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10
「っくー! 人の金で呑む酒は美味いな! おい茅嶋ビールもう一本持ってこい。ロン缶な」
「もうないですよ、何本呑んだと思ってるんですか」
「仕方ないなー、ならピッチャーで持って来い」
「どんだけ呑む気ですか!?」
夏も近づいてきたある日のこと。
律と悠時、そして玲の3人は、律の部屋で焼肉パーティーを開催していた。なお、このパーティー自体律が企画したもので、費用も全て律が負担している。練習室の件で2人に迷惑を掛けたお詫びという形だ。
既にかなりの量のビールの空き缶が転がっている。呑んだのはほとんどが玲だ。玲のハイペースに付き合わされた形の悠時は少し前に酔い潰れてしまい、気絶するかのように眠っている。別段悠時が酒に弱い、という訳ではない。この場合、玲が異常に酒に強い、と言うべきだろう。
「……いつものことですけど、玲先輩強いですね……」
「ん? 当たり前だろうが。酔っ払って記憶なくして醜態を晒すような女が私は一番嫌いだよ」
「……ほら、何かこう、酔ったフリして可愛い女の子っぽくなるとか」
「そういう男に媚び売って生きるような女は絶滅しろ」
「さっすがー……」
怖い、と笑いながら、律は焦げたホットプレートでもうほとんど残っていない肉を焼く。後片付け面倒だな、と思いながらも、文句を言うつもりはない。本当に迷惑も心配も掛けてしまったことは重々承知している。本番前の玲が来るとは思ってもいなかったが。
「玲先輩、そういえば」
「ん?」
「あの時何であのタイミングで練習室に来たんですか?」
思い返せばあまりにもいいタイミングだった。それこそ図ったかのような。すぐには意味が分からなかったのか玲は一瞬首を傾げたものの、すぐにああ、と小さく呟きながら、慣れた手つきで煙草に火を点けた。
最初の時点で呑んでいたビールの空き缶はすっかり灰皿代わりと化している。酒と煙草で喉を潰すのではないかと心配になるものの、声楽ではないので気を遣ってはいないのだろう。
「お前が練習室に入る前から白石と2人で尾けてたんだよ。本番まで時間もあったしな」
「え」
「茅嶋があの子を成仏させるなら別にそれでも構わなかった。そうなれば知らないフリをしてお前に会わずに帰ればいいだけだからな。……まあ、結果はアレだったが」
「スイマセン……。でもじゃあ、ずっと外に居たんですね」
「白石は何で連れてこられているのか全く分からん顔をしてたがな」
「零感ですから、悠時」
「挙句に鈍感が過ぎるな、本当に。……一緒に居て楽だろう」
「……そうですね」
律を放っておけないから、という理由だけで、悠時は高校受験の際も同じところを選んで、そして専攻は違うと言えど大学まで同じところに通っている。悠時の人生なのだから人を基準に決めるなと怒ったこともあるが、それに対しては自分で決めたことだと言い張って頑なに引くことはなかった。何だかんだと理由をつけて、傍にいてくれる悠時には感謝している。負担をかけていないかどうかだけが、ずっと心配だ。
「ああ、そういえば茅嶋。演奏会は明後日だったか?」
「はい。まあちょっと弾くだけですけど」
「ふむ。暇だし聴きに行くとするかな。……おっと煙草が切れた」
「吸い過ぎです」
恐らく、玲はこの焼肉パーティー中に2箱は煙草を吸っている。部屋の白い煙が焼肉の煙なのか、それとも玲が吸った煙草の煙なのか全く分からない。残った肉を齧りつつ玲に眉を寄せて見せれば、返ってきたのは不服気な表情。彼女としてはまだまだ呑み足りない、吸い足りないといったところなのだろう。律としては煙草は玲が買うものなので良いが、酒をこれ以上呑まれるのは家計を考えてしまう。
「まあいいか。白石も寝ているし私も寝よう。おい茅嶋ベッド借りるぞ」
「……ねえ玲先輩、いっつも思うんですけどここ一応男の部屋だし男2人居るんだって分かってます?別に良いですけど」
「変な気起こしたら撃ち殺す、問題ない」
「可愛げなさすぎて逆に心配になってきた」
