魔術師になれる教室の話 02

Session Date:20200315

 教室で始まった座学はまるでライトノベルのようだった。
 攻撃魔術がどうだ、防御魔術がどうだ。四大精霊というものが存在して。黒板に書かれる説明を真面目にノートを取っている中高生の横で、恭は既に爆睡中だ。時折頭を小突いて起こしてはみるものの、座学を聞くつもりは全くないらしい。

「……だってさーこういう話ってさー……り……えっと若頭? に散々聞いたことあるけどよく分かんなかったもん……眠いだけだもん……」
「おや。内容としては同じものですか?」
「違うと思うけどー……寝てたな……みおみおが聞いてたっす」
「でしょうね」

 律がするであろう至極真っ当で真面目であろう魔術の話を恭が聞いていられるとは思えない。授業は進み、やがて終盤なのだろう、講義を行っていた講師から質問はありますか?という言葉が出た。既に再び夢の世界に入っていた恭を起こしはしたものの、今度は欠伸を連発している。聞く気がない。

「ねむたい」
「舎弟が受けたいって言ったんでしょう」
「だってこんな話聞いて使えるようになるなら俺とっくに使えると思わないっすか? 時々座学されるんすよー、何言ってるか分かんないけど」

 何故それが分かるのにこの教室に来ようと思ったのか。頭が痛い。
ちらりと綴の方を見れば、一応きちんと起きてはいるようだった。授業を聞いていたかどうかは怪しい。つんつん、と脇腹をつつく恭に鬱陶しそうな表情が向けられる。

「寝てたら瞼描いてやろーと思ったのに」
「寝てないし! ていうか舎弟年下のくせに生意気だな!?」
「えっそうなの? 俺より年上?」
「……SUWAくん何歳でしたっけ」
「はたち!」
「えっ俺25」
「またまたあ。戸籍上そうなってるってだけの話っすよね」
「戸籍上……? えっ戸籍上ってなに、戸籍って年齢変わるの?」
「本気で言ってるんですかそれ」
「えっ組長まで!? だって戸籍上の年齢って都合で変わるもんでしょう」
「いや戸籍に書かれているのは実年齢でしょう……」

 何故ささやかな会話から別問題が勃発するのだろう。こんな25が居てたまるかという綴の言葉に同意はするが、だからといって綴より年下に見えるかといえばそれはまた別問題である。
 やれ10年前は高校生だっただの組長は40に見えるだの言い合っている恭と綴に遠い目をしつつ、授業はアクティブスペースへと移動する。どうやら教室の座学とアクティブスペースでの実技は入れ替えのようで、アクティブスペースに居た人たちが教室へと移動していった。座学で学んだことをベースに魔術を使えるように訓練しましょう、という言葉に恭が心底不思議そうな顔をして。

「……何か学んだっけ?」
「舎弟は最初から最後まで寝てましたね」
「それにさー、り……えっと若頭が呪文唱えるのってあんま見ないから……」
「若頭はね、若頭というジャンルですからね恐らく。『ウィザード』界隈には詳しくないですが」
「なかっ……組長は授業聞いてたでしょ? 何かかっこいい呪文唱えたりして!」
「しません」

 見学というテイで25歳の保護者をしているだけなので巻き込まないで欲しいと心底思う陵だった。
 徐に瞑想を始める綴にやいやいと絡みに行く恭を眺めつつ、陵は周囲の様子を観察する。皆思い思いに呪文を唱えたり瞑想をしたりしているが、実際に魔術を使えていそうな人間は一人もいない。何より最初に恭が口にした通り、こんなビルの中で本当に魔術が使えるようになったら大ごとになりかねない――と思ってしまうのは、陵も律の魔術を見慣れているからかもしれなかった。あの威力は出来れば食らいたくはない。運が悪ければ死ぬ。良くても死ぬような気はする。
 観察している間に、綴に適当にあしらわれたらしい恭は黙々と筋トレを始めていた。トレーニングメニューが一人だけおかしい。とはいえ、基本的に物理的な戦法を取っている恭にとってはそれが一番なのだろう。顔が不貞腐れているどころか「暇」と言いたげだ。来たいと自分で志望して来た手前、帰ると言い出さないだけマシかもしれない。
 そんなことを考えつつ、さてこれからどうしようか、と考えていた矢先。

