One Last P"l/r"aying
22
目が覚めたその日の夜に悠時と芹が見舞いに現れた。病室の扉が開いて、律と恭が顔をあげて、何か言うよりも早く。
「いっ……!?」
「恭ちゃんもっと痛かったと思う」
「……、っ」
「これは悠時さんと芹を心配させた分です」
「お、落ち着け芹……」
「芹ちゃんストップストップ!?」
つかつかと歩いてきた芹に、そのまま容赦なく腹を殴られ。続けざまに左頬に平手打ち。声も出せずに蹲る律に、恭と悠時が慌てふためく。恐る恐る顔を上げれば、芹は無表情に律を見下ろしていた。
――怒っているのだな、と。心配を掛けたのだなということが、よく分かる。
「……ごめんなさい……」
「茅嶋くんはこういうときにちゃんと謝れる男だから余計に腹立ちますね、謝ったって遅いんですよ。やっぱりもう一発」
「おい!?」
振り上げられた手に覚悟したものの、その手が振り下ろされる前に悠時が慌てて手首を掴む。ぎり、と手に力がこもったのは見て取れたものの、芹は悠時の手を振りほどこうとはしなかった。その代わりに無表情がくしゃりと歪む。
「……ぶじで、よかった」
「芹ちゃ、」
「本当、よかった……」
芹の手から力が抜けて、悠時の手が離れる代わりにぽんぽんとその背を撫でる。俯く芹は涙を堪えていて、そのまますとんと恭の隣ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
「……悠時も、ごめん」
「何で芹に殴られたかちゃんと分かってんな? りっちゃん」
「分かってる……心配かけてごめん」
「ごめんじゃねーよ、ばーか」
「……ホントに、ごめん」
芹が先に怒った分、毒気は抜かれたのだろう。苦笑交じりに口を開いた悠時はいつもと変わりない。それでも律には謝ることしか出来ない。芹が殴っていなければ、悠時に殴られていただろう。それくらいのことをしてしまったことは分かっている。
「ったくさー……何で一言先に相談するっつーことが出来ねーんだよ、おめーはよ。昔っから何回言っても直んねーな」
「……ごめん」
「なあ。俺は芹とか恭とか、……りっちゃんとはやっぱ違うけど、そもそも生きてる世界自体が全然違うことくらい分かってっし、俺なんかに相談したってどうにもなんねーかもしんねーけど。でも俺は、りっちゃんの気持ちを楽にしてやるくらいのことは出来るつもりでいるんだよ。大馬鹿野郎」
悠時は全てを知っている。それでも『此方』の人間ではないからと一線を引いてしまっていたのはいつからなのだろう。何があったのかを話すことはしても、何かが起きる前に話すことはいつの頃からかなくなっていた気がする。
4年前、死ぬ気でいたあの時よりもきっと、悠時のことを傷つけた。それでもこうして普通に接してくれるのだから、この幼馴染は優しすぎる。周囲の人間に恵まれたことに、感謝するべきだろう。
「……茅嶋くん、落ち着いたら『魔女』のところに行くんでしょう」
「……うん」
「あ、俺! 俺もついてくっす!」
「本当は芹も行きたいんですけど、」
「3人で行くのは俺が心配で死ぬからまじでやめてくれ」
「……って悠時さんが言うので、悠時さんと一緒に待ってますから。必ず帰ってくるって約束してくれますか」
約束できるかどうかは分からない。思わず黙ってしまった律に、真っ直ぐに芹の視線が突き刺さる。ここで必ず帰ってくると約束するのは違う気がして、どうにも上手く言葉が出ない。
「大丈夫っす。俺が連れて帰ってくるから」
「……恭くん」
「嫌だ無理だっつっても引き摺って帰ってくるんで、だいじょうぶ!」
「恭のその自信はどっから出てくるんだ……?」
「恭ちゃんがいい子過ぎておねーさん泣いちゃう……」
ふふん、と笑う恭に不安の色はない。本当に心から絶対に大丈夫だと信じているそれに、肩の力は抜ける。
そうそう簡単に勝てる相手ではない。向こうはこちらより遥かに実力を持っている。ずっと戯れているだけで、彼女の本気がどの程度のものなのか、律には想像もつかない。
恭は会ったことがないから言えるのだ、と切り捨てるのは簡単だ。実際その部分もあるのだろう。しかし、恭は引き摺られた律と相対している。それよりももっと上だということくらいは分かっている筈で、それでも。
「……恭くんが馬鹿で助かるな」
「ひど!?」
「褒めてるんだよ、ありがとう」
「おお……?」
意味が分からずに首を傾げる恭を見て、思わず笑う。
――ああ、戻ってこられてよかったと。ようやく心の底から思えた気がした。
琴葉の「最低3日間入院」の見立ては間違いではなかった。
眠る度に引き摺られていた時の光景を夢に見て魘され、飛び起きて、その度吐く、の繰り返し。だからといって起きていたところで、唐突にフラッシュバックに襲われて心臓を握り潰されるのではないかというほどの感覚に陥ってしまう。
いくら周囲がいつも通り接してくれても、変わっていないように見えても、実際に起きてしまった出来事は何ひとつ変わらない。琴葉は「まあ頭の中を弄られてたようなものなので、その反動としては仕方ないです」と言っていたが、発作のように感情に押し潰されてしまいそうになって、その度恭が大騒ぎしながら大丈夫だと何度も律に言い聞かせるというループが続いた。
