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14
そしてそれは、1月も終わりを迎える頃。
一か月近く律に会っていないな、とぼんやり考えながら部活のメニューをこなす。勝手に会いづらくて離れているが、律に心配はかけているだろうことは想像に難くない。今日はそろそろ律のところに帰ろう、と心に決める。
何より、律がまた無理をしていないかが心配だ。一人で『ウィザード』としての仕事をこなして、怪我をしていなければいいのだが。ようやっとそういうことを考える余裕が出てきたのかもしれない、と一人苦笑う。本当にそんなことを考える余裕がなかったから。
あまりにもキャパオーバーだった。考えなければならないことがあまりにも多すぎて、結局途中で幾つかは考えるのを諦めた。憂凛のところには『アリス』もいる、というのは恭にとって何よりも安心できる材料でもあった――恭自身が、ずっと『アリス』に助けられていたから。きっと『アリス』は憂凛のことも助けてくれると無条件に信じられる。恭には何もすることが出来なくとも。
「やっと調子戻ってきたなあ、恭」
「ん-、でもやっぱ今のまんまじゃなー……次の大会アウト過ぎる……」
「ま、部内最速の部長としてはな。もうちょい頑張ってくれ」
「うーい」
きっと、ようやっと少しずつ、いつも通りの日常に戻り始めている。
部活を終えて着替えて外に出ると、真冬の寒さに襲われる。寒い、とマフラーに顔を埋めつつ取り出したスマートフォン、律に今日からそっちに帰ります、とメッセージを入れて。もっと早く言えと怒られるかもしれないなと思いつつ、校門から出て。不意に視界に入った人物の姿に、恭の足が止まった。見慣れた制服を着た、女子高生。
「……ゆりっぺ?」
校門から少し離れた電柱に、背中を預ける形で。おどおどとした表情で恭を見ているのは、紛うことなく憂凛だ。あの時とは違う――恭が知っている、憂凛。
「……きょうちゃん……」
「うん」
「……ッ、恭ちゃん!」
「う、お……っ!?」
今にも泣きだしそうなほどくしゃりと表情を歪ませて、そのまま走ってきた憂凛が正面から恭に抱き着く。この感じは久しぶりだな、と思いつつ何とか転ぶことなく憂凛を受け止めて、息を吐く。
「きょうちゃ……、恭ちゃん、体、大丈夫っ、あの、ほんと、怪我、大丈夫!?」
「ちょ、ゆりっぺ、落ち着いて。俺全然大丈夫、ちょー元気、だから、なっ?」
まだ校門から出ただけで、周りには普通に人がいる。注目を集めてしまっていることに否が応でも気が付いて、恭はおろおろしながら憂凛の背を撫でる。うう、と顔を伏せてしまった憂凛はきっと泣いているのだろう。
この状況を果たしてどうすればいいのか。とにかく憂凛が落ち着いてくれないことにはどうにも出来ないな、と思いながら憂凛を見下ろして、ふと視界に入ったのは。
「……、あ」
憂凛が持っている、スクールバッグ。幾つか可愛いぬいぐるみのキーチェーンがついている女の子らしいそれにひっそりと、チェシャ猫のキーホルダー。それは間違いなく『アリス』のもので、一斗から憂凛にきちんと渡ったのだと肩の力が抜ける。ちゃんと、憂凛の傍にいてくれている。
「……ごめん、ごめんね、恭ちゃんほんと、ごめんなさい、すぐ謝れなくて、ごめんなさい」
「だーいじょうぶだからっ、な? 俺元気だし! ……ゆりっぺ、元気そうで良かった。ごめんな、いっぱい怖かったよな。ごめん」
「憂凛のことなんてどうでもいいの!」
「いやそれは良くない全く良くない」
「恭ちゃんは全然悪くないの、ほんとに、憂凛が悪いの、ごめんなさい……」
「大丈夫だよ。大丈夫だから。俺、ゆりっぺのこと怒ったりとか、嫌いになったりとか全然してない。でも、すっげー心配だった。ホント、ゆりっぺが俺に会えるくらい元気になってくれて、良かった」
「……うん……」
