけていることは多い。
 千里は優しい。しかしその優しさの上に、師匠としての厳しさも持っている。だからこそ雪乃は世界最高峰と謳われ、世界中駆け回っているような『ウィザード』となっているのだから。
 千里は戸棚から一枚の紙を取り出した。少し古くなって黄ばんだようにも見えるその紙は、何処かへの地図。

「……これは?」
「明日の朝、そこに行ってきなさい。今の律に必要な物がそこにあるから」
「すごい嫌な予感がする……」
「もし万が一のことがあるようならちゃんと助けてあげますよ。けれど一人で行きなさい。そして出来ることなら一人で帰っていらっしゃい。いいですね?」
「ハイ……」

 正直あまり行きたくない、という気持ちは押し殺す。助言を求めて実家に戻ってきている以上、断るという選択肢はない。どちらにしろ、このままでは平穏な大学生活など夢のまた夢だ。平和な生活を取り戻すためには、奈南美のことはどうにかしなければならない。
 気が重い。地図を眺めながら、律は溜め息を吐いた。


 その日は家に帰ってきた父と共に3人で夕食を取り、積もる話を夜更けまで話し、綺麗に保たれている実家の自室で眠って。翌日、律は地図片手にそれが指し示す場所を訪れていた。

「……ううわ」

 そこにあったのは、いかにもな雰囲気を醸し出す古い洋館だ。何か出るのではないかと噂され、肝試しにでも使われそうな雰囲気がある。しかし嫌な気配は微塵も感じないので、何か悪いモノがいるということではななさそうだ。
 古い門戸を押して中に入って、玄関の扉を引いてみる。鍵はかかっておらず、あっさりと扉は開く。

「お邪魔しまーす……」

 一応声を掛けてから、中に入る。別段人が出入りしている訳ではないからだろう、歩けば足跡が分かる程度には積み重なった埃の上を歩きながら、律は考える。
 これは修行の一環だ。律に必要なものがある、と千里は言った。つまりこの洋館の何処かに何かがあり、それを持ち帰るのが今回のミッションなのだろう。何を持って帰ればよいのかは分からない。物理的なものなのか、それともそうではないのか。この洋館を虱潰しに探した先に見つかるのかどうか。
 とりあえず手近な部屋に入ってみたものの、その部屋も玄関と同じように埃が舞っていた。この洋館にこんな部屋がいくつあるのだろうかと考えると気が滅入る。一人で行けと言われた以上、手伝って欲しいと悠時を呼ぶ訳にもいかない。何処から調べようかと思いながら、とりあえず机の上、棚、引き出しの中。収納スペースと思いつく場所をひっくり返してみる。それで見つかるものは大体何処にでもあるような古ぼけたもので、何かの役に立ちそうなものはない。こんなところに何があるというのか。何かあったら助ける、と言われたくらいだから、何もない、ということはないのだろうが、全く想像がつかない。
 一部屋一部屋。調べては何も出てこない状況の中、不意に外から音がした。

「……雨」

 窓から外を覗けば、いつの間にやらバケツをひっくり返したかのような大雨が降っている。此処に来るまでは晴れていたので、ゲリラ豪雨だろうか。傘は持ってきていないので、帰る頃には止めばいいが、続けてゴロゴロと雷の音が聞こえてくるとさすがに気が滅入る。

「……?」

 不意に誰かに見られているような視線を感じて、後ろを振り返った。しかし当たり前のように、そこには誰も居ない。気のせいだろうか。――それにしてははっきりとした視線を感じた。悪意は感じなかったし、本当にただ見られただけ、のような視線だと思ったのだが、分からない。
 やはりここには『何か』は居るのか。せめて何を探すかくらいは教えてくれれば、と何度も考えてしまうが、それを探し出すのが修行だと言われてしまえば文句も言えない。
 ひとまず探すべき『何か』を、そしているかもしれない視線の主を探して、律は次の部屋に向かった。


