魔術師になれる教室の話 01

Session Date:20200315

「魔術師になれる教室だぁ?」
「しー! しー! パーカー、声でけえ!」
「うるさいのきょーだと思うんだけど……」

 早朝、神社の石段の下にて。
 柳川恭はいつものように近所の神社までトレーニングに訪れていた。いつもなら石段を上り、神社に参拝してからトレーニングを開始するのだが今日はその前に境外社に祀られている友人――通称『パーカー』のところに寄り道していた。ついこの間耳にした情報を話したくてうずうずしていたので、トレーニングそっちのけで押し掛けたと言っても過言ではない。ちなみに石段の下なのは「俺まだ龍神様に挨拶してないから!」という恭の言い分によるものである。
 心底何言ってんだコイツ、という視線を向ける友人を意に介さず、恭は先日聞いた『魔術師になれる教室』の話を続ける。

「……きょー、あのさあ」
「ん?」
「お前何年『ヒーロー』やってんの?マジでそれ信じてんの?ばかなの?」
「パーカーに馬鹿言われた」
「ていうかそれ行く気なの? 怒られない?」
「行く! だってさーもしかしたらさー、『ウィザード』になるのは無理でも必殺技っぽいの撃てるようになるかもしれないじゃん?」
「……、りょーさーん! きょーがばかなこといってるー!」
「あ、ちょっと!」

 むう、と眉を寄せた友人がぱたぱたと石段を駆け上がっていく。慌てて後を追いかけようとして思い留まったのは、先日のとある事件以来「暫く恭ちゃんが持ってて!心配だから!」という言いつけによりスマホのストラップに収まっているチェシャ猫のキーホルダーを気にしたからだ。『彼女』はこの神社には入れない。
 ややあって友人が境内からぐいぐいと箒を持ったままの神主を引っ張ってきた。なんですか、と友人に困った顔をしていた神主――中御門陵は石段下の恭の顔を見てああ、と声を上げる。

「おはようございます、柳川くん。上がってこないので今日はトレーニングお休みかと」
「おはよーございまーす! ちょっとパーカーと喋りたくて! 先にご挨拶と思ったんだけど今日はアリスちゃん一緒だから」
「ああ、成程。……で? 何ですか馬鹿なことって」
「馬鹿なことじゃないっすよ!」

 むう、と不貞腐れた顔をしながらも、恭は先程友人にした話をもう一度話し始める。黙って聞いていた陵の表情はどんどん困惑していき、話し終える頃には大きな溜め息ひとつ。

「……その件、茅嶋さんに話しました?」
「え? 言ってない」
「何でですか!?」
「えっ何でそんなびっくりするんすか。『ウィザード』関係のことならまあ律さんの耳に入ってるでしょ」
「そんな当然みたいな顔して……。……ところで今茅嶋さんは?」
「この前のお仕事でやらかしたので強制的に休暇っす。今回は3日くらいって」
「ああ、いつもの」
「そう、いつもの」

 恭の一言に、陵は納得したように頷いた。時折神社にも「ちょっとリフレッシュ」なんて言いながら泊まりに来ることがある。そういう時の彼は大体疲れ切った顔をしているので、何だかんだと言いながら宿泊させているのだが――結局のところ持ち込んで仕事をしていたりする。リフレッシュになっているのかどうか怪しいところだ。
 彼がその状態ということは、その相棒である恭も休暇中ということで。つまりは野放しだ、と思いながら、陵はチェシャ猫のキーホルダーに目を向けた。首を傾げた恭がすぐに気付いて、アリスちゃん、と呼び掛ける。途端、ふわりと現れるのは一人の女子高生。見つからに機嫌が悪い。

「アリスちゃんは良いんですか? 柳川くん、怪しいところに行こうとしてますが」
「……だってきらきらした瞳で『魔術使えるようになりたい!』って言うんだもの……そんな馬鹿な話ある訳ないでしょうって私には言えなかったのよ……昔から憧れてたのも知ってるし……」
「御年25歳に甘過ぎません?」
「えっアリスちゃんも馬鹿な話だと思ってたの!? ひどくない!?」
「だから私を連れて行かないなら行かせないって言ったでしょう?」
「えー大丈夫だっていけるって、ワンチャン使えるようになるって、律さんびっくりさせるんだー」

 ふふん!と胸を張る恭に、3人は顔を見合わせて。
 同時に吐かれた特大の溜め息に何で!と恭が騒ぎ出すまで、あと数秒。


 やる気満々、ノリノリの恭には悪いが、聞いてしまった陵としてはそんな怪しいところに恭を一人で行かせるわけにはいかない。こっそり律に連絡を取ると、盛大な溜め息が返ってきた。

『ああもう……本当に申し訳ないんだけどうちの馬鹿お任せしてもよろしい……?』
「構いませんけど何で野放しにしてるんですか」
『いやもういい大人だし俺が散々魔術の話はしてるしいい加減そんな馬鹿な話にも引っ掛からないでしょ普通なら……。その調子じゃ憂凛ちゃんにも言ってないんだろうなあ……』
「大方魔術を使えるようになってから見せて吃驚させたいとかそういう感じじゃないんですか、柳川くんのことですから」
『ははー……馬鹿ー……。……ほんっとにごめんね、でもその教室あからさまに怪しいから、何かあったら連絡してくれる?俺は動けないけど適当に手回すことくらいはできるし』