ぐす、と鼻を啜った憂凛は、少し落ち着いてきたのだろう。その体が少し恭から離れていく。
「……ゆりっぺ、ここじゃアレだし、ちょっと場所変えよっか」
「うん……ごめん、恭ちゃん」
「気にしない気にしないっ、な?」
とにかく憂凛を安心させなければ。そう思って笑顔を浮かべた恭の顔を見上げた憂凛の顔は、涙でぐしゃぐしゃに濡れていたけれど。それでも少しだけ――本当に少しだけ。
安心したように、憂凛は笑ってくれた。
学校のすぐ近くにある公園のベンチに、二人並んで腰を下ろす。憂凛はまだぐすぐすと泣いていたものの、ハンカチで涙を拭きながら少し落ち着いた様子ではあった。
「なんか飲む?……つっても俺水しか持ってないや」
「……ううん、だいじょうぶ……ごめんね、ありがとう」
声も先ほどまでよりは幾分かしっかりしているので、とりあえずは大丈夫だろう。いつもの憂凛の雰囲気ではあるが、その表情はあまり見ることがないものだ。不安そうな表情。いつもの元気いっぱいの憂凛は、そこにはいない。
「あの、ね、恭ちゃん、アリスちゃん、……ありがとう」
「あ、うん。……俺、そんなことしか出来ないから……」
「ううん。ホントに助かった。あのね、憂凛、アリスちゃんといっぱいお話したの。……憂凛の傍に居るからね、ちゃんと憂凛が間違ったことしたら叱るから大丈夫、って言ってくれて、すっごく心強かった」
「……トーゼンじゃん。俺の頼れる友達なんだから」
「ふふ。……えと、あの、恭ちゃん」
「ん?」
「体、本当に、大丈夫?」
じっと心配そうな表情で恭を見る憂凛に、笑う。憂凛に比べればどうということはないし、何より恭に一度死んだ自覚がない。病院で目が覚めたときには恐怖もあったが、あっという間にそれどころではなくなった。
体のことに関しては一度きちんと斯道に礼を言いに行かなければいけないとは思っているのだが、どうにも憂凛に会う可能性があるので病院に足を運べなかった。会えばどうなるのか分からなかったし、会ってはいけないという厳命を二度も破るわけにはいかなかった。
憂凛を待ち続けることが、恭にできた唯一のこと。
「大丈夫だよ、ほんとに。もうずっと部活にも出てるし、ずっと走ってる」
「……そっか……、よかった……」
ほっとしたように肩の力を抜いた憂凛の表情が、少しだけ和らぐ。恭に会えなかった間、彼女は本当に心配してくれていたのだろう。自分のせいだと、憂凛はずっと自分のことを責め続けていただろうから。
憂凛のせいではない。これは自業自得だ。恭がいくらそう考えていても、憂凛にとってはそうはいかない。
「……宮内くんにね。夏休みの前くらいかな、告白されたの。……憂凛はそんな風に見てなかったから、ちゃんとごめんなさい、ってしたんだけど、ずっと事ある毎に告白されててね」
「めげなかったんだ、郁真くん」
「うん。……すっごくストレートに憂凛のこと好き、って言ってくれてたんだよ。どこで間違っちゃったのかなあ……本当にこんなことになると思ってなくて……」
「……今回の件のことって、大体聞いてる?」
「うん、なぎちゃんから。『カミサマ』の気まぐれに巻き込まれたんだって、聞いてる」
「そっか」
「でも、憂凛が悪いの。……悪いって言うより、甘かったのかなあ」
「……俺も悪いよ、ゆりっぺ。郁真くんに襲われたこととか、ちゃんと、ゆりっぺにも相談するべきだった」
「琴葉ちゃんがね、憂凛に言わない方がいい、って恭ちゃんに言っちゃったから、ってちょっと気にしてたよ」
「んー、でも、言わないって決めたの、俺だしさ」
少しずつの、お互いのことを考えていた筈のすれ違い。普段なら大したことがない筈のそれは、『彼岸』の手の上で大ごとへと変わっていった。
言わなければならない、話はしなければならない。近くにいるのだから。言わないことは、話さないということは――心配をかけてはいけないと黙っていることは、余計に心配をかけることになってしまう。
傷ついて、傷つけて。誰のためにもならない。