「あれ」
「わっ!?」

 急に部屋が暗くなる。恐らくはただの停電だろう、何の力も感じなかった。わーわーと騒ぎになる中、スマホを取り出した恭がその明かりを頼りにそのまま陵の着物の裾を掴む。はぐれないように、ということだろう。……何故か綴も反対側の裾を掴んでいる。セルカ棒につけられたスマホが懐中電灯となって周囲を照らしてはいるが、光量は然程ない為アクティブスペースを何となく照らすのが精一杯のようだった。

「なあなあ舎弟、これ両方から引っ張ったら組長の着物大変なことになるのでは?」
「いやその時は俺が離すし。何でなっ……組長脱がそうとするの」
「真剣必殺みたいになるじゃないですかやめてください」
「やだかっこいい! やってやって!」
「まさかの」

 くだらないことを言っている間に、ぱっと電気が戻って――視界に入ったそれに、陵は眉を寄せた。あちこちで上がる悲鳴、状況に気付いた恭が真っ先に声を上げる。
「静かに! 騒がないで、一旦落ち着いて!」

 流石に律と共に仕事をして場数を踏んでいるだけあって、それなりには動じなくなっているらしい。わー、と呑気な声を出す綴は一旦無視して、陵は悲鳴の原因へと足を向ける。
 教室とアクティブスペースの間。そこに、めった刺しにされた刺殺体が転がっていた。


「大丈夫だよ、吃驚したよなー。あの人警察のひとだから心配しなくていいよ、おうち帰りたいよな、ちょっと辛抱してね、大丈夫だからね」

 アクティブスペースの隅に集めた人を宥める恭の声を聞きながら、陵は死体を検分していた。教室にいた人間もアクティブスペースにあったマット等を使って死体を隠し、アクティブスペースへと移動させている。教室に集めた方がいいのではないかという陵の意見に首を振ったのは恭だった。密室になる可能性がある場所に人を集める方が危ない気がする、という意見で、そこは恭のカンを信用した。確認してみたところ出入口が封鎖されている気配はなく、ビルから出ることは問題ない様子だったので、出入り口から遠くなってしまう教室の中に集めるのは確かにまずいかもしれない。勝手に警察の人扱いされたものの、それは恐らく普段もそうして対応しているということなのだろう。状況がまとまり次第律に連絡を取るべきかもしれない。
 よくよく刺殺体を観察する。恐らく陵たちが教室から出てアクティブスペースに出た際、入れ替わりにアクティブスペースから教室へと入っていった生徒のようだった。急所が分からなかったのか、心臓の周りを何度も刺されている形跡がある。抵抗もしたのだろう、体のあちこちに傷が見受けられた。刺殺体である分、これは恭には見せない方がいいだろう。一通り検分してから再度死体を隠して、恭にあらましを報告する。

「……うー。り……っ、若頭に報告入れた方がいいっすよねこれ」
「そうですね、そちらの方が色々とスムーズでしょうし。お願いします」
「えっ舎弟電話すんの? あっじゃあ組長俺も電話していい?」
「電話で何するんです?」
「連絡するの」
「誰に?」
「保護者」
「……保護者って誰です? 20歳」
「え?えっと……ホントに保護者なんですぅ……僕嘘吐かないいいスライムだよ、悪いことしないよ信じて!」
「はい駄目です」
「なんでー!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ綴の横で、恭は律に連絡を取っていた。事が事だけに本当に警察を呼んだ方がいいのかもしれないが、何せ『魔術師になれる教室』という何とも言えない場所で起きた事件だ。世の中に大々的に広めると話がややこしくなる上に模倣犯が出ても困るのでこちらで手を回す、というのが律の返答だった。