「何もなくない……?」

 洋館の捜索を始めて約3時間。
 各部屋全て調べてはみたものの、これといったものは何も出てこなかった。しかし、気付かないようなものを探せとは千里も言わないだろう。恐らく近づけば絶対にそれだと分かるのではないかと思うのだが、そんな気配は微塵も感じない。
 さすがに疲労を感じて、最初に入った部屋に戻る。積もった埃を適当に払ってから律は椅子に腰掛ける。前提条件から考え直したほうがいいのだろうか、と思う。このまま何も見つけずに帰るわけにはいかない。
 外は相変わらず雨が降っている。雨が止んだら外も捜索したいところだが、今のところ止む気配がなさそうだ。濡れることを厭わずに調べることが出来るような雨ではない。先に外を調べて、洋館の大きさや全容を把握しておくべきだった、と律は肩を落とす。もし庭や離れのようなものがあるとしたら、そこも調べるべき場所だ。
 ひとまず、視点を変えて調べ直すしかないだろう。開き損ねている戸棚があるかもしれない。カーテンのようなものも全部開いて、動かせそうなものを全部動かしてみれば隠し部屋のようなものがあるかもしれない。全ての部屋を調べたつもりでも、入ることが出来ていない部屋があることを念頭に置いておく必要がある。
 この洋館で、もし隠し部屋があるとしたら。構造自体に違和感は感じなかった。怪しむとすれば壁一面が本棚で潰されていた、角に位置する書斎が怪しいだろうか。或いは絨毯を剥がせば隠し階段があって地下室が存在する可能性もある。全ての部屋の床を改めるとなると時間が掛かる、そう考えるのなら書斎を調べ直すのが先だろう、と決めて立ち上がった。
 千里にわざわざ行けと言われた場所だ。そして、視線を感じたという意識があるのだから、ここに何もないということは絶対に有り得ない。それでも何もなければ、今の律にはそれを見つけられるだけの力量がないということになってしまう。それだけは避けたい、というのが正直なところだ。

「……よし」

 1階角部屋の書斎。窓のある1面以外は全て本棚で埋め尽くされている。本棚にある本はざっとチェックしているが、気になる雰囲気を持つような本はなかった。1冊ずつ開けて確認すべきだろうか、と思いつつ、本来ならば窓があってもおかしくない奥の壁にある本棚に触れる。
 本を傷つけないようにまとめて抜き取ってはテーブルの上に置き、を繰り返し、空になった本棚をずるずると引き摺って壁から離す。1つ目は外れ、そして2つ目の本棚を同じように処理したところで、壁と隣の本棚の隙間に蝶番のようなものを見つけて。

「びんごー……」

 どっと疲れたのは、ここに辿り着くまでの3時間分のせいだろうか。早く思い当ればよかったのだと思いつつ、隣の本棚に手を掛けて同じように。ずるずると壁から本棚を引き剥がせば、古ぼけた小さな扉が現れた。ぎりぎり一人通れそうな大きさだ。
 深呼吸して、扉に手を掛ける。恐る恐る扉を弾いてみれば、玄関と同じようにこちらも鍵の類は掛かっておらず、少し音を軋ませながらもあっさりと扉は開いた。瞬間、ぶわりと威圧感に襲われて、目に入った光景は。

「……礼拝堂……?」

 4人掛け程度の椅子が左右に三脚ずつと、その向こうには説教台、そしてオルガン。こじんまりとはしているが、恐らくこの洋館の2階分の高さをそのまま使って作られたらしい高さのせいか、部屋自体はとても広いように感じられる。他の部屋は埃も積もっていたというのに、ここだけは毎日掃除されているのかと思えるくらいに綺麗に保たれている。
 そして、オルガンの前に一人の男が腰掛けていた。この洋風の雰囲気には不似合いな、グレーの着物姿。年齢は見たところ40代半ばのように見えるが、しかし。――彼は『人間』ではないことは、律の目には明らかだ。

「お客さんか。千里に招かれたね?」

 律を見て、男は笑う。威圧感に反して嬉しそうなその笑みに毒気を抜かれて、律はまじまじと男を見た。その顔を、何処かで見たことがあるような気がする。それに今、この男は確かに『千里』と祖母の名を口にした。
 千里のことを知っている男。思い当たるのは。

「……お祖父様?」
「正解。初めましてだね、律。話は千里から聞いているよ」

 律の祖父、茅嶋 宗一郎。先々代の『ウィザード』としての茅嶋家の当主だ。律が生まれる頃には亡くなっており、死因は病死だったのだと聞かされている。
 おぼろげにだが、セピア色をした白黒写真でその顔を見たことがあるような気がする。人間としてではなく、霊――『彼岸』としてこの世に留まっているということだ。しかしそれならなぜこんなところにいるのか、が分からない。