「……一昨日、ね。宮内くんに会ったの」
「え」
「恭ちゃん殺そうとしてごめんなさい、って謝られた。……のと」
「うん」
「……憂凛が恭ちゃんのこと好きだって、恭ちゃんにバラしちゃってごめんなさい。って、言われた」
その言葉に、心臓がばくんと音を立てた。黙っていれば憂凛が知らなかったことをあっさり言ってしまうのは郁真らしいが、できれば黙っていてほしかった、と思う。『アリス』からいつも通りにしておけばいいと言われていたし、それに従って気にしないことにしようと考えていたのが間違いだったのかもしれない。
もう、なかったことにはできない。
「……うん。えっと、聞いた……」
「そっかー……」
「……うん」
落ちる沈黙がやけに重い。気まずさに口を開こうとして、しかし何を言えばいいのかが分からない。憂凛の顔を見ることさえできずに、恭は目を伏せる。
「……あのね、憂凛ね」
「うん」
「あの日。お化け屋敷出た後にね、恭ちゃんに告白しようと思ってたの」
「……え?」
「あんなことになっちゃって、結局言えなかったんだけど……」
恭と同じように視線を伏せたまま、憂凛がぼそぼそと呟くように告げる。確かにあのとき、憂凛は恭にお化け屋敷の後に少し時間が欲しいと言っていた。恭と二人で話したいことがある、と。渚と佑月を待たせている状態であっても、恭と話したかったこと。
あのときの憂凛は、やけに不安そうな表情をしていた。何かあったのではないかと気にしてしまうほど。それが恭に告白しようと考えていたから――というのは、確かに辻褄の合う話で。
意を決したように憂凛が顔を上げて、恭に視線を向ける。それに気づいて、恭はそっと目を上げた。真剣な表情をした憂凛と目が合う。
きゅ、と結ばれた唇が、ゆっくりと開いて。言葉が零れる。
「憂凛は、恭ちゃんのことが、好きです」
いっそ時間が止まればいいと思った。それでも容赦なく冷たい風が二人の間を通り抜けていく。
どう答えれば。何を言えば。逃げてしまって考えなかったことが、次々に頭の中に降り積もってしまって。
「……いつから……?」
ようやっと出たのは、そんな言葉。喉がからからに渇いているような錯覚。緊張しているのだと、頭のどこかが冷静に考えている。
「んーと、結構前、かな」
「マジで」
「うん。去年……じゃなかった、一昨年? の夏? とかだよ」
「……俺ホントに全然気付いてなかったんだな……」
「結構分かりやすくアピってたのにね! 多分恭ちゃん以外皆知ってたよ? 茅嶋さんもー、なぎちゃんもー、他の皆も」
「……マジで……」
いい加減分かってはいたが、こうもはっきり言われると自分の鈍さにショックを受けてしまう。しかし当然の話だ、連に気付かれているくらいなのだから、憂凛と付き合いのある他の人間が気付かない訳がない。いっそ誰かが教えてくれればよかったのに、と思ってしまうが、とはいえ教えられたところでどうすればいいのかはやはり分からなかっただろう。
「覚えてるかなあ。憂凛が恭ちゃんと、初めて事件に巻き込まれちゃった時のこと」
「……あー……っと? どれ……?」
「ふふ。興味本位で調べものしてたら『カミサマ』に襲われてね、その時憂凛が狙われて、恭ちゃんそれ見て憂凛のこと庇って大怪我しちゃって」
「あー……琴葉先生のとこ初めて行った時だ?」
「そうそう」
憂凛の話すそのエピソードは、恭もよく覚えている。何も考えずに条件反射のように憂凛の前に飛び出した恭は、『彼岸』の攻撃が直撃して大怪我を負うことになった。それを見た憂凛のスイッチが入って、ほぼ一撃で『彼岸』のことは仕留めてしまったのだが。今では見慣れた光景だと言えるそれは、当時はなかなかに衝撃的な光景だったのだ。
病院で琴葉の治療を受けながら、呆れた顔をした渚に「馬鹿狐はわざわざ守らなくてもかなり強いぞ……」と言われたことを、よく覚えている。
「あの時ね、恭ちゃん言ってくれたの」
「ん?」