「今から手配してくれるってー、あと俺の説明分かりにくいから組長が連絡してって」
「ああ……」
「いやひどくない? 俺ちゃんと説明出来たくない?」
「舎弟にしては頑張りましたねまあ」
「あと組長警察手帳手配しようか? って」
「飴でもくれるくらいのノリで警察手帳渡そうとしないでください」

普段の仕事の時どんな立ち回りをしているのだこの2人は、と一瞬思ったものの恐らく考えてはいけない話だ。今からの手配だと、まだ時間はかかる。その間に調べられることは調べておくべきだろう。教室にいる一般人を放置しておく訳にもいかない。恭に一般人と――恐らく『撮れ高』の為に色々と一緒に動き出そうにしている綴の面倒を任せて、陵は教室の方へと足を向けた。
 教室の床には赤い絨毯が敷かれている。そのせいで見落としていたが、かなりの量の血痕が残っていた。引き摺ったような雰囲気があることを考えると、恐らく教室で殺してから引き摺って運んだ、ということだろう。考えつつ教室の中を検分すれば、隅の方にナイフが転がっている。いかにも儀式に使いそうな凝った装飾の、ルーン文字らしきものも刻まれている切れ味の鋭そうな品だ。下手に触れない方が良いだろう。こんなものを使いながらただの刺殺体、ということはやはり一般人の仕業である可能性が高い。やはり本職の警察に任せるべきなのではないだろうか、とはどうしても考えてしまう。
 一通り検分を終えてアクティブスペースへと戻ると、相変わらず恭がああだこうだと怯える生徒たちの面倒を見ていた。その隣で隙あらば教室に行こうとしていたらしい綴はしっかりと恭の手に捕まえられている。動く度にだめ、と押さえつけられているらしく、どうにも見た目が犬の躾に近い。
 陵の報告を一通り聞いた恭は困った顔で首を傾げる。んん、と何かを思い出すように呻いて。

「……あのー、前ゆっ……奥さんに聞いたことあるんだけど、若頭が使わなさそうなことで魔術を使おうとするのは『ネクロマンサー』だよって……」
「ああ……ですよね、死体必要ですもんね……」
「……ってなると、SUWAくん以外に同業者の人がいたり? する?」

 恭の言葉に、陵はぐるりと周囲を見回した。こんな教室に来ているくらいだからとその可能性を無意識に除外していたのかもしれない。もし居たところで、そういった感覚に疎い恭では分からないのだからもっと早く気付くべきだった。
 見回した瞬間、一人のロリータ系の服装を身に纏った女の子と目が合った。にこり、と微笑まれて、そのままこちらから目を離す様子はない。よくよく集中してみれば、感じる気配は間違いなく『彼方』のものだ。

「……えっと、何でしょうか?」
「え? 何でしょうか」

 思わず声を掛けると、不思議そうな返事が返ってきた。見たのはそちらだろうとでも言いたげだ。視線に気づいた恭が気にせず女の子の方へと寄っていく。行動が不用心のようで、この場合警戒するのも危険がある――対応が難しい。

「怖くない? 大丈夫?」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「ん? 怖くなさそうだなあって」
「だって怖いことなんて何もないから」
「そっか。……そっかあ……」

 女の子の返答にうんうん、と頷いて、恭はくるりと陵の方に戻ってくる。複雑そうな表情をしているところから見ると、返答の仕方で何となく気付きはしたのだろう。

「……『あっち側』?」
「恐らく」
「うー……いやでもだからって疑うの良くない、たまたま居るだけで何の関係もないしもしかしたら『あっち側』がいるの知ってて罪を擦りつけようとしてやらかしてるかもしれないし」
「まあそうですよね。では彼女のことは一旦保留という形にしましょうか」
「うん。一応いるってことだけ頭に置いとく、でいいと思う」