ぐっすりと眠っている悠時と玲を尻目に片づけをしている間に、時刻は4時近くになっていた。時間を見てしまったせいか、急激に睡魔に襲われる。ベッドは玲に占領されている、悠時は床に寝転がったまま。この状況では律も床に寝るしかない。収納スペースから掛布団を出して悠時に掛けてから、自分の分の布団も出しておく。大学入学当初は客用布団のことは考えていなかったが、いつの間にか当たり前のように悠時や玲が泊まるようになったため、収納スペースを圧迫するのを承知で布団を置くようになった。一人の時は邪魔だと思うこともあるが、現状ない方が困るのが正直なところだ。
さて寝よう、と電気を消して床に寝転がり、布団を被る。朝は背中が痛むだろうなと思いつつ、予定を思い浮かべる。演奏会の前日だ、最終チェックもしなければならないだろうし、授業は通常通りある。眠れて2、3時間といったところだろうか。
早く寝て少しでも睡眠時間は確保しておくべきだ。考えていないで寝よう、と目を閉じる。そのまま意識が落ちていく。落ちる、というその瞬間に、不意に音が聴こえた。
「……?」
せっかく眠れそうだった、このタイミングで。無視するか、と思ったものの一気に目が冴えてしまい、苛立ち紛れに身体を起こす。悠時も玲も変わらずよく眠っているので、音を聞いているのは律だけということになる。
聞こえてくる音は、さて何の音だったか。微かに聞こえるその音は聴き覚えのある旋律を奏でているが、何の曲か確信が持てない。
しばらくぼんやりと聞いて、ああフルートか、と音の正体に思い当たる。この時間に誰かが吹いているとは考えにくい。フルート奏者が近所にいるという話を聞いたこともない。
徐々に音は遠くなっていく。やがて途切れて聞こえなくなって、律は無意識に息を吐いた。果たして何の曲だっただろうか。口ずさんでみようと思ったものの、さっきまで聞いていた筈の旋律はもう思い出せない。普段であれば有り得ないことだ――酒も入っているし、眠気も手伝って覚えられなかったのだろうか、と思う。いつもであれば、一度聞いたらある程度は覚えている筈なのに。
妙に頭ががんがんと痛む。それはまるで、思い出してはいけないよ、と警告されているかのように。
「……何だろ」
気にしたところで、もう全く思い出すことが出来ない。思い出せないものはどうすることも出来ない。どこかからフルートの音が聞こえた、ということ以外は本当に何も思い出せそうになかった。
――また、嫌な予感がする。誰かが何かを企んでいるのだろうか。5年前の幽霊をわざわざ呼び起こした人間が、やはりいるのではないだろうか。
ちらりと玲の様子を伺う。先程までの暴君ぶりが嘘のように、彼女は静かに眠っていた。この間の二の舞にはなりたくない、目が覚めたらきちんと玲に相談しよう。そう心に決めて、律は再び床に寝転がったのだった。
「フルート?」
「そう、フルート。それは間違いない」
「まありっちゃんが楽器の音聞き間違えるとかねーだろうけどよ」
翌朝。起きると既に玲の姿はなかった。眠っていた律と悠時を起こさないよう、静かに出て行ったのだろうということは想像がつく。悠時と2人で少し遅い朝食を摂りながら昨晩の話を悠時に切り出せば、案の定よく眠っていた悠時には首を傾げられた。最初から聞いているとは思っていなかったが、やはり程よく夢の中だったようだ。
「つか夜中? もうそれ朝方か? そんな時間にフルート吹かねえだろ大体。試験前かよって話じゃん。音が遠くなってったってことは歩きながら吹いてたことにならねえ? マーチングかっつーの」
「……言われてみればそうだね」
「大体さー、りっちゃんがメロディ全然思い出せない覚えられないとか酔ってても疲れててもねえよ」
「それは俺のこと買い被り過ぎじゃないの」
「ねえよ。絶対ない。だってりっちゃんにとってメロディ覚えられないとか忘れるとか、それって命に関わることだろ」
「んんー……まあそうだけどさ……」
律の魔術は『リズム』と『旋律』を用いる。当然忘れてしまっては魔術は発動しないか、しても思っていたものと違うものが発動してしまうこともある。幼少時から当たり前のように色々な『リズム』と『旋律』を頭に叩き込んできた律としては、それは間違えない、という自信もある。自然と覚えることが癖になっているところも大きい。一度聞けば余程難解で複雑なものでない限りは覚えてしまうのが日常だ。
「『彼方』か『彼岸』かなあ……」
「だろーな。あ、ごっそさん」
「お粗末さま。うーん、やっぱ玲先輩捕まえなきゃだなあ」
「まあ音が聴こえただけなんだろ?何もなきゃいいな」
「……何もないことは、多分、ないよ」
どれほど些末なことであっても、何らかの事象には何らかの原因が存在する。