 何もなければいいけど、と呟く電話越しの律の声は疲れ切っていた。流石に律が一緒に行けばいいのでは、とは言い辛い雰囲気で、陵としては引き受けるほかない。いつもと同じような状態なのであれば、万が一が起きたところで今の律がまともに戦えるとも思えない。ここは保護者代理を任されておくべきなのだろう。対価に今度仕事を手伝ってもらおう、と打算したのは黙っておく。
 そんな訳で――今日行ってみるつもりだ、という元気な恭に付き添う形で、訪れたのは雑居ビルの一角だった。様々なセミナーが行われているらしいビルの中で、同じようにその教室が行われている。中に入れば受付の女性がにこやかにこんにちは、と出迎えた。穿って見ているせいもあるのだろう、その笑顔が陵にとっては既に胡散臭く見える。

「受講者の方ですか?」
「はーい。初めてなんすけど!」
「ああ、入会希望の方ですね」

 鴨が葱を背負って来ているようにしか見えない。受付の女性が書類を出すなりすぐに書こうとする恭の首根っこを慌てて捕まえる。悪徳商法や詐欺にあっさり引っかかっていいカモにされるのではないかという一抹の不安が胸を過ぎる。もっとも、本当に悪徳商法や詐欺なのであれば恭の場合「何か変な感じがする」という野生の勘で回避してしまうのだろうが。何故この教室が回避されていないのかは謎だ。

「何なかみー?」
「そういった書類は書く前にきちんと説明を聞かないと駄目ですよ、それに書類の内容もきちんと読んで下さい。下の方に小さい字で何か書かれていたりしたらどうするんですか」
「えっめんどくさい……ぶんちゃんにチェックしてもらお……」

 む、と眉を寄せた恭はそのままぱしゃりと書類の写真を撮る。任せろとばかりにひょこ、とスマホの上に現れた白いもやもやが書類を精査しているのを見ていると、自然と疲れた溜め息が出た。甘やかされている。大丈夫だろうか。とにかく心配になってしまう。
 白いもやもやが書類を確認している間――とはいえそれは他人には見えていないのだろうが――受付の女性が入会書類の説明を始める。1日体験コースが1000円、いくつかの継続受講コースは期間に合わせて1万円からかなり高額のコースまで用意されているようだった。

「……いきなり継続コースとか入ったら怒られるなこれ」
「当たり前でしょう」
「ゆりっぺに内緒で5万とかのコース入ったら尻尾びたんびたんされるのが目に見えてる……。なかみーも書類書く?」
「私は受講する気はないんですけど。見学は可能ですか?」
「見学ですか。それでは1日体験コースと同じという扱いになりますので1000円頂くことになりますが、宜しいですか?」
「じゃあそれは恭くんに払ってもらうとして」
「俺!? 何で!? まあ払う……払うけどぉ……なかみーお金出さないの?」
「受講するのはどなたでした?」
「はい。……何でなかみーついてきたのか分かんない……」

 むう、と不貞腐れながら、白いもやもやの「書類に問題ないで!」という言葉と共に恭は書類に向き直る。何だかんだと必要事項を記入した後、説明を受けて中へと案内されるという流れとなった。
 教室はそれなりに盛況ではあるようだった。何やら魔術を使おうと呪文を唱えている人や、何かよく分からない儀式をしようとしている人が見える。アクティブスペースといってここで魔術を使う実践を行っている空間だという説明がされて、そこで眉を寄せたのは恭の方だった。

「……ねえなかみー、狭くない?」
「急に何言ってるんですか」
「こんなに狭いとこで魔術を使っていいものなの?律さんビルごと吹っ飛ばしそう」
「まああの人は……、というか柳川くんはそういうことは分かっているのにどうしてここに来ようと思ったんですか……」
「えっ使えるようになるかなって」

 何故そこは信じるのか。ツッコミを入れたところで恭に通じるとは思えない。
 物置とトイレ、給湯室を通り過ぎ、続いて案内されたのは座学を行っている教室だった。大体が中高生だろうか。時折大人が混じっているのは恭と同じ感じなのだろう。深く考えてはいけない。そこでふと視界に入ったのは、席に座ってセルカ棒を立て、授業を録画しているらしい青年。あ、と声を出す前に、相手がこちらに気付いた。

「く、組長!? 何で? 何で組長がこんなところに!?」

 金髪で黒いマスクをした青年――先日、律と共にキブレに呼び出された事件の際に出会った『ウィザード』の青年、YoutuberのSUWAこと諏訪坂綴。律と共に名乗りはしなかったものの、やはりどこかで変な縁は出来てしまっているらしい。

「……組長なの?」
「まあ色々あって組長です」
「何で組長なの?」
「……まあ色々ありまして。彼は同業者ですよ。YoutuberのSUWAくんです」
「どうもー! チャンネル登録お願いします!」
「あ、間に合ってます……」
「本名を名乗ると面倒なことになる可能性があるということは覚えておいてくださいね。ちなみに君の相棒さんは若頭です」
「ぶっ」

 噴き出した後、恭は口を押えて蹲ってしまった。小刻みに痙攣している。爆笑しそうになっているのを必死で堪えているのだろう。ひょこひょこと近づいてきた綴が恭を見て首を傾げ。

「ゆあいず舎弟?」
「……しゃてー?」
「組長は連れてる若い子って言ったらチンピラか舎弟なのでは」
「ああ、この子は若頭の舎弟ですよ」
「若頭の!?」
「舎弟だっけ……?」
「話を合わせておいてください」
「あっじゃあはい、よくわかんないけどしゃていです」

 本当によく分かっていない。綴の表情がどこか恭を馬鹿にしたものに変わるのが見て取れる。あまり細かいことを言うと話がややこしくなるな、と陵は今日何度目かの溜め息を吐いたのだった。