 分かんないけど、と言葉を続けた恭にはしかし、彼女を疑っている様子は全く見受けられない。『彼方』の人間だからといって頭から疑ってかからないのは恭の長所であり短所でもある。とはいえ、陵からしても『彼方』だからといって疑うつもりはあまりない。どうにも刺殺体の状況を考えると、そういったものとは無関係ではないかという考えが強くなる。急所を狙い損ねていることを考えてもその行動はあまりにも稚拙で、そして残虐というには微妙なところだ。

「……少し休憩しましょうか。給湯室がありましたね、お茶でも淹れてきます」
「あっ組長俺も」
「こらSUWAくんおすわり!」
「ぐえっ」

 陵の行動についていこうと目を輝かせた綴だが、即座に恭に服を掴まれて引っ張られている。元々反射神経が良いので反応が早い。この様子では綴がついてくる心配はないだろう、と思いつつ陵は給湯室に足を向けた。
 給湯室には流し台とコンロ、停電のせいか電源の切れたポット、それに数人が座って食べられるようなテーブルと椅子が置かれていた。ちょっとした休憩所といったところだろう。ひとまずポットでお湯を沸かし直し、お茶を探そうと戸棚を開けて。

「……?」

 何も書かれていない、白い結晶のようなものが入った小瓶。見慣れた塩や小麦粉といった調味料の類ではなさそうな雰囲気がある。何より怪しい。瓶を開けてくん、と匂いを嗅いでみたものの妙な匂いがする訳ではないがしかし。

「……違法薬物とかそういう類のものですかねこれ……」

 そう考えると辻褄が合う。魔術が使えるようになる、というのが薬による幻覚の類であれば。知らず知らずのうちに違法薬物を摂取してこの教室に依存させていくことで、かなりの金額を手に入れることが出来るのではないか。書類に細工も必要ない。
 小瓶を持ったまま恭のところへと戻り、恭のスマホから飛び出してきた白いもやもやが小瓶をじろじろと観察して、恐らくそうだろうという返答が返ってきた。——これは本当に、警察案件かもしれない。どこで薬が混ぜられているかも分からない現状、お茶を飲んで休憩する、ということさえ難しそうだ。

「こうなってくるとなかっ……組長をひとりでうろうろさせるの心配になってきちゃうな……」
「俺! 俺行くってさっきから言ってるのに!」
「SUWAくんはだめって言ってんじゃん、弱そうだし」
「舎弟の癖に失礼だな!? SUWAくんはこれでも数々の心霊スポットから生還してるんですからね!? あ、動画見る?」
「いやいい俺あんまそういうの興味ない。動画見るより自分で動きたい派だから」
「このご時世に……!?」
「んんー、アリスちゃん、何かあったらお願いしていい?」

恭の一言に、チェシャ猫のキーホルダーから女子高生が現れる。呆れ切った顔をしながらも、どこか警戒しているのは先程の『彼方』の存在だろう。女の子は当然のように『アリス』が見えている。じっとこちらを見ている視線はどうにも考えが読めずに気味が悪い。

「とはいえあとは何を調べましょうか」
「うー……あ! 停電したから配電盤とか?」
「ああ、そうですね」

 恭の言葉にぐるりと見回してはみるものの、目につくところに配電盤のようなものはない。思い返してみたが、教室や給湯室にもそういう類のものは見当たらなかった気がする。何より目にしていれば恭に言われるまでもなく停電のことを思い出せていただろう。
 受付に居た女性に聞いてみたところ、配電盤は物置にあるとのことだった。ついてこようとする綴のことは恭に任せることとして、陵は物置へと足を運ぶ。——中に入って、無意識に溜め息が漏れた。早く気付いて最初に此処に来るべきだったのかもしれない。
 物置には、閉まりきっていない配電盤の扉と――血まみれの服が、残されていた。