律がどうしても気になってしまうのは、先日の真夕の一件があった後だから、というのは大きい。そうでなければ気のせいで終わらせていただろう。今回は気のせいではないと断言できてしまう――確かに聞こえた。だから、確かに何かが起きているのだ。
「あんま考え過ぎて暴走すんなよ、りっちゃん」
「分かってるよ、ちゃんと玲先輩にも話すし大丈夫」
「その前に明日の演奏会」
「……おっとそうだった」
「楽しみにしてっからな。はー、俺も演奏会出てえ」
悠時の台詞に、律は苦笑う。今回は大して出番がある訳ではない。それでもわざわざ足を運んでくれると言うのであれば、やはり気合が入る。半端な演奏をするつもりは元よりないが、モチベーションが変われば演奏も変わる。仕事をするよりも先に、まずは学業を優先しても良いだろう。
そもそも、今回の事象を調べようにもどこから調べればいいのかが難しい。朝方4時頃、フルートの音を聞きませんでしたかと近所に聞き込みに回ったところで、情報は得られないだろう。どうやって調べていくかという部分も考えていかなければならない。
さて、どうしたものか。無意識に天井を見上げて、律は深い溜め息を吐いた。
結局その日、一日ばたばたと忙しかったこともあり、玲と話す時間は取れなかった。それでも一応前の件を反省して、玲にメールだけは入れておいた。話があるので覚えておいてください、という何とも適当な文面の文章に返ってきたのは、了解、というシンプルな二文字。それでも妙な安心感を感じてしまう。
演奏会の準備を終えて帰宅して、自宅のピアノでもう一度弾いて確認。明日の用意をあれこれと進めていれば、あっという間に時計の針は0時を越えていた。
「……ねっむ……」
昨日ほとんど寝ていないせいだろう。強烈な睡魔に襲われて、律はベッドに寝転がった。無理はしない方がいい、今日はもうゆっくり身体を休めて明日に備えておくべきだ。そう思っている間に、すとんと意識が落ちて。
――しかし。
唐突に音が聞こえて目が覚める。一瞬もう朝か、と勘違いしかけたものの、外はまだ暗い。時計に目をやれば、指している時間は4時。
「……昨日と一緒じゃん」
思わず独り言が口から漏れる。昨日と違うのは、律がこの時間まで眠っていたことくらいだろう。音はやはり、外から聞こえる。どこかで聴いたことがあるメロディの、フルートの音色。あれほど思い出せなかった旋律だったのに、聴いた瞬間に昨日聞こえた曲と同じだ、と考えて、そのことにぞくりとする。やはり、この音には何かがある。
フルートの音はどんどん遠くなっていく。ベッドから起き上がると、律はベランダへと出た。身を乗り出して周囲を見回してはみたものの、さすがに歩いているような人影は見つけられない。やがて音は遠のいて消えていく。
「……やっぱ駄目だな、思い出せない」
本当につい先程まで聴いていた筈の旋律が、分からない。しかし、絶対に聞き覚えのある曲だ、ということは自信がある。音の出所を探すのは一旦諦めて部屋に戻り、ベッドに腰掛けて考える。
思い出せるはずだ。一緒に口ずさめることが出来る程度には、知っている曲だという自信がある。どうしても思い出せないのがもどかしい。
律の思考を邪魔したのは、携帯が突如奏でた着信音。それが電話の音だと気付くまでに数秒。慌てて携帯を手に取ると、発信者は玲だった。こんな時間に、とは思ったものの、話をするにはいいタイミングだ。
「はい、もしもし」
『ああ、起きてたか茅嶋。こんな時間に悪い』
「いえ、ちょうど良かったです。話したいことが」
『お前が今日メールしてきてた件で合ってるか?』
「はい。……ついさっきなんですけど」
『フルート』
律が言うよりも先に紡がれたその楽器の名に、玲にも聞こえていたのだとすぐに合点する。――いや、そんな筈がない。律と玲の家は最寄り駅から電車で30分は掛かる程度の距離がある。その距離の中で律と玲が同時に音を聞くことは物理的に有り得ない。
「……玲先輩にも聴こえたんですね、さっき」
『ああ。お前もか』
「……有り得ないですよね」
『有り得ないな』
「俺聴いたことあるメロディだったと思うんですけど、全然思い出せないんですよ。玲先輩、分かります?」
『あれ、ダンスマカブルだろう。私よりお前の方が詳しくないか? あの辺りは』
「……死の舞踏?」
カミーユ・サン=サーンスの交響詩、死の舞踏。
