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15
玲が亡くなった。
突然苦しみ始めて、けれど全く原因が分からず、色々手を打ってはみたものの何の効果もなく、そのまま朝方に息を引き取ったのだという。結局あれから一度も、意識は戻らないまま。死因は不明、病気らしい病気の所見も見当たらず、その身体は健康そのものだったという。――当然の話ではある。玲は病気で亡くなったわけでも、怪我で亡くなった訳でもない。玲が苦しみ始めた時間は、律が玲の部屋にいた時間とほとんど一致していたのがその証左だ。
玲の部屋が元通りに戻っていたことについては、それ以上触れられることはなかった。警察内部にも『此方』の事情に詳しい部署はある。茅嶋家としてその部署に話を通し、そちらで処理をしたので気にしなくてよい、というのが伊鶴からの話だった。
喪服に身を包んで、治らない左足を引き摺って、律は悠時と2人で葬儀に参列した。玲先輩の実家は隣県にあり、葬儀もそちらの方で行われた。憔悴しきった様子の母親と、厳しい表情をした父親と、そしてずっと泣きじゃくっている中学生の弟と。その光景はあまりにも胸に痛くて、律は何も言うことができなかった。多くの人が玲の突然の死を悼み、悲しんでいて、ああこの人は本当に愛されていたんだな、とぼんやりと思う。
大抵の場合葬儀の場には本人も『居る』ことが多いが、玲の姿は終ぞ見られなかった。ただ、魂を失った抜け殻の身体がそこにあるだけで。
『間違いなく、律じゃなくその子が連れていかれたね』
あの日、玲の母親から玲が亡くなった、との一報を受けて。何があったのか一部始終を千里に説明すると、はっきりとそう告げられた。最初に玲の身に何があったのかは結局分からず仕舞いではあるので一概には言えないが、順番として最初に対峙した玲から取り込まれたのではないか。その可能性としては一番有り得る話で、現状他に考えようもない。倒せなかった結果、玲を助けられないどころか――死なせてしまった。
「りっちゃん」
「……え、ああ」
「焼香次だぞ。足大丈夫か」
「うん、ありがとう」
悠時の手を借りて椅子から立ち上がって、焼香へと進む。遺影の中の玲は笑っている。見慣れたいつもの玲の笑顔。手を合わせて、頭を下げる。
頼りない後輩で、何の力にもなれないどころか死なせてしまった。ヴァイオリンソナタを一緒に弾く約束さえできなかった。――何も聞くことができなかった。玲は一体何を調べていたのだろうか。そしてその過程で、彼女は何を知ったのだろう。
玲の仇を討つとは言えない。玲を死なせてしまったのは、律だ。もっと強ければ、もっとちゃんと準備していれば、もっと色々なことを知っていれば。そうであれればもしかしたら玲は、今も元気に隣にいてくれたかもしれない。
(……玲先輩、預かった銃、あのまま貰いますね)
一言、それだけ報告をして。玲の家族に頭を下げて、元の場所に戻ろうと会場に視線を移して、――一瞬、固まった。
一番後ろに、喪服に身を包んだ奈南美が立っていた。律が気付いたことに気付いたのだろう、満足気ににこりと笑う奈南美は、この空間において異様な程に異質だった。同じ大学の人間なのだから別段此処に居てもおかしい人物ではない。しかし学内では全く関わりのない奈南美が、玲の葬儀に来る理由はない。
知り合いではない、とは言えないが。言いようのない気持ち悪さが背筋を駆け抜ける。平然と葬儀に来ている彼女の気持ちが分からない。自分が起こした事象の結果を確認しに来たのだろうか。その目で、玲が確かに死んだことを確認する、その為に。
奈南美から目を逸らして、元いた位置へと戻る。聞きたいことも言いたいことも山のようにあるが、この場でそれをすることは許されない。彼女を糾弾することは出来ない――そのことを向こうも分かっているから、敢えて律に気付かれるように此処に居る。律を挑発するかのように。
ぐ、と拳を握り締めて、玲の遺影の方に視線を向ける。これからの為にやるべきことは山積している。もう誰かを死なせてしまう訳にはいかない。奈南美の好きにさせておく訳にはいかない。
次に仕掛けるなら、今度はこちらから。
葬儀の後悠時に送ってもらう形で、律は再び実家に戻ってきていた。奈南美には『使い魔』の力で律の動きは筒抜けなのだろうが、それでもこの家の中までは探れない、と本人が言っていた――それが本当かどうかは分からないが、恐らく本当だろう。この家は基本的に『守られて』いる。千里が世話をしている温室を要として、『良くないもの』を寄せ付けないように趣向が凝らされているからだ。水面下で動いていますと宣言するようなものではあるが、内容を知られないようにするにはここで行うしかない。それに一人で何かを考えていても堂々巡りになるだけだ。
この間の戦闘の反省点を考える。喉を潰されてしまうと魔術を一切使えなくなってしまう問題は、確実にクリアしておく必要がある。まともに動かない左足を抱えている現状では、不安要素は出来るだけ叩き潰しておいた方がいい。今の律では奈南美に勝てないことは分かっている。分かっていても――諦める訳にはいかない。
千里にアドバイスを貰いながら、一番最初に着手したのは玲の銃に組み込まれていた術式の組み換えだった。玲は元々銃自体に術式を仕込んでいて、それに簡略化した呪文詠唱を加え引き金を引く、という動作を行うことで術式を展開、魔術を放つ、という手段を取っていた。それをそのまま流用することも考えたが、それではやはり喉を潰されてしまうと使えない。呪文詠唱や『旋律』という喉を要求されるものよりは、身体が動けばどうにか対応できる『リズム』を刻む、という行動を併用する形で使えるのが一番良いだろう。魔術を銃弾代わりに詰め込んで放つという方法を取ることが出来れば、今までより楽に魔術を使える上に時間も短縮することができる。現在の魔術の使い方と合わせて臨機応変に使い分けていけば、上手く機能するだろう。