「憂凛は女の子だから、強い弱いとかじゃなくって、守ってあげなきゃ! って思うんだーって」
「……だって、ゆりっぺ女の子だもん」
「ふふ。だから憂凛は、恭ちゃんのこと好きになったんだよ?」
恭にとっては、当然のことだと思っていたこと。
憂凛が『半人』であったとしても、女の子という存在であるのは事実だ。恭が怪我をするのは日常茶飯事の出来事で特に気にも留めないが、憂凛は違う。
だから本当に、憂凛だから特別、というわけではなく。恭にとってはごくごく普通の反応だったのだ。
「それからも、恭ちゃんは憂凛のこと何度も庇ってくれたでしょ。ほら、パーカーくんに襲われた時とか、変なとこ行った時とか」
「そうだっけ?」
「そうだよー。……まあでも、恭ちゃんが庇うのって憂凛だけじゃないんだなあ、ってちょっと寂しい時もあったりしたけどね」
懐かしそうに過去にあった出来事を思い出しながら話す憂凛は、いつもより少し大人びて見える。
全く意識していなかったことは憂凛にとっては大切なことだったということに、不思議な気持ちになる。――人に好かれるというのは、どうにも不思議なものだ。
「恭ちゃんを好きになって、恭ちゃんを知れば知る程大好きになっていって、……でも恭ちゃんたらめちゃくちゃおにぶさんだから全然気付いてくんなくて!」
「ご、ごめん……」
「お馬鹿だしどんくさいし陸上馬鹿だし」
「馬鹿馬鹿言われるとさすがにへこむよ!?」
「ふふ。でもね、そんな恭ちゃんが好きなの。一緒に居るのが楽しくって、ずっと一緒に居られたらいいなって思ってた……ずっと」
そこで言葉は途切れて、憂凛の表情が変わる。真剣な表情になって、そして辛そうに。
胸の奥がずきんと痛んだのは、予感だったのか。
「告白の返事はいらないからね、恭ちゃん」
「え」
「憂凛、もう、恭ちゃんとは会わない」
「……え?」
一瞬何を言われたのかが理解できなかった。会わない。誰が。誰に。憂凛が、自分に。
どうして、と言いかけた言葉を呑み込んだのは、憂凛はまた泣きそうな目をしていたから。
「駄目なの。どうしても駄目なの、憂凛は自分のこと許せない、何があっても恭ちゃんに怪我させちゃいけなかった、堕ちたからって言い訳して許されるようなことじゃないの。……だって、恭ちゃんのこと、本当に、大切なのに」
「俺別に気にしてないよ」
「そういう問題じゃないの! 恭ちゃんが憂凛を許してくれたって、憂凛は絶対自分のことが許せないの!」
悲鳴のように叫んだ憂凛の目から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
何も言い返すことができない。恭自身、怖くなかったと言えば嘘になってしまう。殺されて、一度死んでいて、そんな状態に陥ってしまった現状で憂凛にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。それは憂凛も同じことだ。
一緒にいればふとした瞬間に思い出してしまうかもしれない。恭はまた憂凛が『半妖』に引き摺られてしまったら、また殺されるのではないかと怯えてしまう瞬間があるかもしれない。憂凛はまた『半妖』に引き摺られてしまったら、また恭を殺してしまうのではないかと怯え続けなければならない。
だから憂凛は、もう会わない、と決めたのだ。それくらいのことは、恭にも分かる。けれど、それは。
「……何の解決にもなんないじゃん、そんなの……」
「分かってる……でも駄目なの、怖いの、今だって……自分がまた恭ちゃん怪我させるんじゃないかって、すごく、怖い」
「……ゆりっぺ」
「だから、最後にするの。もう会わない。そしたら憂凛は、恭ちゃんのこと怪我させない。傷つけない。それしか方法が分かんないの」
「……なあゆりっぺ」
「勝手でごめんね」
そう言って、憂凛は立ち上がる。つられて立ち上がりかけた恭を制するかのように、憂凛は恭を振り返った。
彼女は笑う。泣きながら。