後にリストがピアノ独奏版を編曲しており、そちらを律も弾いたことがある。同じ『死の舞踏』であっても律の好みとしてはダンスマカブルよりもトーテンタンツと呼ばれている曲の方であることもあり、個人的な演奏回数としてはそう多い曲ではない。
ダンスマカブル――詩人アンリ・カザンスの詩から作り出された管弦楽曲。死神が奏でる、舞踏の調べ。しかし律の記憶が正しければその詩は真夜中、つまり午前0時を示していたはずだ。2日続けて曲は聞こえたのは午前4時過ぎ、というのはどうにも引っ掛かる。
『ちょうど私も今日気になる話を耳にしてな。茅嶋に話そうと思っていたんだ』
「何か関係ありそうですか?」
『分からん。が、管楽専攻の女生徒が次々高熱を出して倒れているらしい。季節の変わり目だからと言ってしまえばそれまでだが』
「いつから」
『ここ数日ほど。……どうにも関係ありそうだな』
「管楽専攻なら悠時に話を聞いてみた方がいいかもしれませんね」
『ああ、白石はサックスだったな』
また悠時のことを巻き込む形にはなってしまうが、専攻が同じ人間の方が色々と知っているだろう。律は管楽専攻に属している生徒とは時々ピアノの伴奏を引き受ける程度のものの上、伴奏が苦手で滅多に引き受けないこともありそれほど関わりがない。玲の場合はオーケストラに所属していることもあり律よりは関わりがあるかもしれないが、それでも関わる人間は限られている。それであれば悠時の助けを借りる方がスムーズに事は進む。そうだな、と応じた玲も同じことを考えたのだろう。
『悪かったな、こんな時間に。……演奏会だろう?とりあえず茅嶋はそちらに集中しろよ』
「はい。ありがとうございます」
『ん。おやすみ』
「おやすみなさい」
切れた電話を眺めて、さてどうしたものかと思案する。おやすみなさい、と言葉にしたところで、既に全く眠れる気がしない。
ベッドから立ち上がって、ピアノを置いてある防音室へと足を運ぶ。本棚に並べてある大量の楽譜から、探し出したのはダンスマカブルの楽譜。無数に並ぶ記号を眺めつつピアノの前に腰を下ろすと、楽譜を譜面台に置いて深呼吸をひとつ。
楽譜を見つつ、次々に指を動かす。弾いたことのない曲というわけではない、弾き始めてしまえばそれなりではあっても指が覚えている。弾き進めていくうちに思い出すのは、フルートが奏でていた旋律。この旋律で、絶対に間違いない。どうしてあれほど思い出せなかったのかが不思議だ。
知っている曲。覚えていられない旋律。あの様子なら、玲は聞いてすぐに曲名に思い当たっていたのだろう。その差が分からない。
ピアノの鍵盤を意味もなく押しながら考えるうち、気付けば夜が明けようとしていた。
夕方に始まった演奏会は、滞りなく終了した。ひとまずこれで肩の荷が下りた――あとは次の試験の際に弾く曲のことを考えなければならないが、当面急ぎでやることではない。
「俺やっぱりっちゃんのピアノ好きだわー……」
「褒めても試験の伴奏は引き受けない」
「いや頼むそこは引き受けてくれ」
演奏会の後、会場外で待っていてくれた悠時と玲の2人と合流して、向かった先は近所のファミレス。適当な食事とドリンクバーを注文して、ようやっと一息つく。気が抜けたのか、どっと疲れた、というのが正直なところだ。
「私も茅嶋のピアノは好きだよ。今回は曲もあるだろうが」
「おお、玲先輩にまで褒められた。有難う御座います」
「という訳で今度ヴァイオリンソナタに付き合えよ」
「俺伴奏として求められてるんですか何なんですかっつーか俺伴奏苦手なんですけど」
「りっちゃんてほんっと伴奏嫌がるよなあ。昔は合唱コンクールのピアノも断ってたっけ」
「まあ切羽詰まってたり他に伴奏引き受ける人がどうしてもいないなら引き受けるけどねえ……」
伴奏が苦手――というのは、少々語弊があるかもしれない、と律は思う。ピアノデュオや連弾というものであっても苦手で、恐らく他の人が演奏している空間でピアノを弾くのが苦手、と言った方が正しいだろう。自分の演奏に集中してしまいがちで、相手の演奏のことを考えられなくなってしまう。自分でも悪癖だという自覚のある、散々指摘されてきている律の弱点だ。
基本的に各専攻の伴奏にピアノ専攻は引っ張りだこになる運命だが、自分の癖を自覚している律は頼まれてもなるべく断るようにしている。相手のことを考える前提の弾き方を考えようと何度か挑戦はしているが、どうしてもなかなか上手くいかない。