「聞きたいことがたくさんありそうだな」
「……それは、まあ」
「心配しなくても私は死んでいるし、悪霊になっている訳ではないよ。自分の意志でここに留まっているんだ」
「悪霊が自分のこと悪霊ですとは言いません」
「手厳しい。確かにそうだね」
「お祖母様に言われて、此処に来たんですが。俺に必要な物が、此処にあると」
「そうだろうね」

 穏やかな笑みを浮かべて、宗一郎は頷いた。そしてくるりとオルガンの方を向いて、律に背を向ける形になる。何をするのだろう、と思った次の瞬間。
 オルガンに添えられた指が、踊る。静かに、静かに紡ぎ出されていく音。

「そういえば律はフランツ・リストの曲が好きだと千里に聞いたけれど」
「あ、はい」
「そうか。じゃあこの曲は知っているね?」
「……詩的で宗教的な調べ、祈り」
「ほう。流石」
「好きな曲のひとつなので」
「うん、好きなものを極めるのはとてもいいことだ」

 嬉しそうな声音でそう言った、その次の瞬間。

「ッ……!?」

 完全に気を抜いていた。右腕がビリビリと痺れている。原因はすぐに理解が追いついた。オルガンの音と共に俺に向けて放たれた雷撃だ。この術式の構成方法は『リズム』と『旋律』、律が使うものと同じもの。宗一郎はそれをオルガンを使うことで生み出し、魔術を行使している。
 この魔術の使い方を律に教えたのは、千里。そして恐らく、元々この方法を使っていたのは。

「……この魔術の使い方をお祖母様に教えたのは……」
「察しがいいね、律。うん、私だよ」
「……ピアニストに手は命なんですけど何するんですかいきなり」
「その程度なら明日には治るよ。今のところは」
「!」

 オルガンを弾く指に力が篭ったのが分かった次の瞬間、再び放たれた雷をギリギリのタイミングで相殺する。表情は見えないのに、それでも宗一郎はきっと楽しそうに笑っているのだろう、と思った。律が相殺したことを分かっていて。

「さて。それでは戦ってみようか、律」
「……何故ですか」
「今の律の力を測らないといけないからね。……条件を満たしていたら、律が探しに来た物を渡してあげよう」
「……お祖父様が此処に居る理由なんてものも教えて貰えたりとか、しません?」
「構わないよ。条件を満たせるのならね」
「分かりました」

 殺されることはないだろう。しかし、手を使いものにされなくなるのは洒落にならない。帰れば千里が治してくれる可能性がないわけではないが、万が一治療出来なかった場合は明日からの授業に差し障る。
 千里はいつか、律をこうして祖父に会わせるつもりだったのだろう。大学を卒業した後家に戻ったら、というようなことを言っていたのを思い出す。こんな形で総一郎と会っていいのか疑問はあるが、少し早くなっただけだ。2年後よりも、今、必要なこと。

「……じゃあ、いきますよ」
「どうぞ」


 完敗――どころかちっとも歯が立たなかった。ずたぼろの身体で礼拝堂の床に転がっている律を見下ろす宗一郎は飄々としている。
 律の使う魔術は一撃も宗一郎に届くことはなかった。オルガンの音と共に律よりも圧倒的に速い速度で次々に展開していく術式に阻まれ、そして嬲られるようにぼろぼろにされただけだ。もう立てそうにない。目を閉じたらそのまま気を失ってしまうような気すらする。

「律がピアノを弾けなくなると千里に怒られるから、一応加減はしておいたよ」
「……それ、は、どうも……」

 ようやっとオルガンから離れた宗一郎が、床に倒れて動けない律を見下ろす。思わず睨んでしまったものの、だからと言って何が出来る訳でもない。魔術はもう使えそうにないし、幽霊相手に『ウィザード』が肉弾戦を仕掛けても仕方がない。

「……律。私はね、ここで『守り神』の真似事をしているんだ」

 唐突に、静かな声でそんなことを告げる宗一郎に、律は首を傾げた。――『守り神』の意味するところが、分からない。
 律の知識で想像がつくのは1つだけだ。それは『ウィザード』特有の技能のひとつ、『サモン』或いは『コール』と呼ばれるもの。『彼岸』の力を借りるには普通ならそれ相応のリスクが必要であり、力を借りる相手によっては引き摺られてしまう。しかし、その技能を使うことによって『ウィザード』はリスクなしで力を借りることが出来るようになる。