しかし、いつものような明るい笑顔で。
「これは憂凛の、最後の我儘!」
その瞬間何が起きたのか、分からなかった。
一瞬目の前が真っ暗になったような気がして、何か柔らかいものが唇に触れて。え、と思った次の瞬間にはまた、泣きながら笑う憂凛がそこにいて。
「恭ちゃんはずーっと、ずっと、憂凛の大好きな、かっこいいヒーローだよ!」
「……ゆり、っぺ」
「ばいばいっ」
零れ落ちた涙を拭うことすら、できなかった。
がちゃり、と合鍵で鍵を開いて、部屋の中に入る。そんなことをするのももう一月近くしていなかった。
入ったはいいものの、玄関から一歩も動けない。ぼおっと立ち尽くしてしまうのは、先ほど起きた出来事についてまだ恭の中で整理がついていないからだ。
何で、どうして。頭の中がぐるぐると混乱している。もう二度と会わない。もう二度と、会えない。
「恭くんおかえり、来るならもうちょっと早く連絡……、……どうしたの?」
全く部屋に入ってこない恭を不審に思ったのだろう。キッチンから顔を覗かせた律が、そのまま怪訝そうに表情を変えた。
誤魔化せない。何もなかったようには振舞えない。何かあったのが見て取れる表情をしている自覚もある。どうしたらいいのか、全く分からない。
「……りっちゃんさん……」
「……どうしたの、そんな顔して。何かあった?」
「あ、の……」
「とりあえず中に入りなよ。ご飯、もうそろそろ出来るしさ」
材料あったから鍋焼きうどん、と明るい声で言いながら律は笑う。気を遣ってくれていることは分かって、それがいつも通りの見慣れた表情と雰囲気であることに肩の力が抜ける。何も言えないまま頷いて、久しぶりに部屋の中に足を踏み入れる。のろのろと着替えている間に、当たり前のように律は夕飯の用意をしてくれて。
いい匂いがすることは、分かるのに。部活が終わった後で、空腹の筈なのに。
「久し振りに2人分となると分量分からなくて。少なかったらごめんね、まあ冷蔵庫に色々あるからもう一品くらい作れないこともないんだけど」
「……りっちゃんさん」
「んー?」
夕飯の用意をする律の腕を掴んでしまったのは無意識だ。動きを止めた律が、じっと恭の顔を見ている。
自分は今、どんな表情をしているのだろうか。考えたくはなかった。
「……俺、今、さっき、ゆりっぺに、告白されて」
「……うん」
「もう、二度と、会わないって」
「……、うん」
「俺に会わない、って……俺を傷つけたくないから、もう、会わないって……」
「……そっか」
「ッ……」
果たして自分は、憂凛のことが好きなのだろうか。
それはやはり、告白された今でも全く分からない。しかし胸の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまって、苦しい。
憂凛は狡い。最後の我儘だと笑って、涙の味だけ恭の唇に残していった。一生忘れることができないものを、恭の中に残していってしまった。
「……泣いてる?」
「……泣いてないっす……」
「そっか」
「……俺……」
「あのね、恭くん」
「……はい」
「泣いていいんだよ」
それは優しい声だった。小さく呟くように告げた律の手が、恭の肩をぽんぽんと叩いて。その瞬間にぶわりと目が熱くなって、零れ落ちていくもの。
何故泣いてしまうのだろう。悲しいのも辛いのも苦しいのも恭ではない、憂凛の方だ。自分が泣く資格はない。そう思ってしまうのに。
「う……っ」
ごめんなさい。ごめんなさい。謝罪だけが頭を埋め尽くす。
こんな自分を好きになってくれた彼女に見せる結末が、こんな結末であることが許せない。
崩れるようにへたりこんで子供のように声を上げて泣く恭に、律は何も言わなかった。気になることも聞きたいこともある筈で、それでも一言も何も聞かずにただ傍で恭を落ち着かせるように背中を撫でてくれていて。その優しさが有難くて、辛かった。
締め付けられる胸の痛みの理由は。