恭は病院が別に病室を用意しているにも関わらず、全く使わずに律の病室に入り浸っていた。怪我は全快したこともあり、琴葉の一存で律の病室に簡易ベッドが運び込まれた。その上で「柳川くんはもう退院。はい馬鹿は学校に行ってらっしゃい」と笑顔で怒られるという状態だ。実際問題恭はあまり学校をサボる訳にもいかないので、文句を言いながらも病院から学校に通っている。
無断欠勤になってしまったバーテンダーのバイトは、一度家に戻った恭が律のスマートフォンを持ってきてようやっと連絡ができた。今まで無断欠勤はなかったこともあり大層心配され、ひたすら謝った上で実家の都合で一週間ほど出勤出来ない、という言い訳をつけた。本来クビになってもおかしくない状況ではあったが、オーナーが「待ってるよ」と笑ってくれたことに胸を撫で下ろす。築いた信頼の上のものだろうが、有難いことだ。
律の状態を見つつ、結局5日間の入院となり――そこでやっと、琴葉から退院の許可が出た。
「まあまだまだフラッシュバックもあるだろうし夢見も悪いでしょうけれど、ちょっとずつ落ち着いてますし。後は柳川くんがうるさいから何とかなるでしょうし、ま、大丈夫でしょう」
「……何かすごい適当言われてる感じがしますよ、鹿屋先生……」
「ん? それは失礼しました。まあでも本当のことですよ。最初はどうしようかと思いましたけどねえ」
「ご迷惑をお掛けしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
頭を下げた律に、いえいえ、と琴葉は笑う。そして鞄からごそごそとタブレットを取り出すと、律の前に置いた。画面は真っ暗で、まだ何も映ってはいない。
「……えっと?」
「ここからは少し『仕事』の話をさせて頂きますね、茅嶋さん」
「!」
「柳川くんに話は聞きました。……まあよくご存知でしょうけどあの子の話いつものことながらさっぱり要領を得なかったんですけど、まあ、渚からも大体聞いたので、茅嶋さんの入院中にこちらのルートでちょっと色々と調査させて頂きました。渚が自分からすごい動いてくれてたんですよ」
「……渚くんが」
あの現場に渚がいたのは覚えているが、病院では全く渚とは顔を合わせなかった。会って謝らなければと思ってはいたものの、律自身が会いに行けるような状態ではなかったのだ。突然恭に巻き込まれて酷い目に遭っただろうに、それでも動いてくれることに驚きが先に立つ。恭と渚、そして渚の幼馴染の3人でよく事件に巻き込まれていたので何度か手助けしたことはあるが、そこまでしてもらえるほどだったという自覚は律にはない。
「というわけで『魔女』新藤 奈南美のことについて色々と調べさせて頂きまして、ついでに現在足止めもさせて頂いてます」
「……あ、はい、すいません……」
よくよく考えれば、律の動きは基本的に奈南美に筒抜けだといえる。故に、律が今幾ら頑張って調べたところで尻尾を掴むことは出来ない。
あれから4年もかかって、しかし結局律が奈南美に会うことが出来たのは、向こうの招待があってこそだった。向こうにその気がなければ、律は奈南美を捕まえるどころか居場所を知ることすら出来ない。律は恐らく、常に彼女に見張られているような状態に近いのだ。
そもそも、律と奈南美の間に起きたことを知っているのは、律の周囲では悠時と母と祖母の3人だけだった。律は誰にも何も言わずに過ごしてきたし、だから誰かに協力して貰う、ということも今までなかったのだ。
律でなければ――つまり、琴葉と渚なら、動いていても奈南美に対策することはできない。呆気なく『調べられて』しまうだろう。その可能性に早く思い至るべきだったのかもしれないが、律自身が誰かに相談したところでその相談内容は筒抜けになってしまうことを思えば、こんな状態になった結果とはいえ最善の策をとれている可能性はある。
「今私が茅嶋さんに話をしても『魔女』の方に情報がいくことはありませんのでご心配なく」
「……一体どんな手段使ってるんですか? それ」
「ん?私は医者、『ヒーラー』ですからね。私が治療してきた『此方』ってそこそこの人数が居るんですよねえ。必要な相手には脅迫してみたり懐柔してみたり頼み込んだりしてみました」
「あのー……鹿屋先生割とアレですね。あくどい商売されてますね?」
「ふふ。まあ軽い冗談ですよ。私にも仕事仲間というものは居ますから。それに私も君と同じ、『彼方』に足突っ込んだことある人間ですので。その分身を守る手段には長けているつもりです」
悪戯っ子のように琴葉は笑う。その過去に何があったのかは律には分からないが――間違いなく、琴葉はそれなりの実力を備えている。かなりの修羅場を踏んできているだろう。そうでもなければここまで肝が座っているとは思えない。
正体の分からない相手を。その相手に堕とされている律を、その結果大怪我をした恭や渚を見ているにも関わらず、それでも臆することなく奈南美を調べるというのはかなり度胸のいることだ。考え無しで何でも首を突っ込む恭とは訳が違う。
「さて。それではお話しさせて頂きます」
「……はい、お願いします」