「……『カミサマ』?」
「さてね、それが正しいのかどうかは。私がしているのは橋渡しだから」
「橋渡し……?」
「律は条件をギリギリ満たしてはいるね――きちんと『ウィザード』で在れている。頼りないけれど、まあ、それはまだまだこれからということかな」

 何の話かが分からない。宗一郎は一人納得したようにうんうん頷いているだけで、説明してほしい、と言ったところで教えてはくれないのだろう。いつか自分で辿り着く、と言われるだけのような気がして、律はゆっくりと瞬く。このまま目を閉じたら眠ってしまいそうなくらいに疲れ切っている身体では、考えもまとまらない。
 そんな律に気付いたのだろう。笑った宗一郎の手が律へと伸びて、目の上へと乗せられる。必然、視界が真っ暗に遮られて、無意識に瞼が閉じる。

「眠って構わないよ、律。連れて行ったりはしないからね」
「……えー……」
「可愛い孫を殺す程酷いおじいちゃんじゃないつもりだけどなあ」

 かなり痛めつけられているのだが、それは換算されないのだろう。元気なら嫌味の一つも言うが、そんなことも出来ない。しかし、礼拝堂に入った時に感じた威圧感はとっくになくなっている。どちらかと言えば穏やかなこの空気に、このまま身を委ねたくなる。
 ふと、手に小さなものが触れた。何か確認したくて、視界は閉ざされたまま。

「目が覚めたら、それを持って千里のところに帰りなさい。……また会える日を楽しみにしているよ、律。その時はもう少しゆっくり話が出来るといいね」
「……おじいさま、」
「今はおやすみ、律」

 お疲れ様。
 その言葉の言い方がとても千里によく似ていて、そのことに安心感を覚えて――律はそのまま、意識を失った。


 目が覚めたのは、既に日没も近い時間だった。律は変わらず礼拝堂の床に転がっている状態で、けれど総一郎によってつけられたはずの傷は綺麗に治っていた。
 来たときと違うのは、ひとつだけ。

「指輪……」

 律の手の上に、銀に光る指輪がひとつ置かれていた。一見して男者だと分かる。見るからに何の変哲もない指輪のように見えるが、律が意識を失う前、宗一郎が律の手の上に置いたのはこの指輪だったのだろう。つまり、これが律が千里に持って帰る物ということだ。
 礼拝堂を見回しても、既に宗一郎の姿はない。何処に行ってしまったんだろう、と思ったけれど、恐らく宗一郎の方が既に律に姿を見せる気が全くないのだろう。『また』と言っていたから、そのうち機会があれば会えるのかもしれない。
 一先ず、指輪を持って帰るのが先決だ。そう思いながらも、先程まで宗一郎が座っていたオルガンの前へと歩を進める。
 そこにあったのは綺麗なクラシック・オルガンだった。手入れが行き届いている。もしかすると、千里がずっと手入れをしているのかもしれない。音はとても安定していたし、洋館自体は埃が積もっていたが、この礼拝堂だけは大事にされているのか。――いや、それ自体がフェイクだった可能性はある。洋館に埃が積もっていたのはただの雰囲気作りで、普段はもっと綺麗に整っているのかもしれなかった。
 オルガン。
 久し振りで、弾ける自信はない。同じ鍵盤楽器とはいえ、ピアノとは話が変わってくる。それでも。

「……よし」

 下手でもいいか、と思いながら、律は椅子に腰を下ろした。手を鍵盤の上に置いて、深呼吸。何故だか、妙に緊張してしまう。

「……俺の専門はピアノなんで、下手でも許してくださいね」

 小さく断ってから、律は鍵盤を押した。ピアノと全く違う音が響くのは、何だか新鮮だ。そのまま次の音へ、次の鍵盤へと指を滑らせていく。
 奏でるのは、先程宗一郎が弾いていたのと同じ。フランツ・リスト、詩的で宗教的な調べ、祈り。
 宗一郎が何を思ってこの曲を弾いていたのか、そして何故この曲を選んだのか、今の律には分からない。『また』の機会には是非、教えて貰おう。そんなことを考えて、自然と笑みが漏れた。

 奏でた曲は、宗一郎に届いただろうか。

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