「しかし最近のファミレスは全席禁煙が増えて困るな。煙草税の払い甲斐がない」
「玲先輩はちょっと吸い過ぎだと思いますけど」
「絶対柳川先輩の生活費の半分は占めてますよね、酒と煙草」
「身体のことを考えて控えるなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか、人生楽しまないとな」
いつ死ぬか分からないしな、と笑う玲に、俺は苦笑する。『此方』の力を持っているばかりに――そしてその力を使うことも生活の一部であるが故に、普通に生きるよりも更にリスクの高い生き方をしているのは間違いない。その言い分には一理あるのかもしれないが、しかしだからと言って過度に酒や煙草を摂取するのはまた違う話でもある。
「さて、フルートの件だな」
「ああ、昨日の朝りっちゃんが言ってたやつ?」
「それがさー、今日もあって、2日連続。今日のは玲先輩も聴いてる」
「ちょっと荷造りがあってたまたまな。茅嶋は起きてたのか?」
「昨日は起きてましたけど、今日は寝てて目が開きました。まあ俺元々眠り浅い方だからかもしれないですけど」
「白石は何も聴いてないのか」
「朝4時とか爆睡ですよそんなもん」
「だろうな」
「だよな」
何より、悠時が聞いているのならそれは本当に朝方にフルートを吹いて歩いている変人がいる、という話になる。それはこちらの領分の話ではないので、普通に警察に相談案件だ。
そこまで考えて、ふと律は引っ掛かった言葉を反芻する。
「……荷造りって、玲先輩どっか行くんですか?」
「来週から一週間ロンドンに行ってくる」
「ロンドン!?」
「ぽんとスケジュールが空いたからな!一人で気儘に旅行だ」
玲らしい理由ではあるが、本当に急だ。卒業前に、ということだろうか。イギリス、ロンドン。ヨーロッパの辺りであれば、母に会うこともあるかもしれないな、と律は思う。律の母は『ウィザード』としてヨーロッパを中心に仕事をしている。ころころと居場所が変わるので今どこにいるのかさっぱり分からない。下手なことは口にしないのが賢明だ。
「まあだから、今回のフルートの件は私が発つ前に片付けたい。じゃないと事態が悪化の一途を辿る気がする」
「うーん……でも取っ掛かりが……」
「白石。このところこんな時期に管楽専攻の生徒が高熱を出して倒れているそうだが」
「あ? あー……そういや何人か休んでたような……」
「何か共通点を知らないか?」
「って言われても……んー……」
ぶくぶくとコーラを泡立たせながら悠時が唸る。
タイムリミットは玲がロンドンに発つまで――来週まで。律としても毎日朝方4時にたたき起こされるのは面白い話ではない。ゆっくり眠れるなら眠らせてほしいものだ。あまり続くようであれば罪もないダンスマカブルを嫌いになってしまいそうな気すらする。
「……ちなみに玲先輩ってダンスマカブル弾いたことあります?」
「いや、自分で弾いたことはないな。アレはあまり私好みの曲じゃない」
「じゃあ何ですぐダンスマカブルだって分かったんですか」
「寧ろ何故茅嶋が分からなかったんだ?」
「あ!」
「……何悠時、急にどうしたの」
突然大きな声を上げた悠時に、ちらほらと店内の視線が向く。思わず視線を逸らしたのは不可抗力だ。ごめん、と笑いながら悠時は一人納得した顔をしていた。
「ダンスマカブル、それだよ」
「どれだよ」
「今な、ダンスマカブルの練習してるグループがあんだよ。んで、休んでるのそのメンバーだわ。確か6人くらい立て続けに」
すっきりしたとでも言いたげに早口で捲し立てた悠時の言葉は、恐らく当たりだろう。そうそう都合よく偶然一致することの方が有り得ない。
死の舞踏、ダンスマカブル。それが引き起こしているもの。――人為的なものだとしたら、そのグループに犯人がいる可能性はある。
「……白石、そのグループのフルートの名前は分かるか?出来れば全員」
「あー、俺グループ外なんでそこまではちょっと。小耳に挟んだ程度だし。明日でもいいっすか、朝イチで調べときます」
「頼む。茅嶋」
「はい」
「……ダンスマカブルに則るなら、死神が奏でるのはバイオリンだ」
「……バイオリン」
「相手が何を考えているのかは知らんが、……呼ばれている気がするな。気を抜くなよ」
苦々しげに、吐き捨てるように玲は呟いた。