ああでもないこうでもないと散々弄り回して、ようやっと理想的な形で律が使える状態になるまで3日を要した。それで第一段階。後はひたすらそれを使った模擬戦。今までと違う魔術の使い方で、片足がまともに動かないハンデを背負って、どこまで戦えるか。不測の事態が起きた時、どこまで対応することが出来るか。自分の状態をしっかり知っておく為の時間に、4日を費やして。
合計1週間、大学も休んでひたすら対策を練った。その間、悠時は奈南美の動向を調べてくれていた。実際のところ探れる程のことは何もなかったものの、『何もない』ことには安心する。奈南美は律がこのまま黙っている訳がないことは分かっているだろう。それでも敢えて動かないということは、律が動くのを待たれている、ということか。余裕さが伺えて、少し腹立たしくもある。――分かっている。敵うような相手ではないことは。
それでも、決着はつけなければならない。
出来る限りの準備を終えた夜、律は悠時に迎えを頼んだ。向かう先は、奈南美の家だ。
「ごめんな悠時、振り回してるみたいなことになっちゃって」
「あー? いいよ別に。りっちゃんをあっちこっち連れてくのは慣れてっからなー」
悠時のバイクの後ろ。律用だと言って大学入学の際に何故か悠時が買ってくれたヘルメットを被って、いつものように後ろに乗せてもらう。
こんなこともこれが最後になるしれない。こうやって悠時とバイクに乗ることなど、もうないかもしれない。自分でも分かっている、今からやろうとしていることは死にに行くようなものだ。千里はこの一週間ずっと相談に乗ってくれていたが、律が戦おうとしていることに関しては何も言わなかった。心配そうな顔をして、それでも止めることはしなかった。
勝算などひとつもない。それでも、今の律に出来ることは全部やったと言える。せめて一矢報いるだけのことはしたい。次の被害者を増やさない為にも。
「なありっちゃん」
「ん?」
「死ぬなよ」
「……約束出来ないと思う」
「じゃあこのまま実家に送り返すぞ。嘘でも約束しろ」
信号待ちの間。そう告げる悠時の声は真剣そのものだった。表情を見ることは出来ないが、不本意な顔をしているのは想像が出来る。
本当は悠時としても、今日律を送って行きたいとは思っていない。律がこれから何をしに行くのか、悠時も理解している。それでも律の我儘を聞いてくれたのは、長い付き合いがあるからこそだ。多分何も言わなくても、悠時にはどうして律が戦おうとしているのか、分かっている。
もう後には引けない。奈南美が仕掛けて、律が引き起こしてしまった事態。これをこのままにして放置して生きていくことは、律には出来ない。何度も、何度も、何度も何度も何度も、考え続けて――それでも。何もなかったことには、ならないのだから。
「……じゃあ、終わったら連絡するから迎えに来て」
「おー。何なら待っててやらあ」
「何時間待ちぼうけするつもりだよ」
「りっちゃんが帰ってくんだったら何時間でも待ってやるっつーの。つーか伴奏弾いて貰わねえと試験がな!」
「おっま、自分の試験の心配かよ……」
「当たり前だろ?」
からからと悠時は笑う。つられるように笑って、律は息を吐いた。
いつだったか、玲が言っていた。悠時と一緒にいて楽だろう、と。本当にその通りだ、と律は思う。幼馴染が悠時で良かった。遠慮なく一緒に居てくれる、いつだって気にかけてくれる、助けてくれる、この幼馴染みには感謝してもしきれない。
「悠時」
「んー?」
「……いつもありがと」
「……うるせえよ」
ぐ、と悠時が歯を食いしばったのが分かる。心の中でごめんと呟いて、それきり律は、そして悠時も、何も言わなかった。
奈南美の家の前。律は躊躇うことなく、インターホンを押した。鳴り響くインターホンの音はどこまでも日常で、今の状況からは逸脱しているような気がしてしまう。
インターホンを押したところで中からの反応は何もない。恐らく不在というわけではないだろう。彼女は律の動きを把握している。つまり今日、律が此処に来ることは分かっている筈だ。
「……出てこないなら勝手にお邪魔しますよー」
呟いて、律は扉に手を掛けた。瞬間押し潰されそうな程の威圧感を感じて、眉を寄せる。
――向こうも準備は万端、ということだ。
怯むことなく扉を引けば、鍵はかかっていなかった。一歩足を踏み入れれば、その瞬間外界から切り離されたのが分かる。ちらりと振り返ると、そこに既に先程までの風景はなく、ただの漆黒な闇だった。
「……倒さないと帰してくれないって判断でいいのかな、これは」
元より律もそのつもりで来ている。逃げて帰るつもりはさらさらない。律が一週間準備していた、ということは奈南美にも一週間準備する時間があったということで、それは覚悟の上だ。
中は普通の室内に見えたが、以前来た部屋とは既に様子が違う。以前此処に来た時は普通のワンルームだった筈だが、入ってすぐに一枚扉がある構造になっている。この扉を開けて入って来いということだろう。
躊躇うことなく部屋の扉を開く。中の空気はどんよりと澱んでいた。ただでさえ空気が重たいのに、全身に絡みつくような、粘着質な何か。部屋の中は殺風景そのもので、一枚の鏡が中央にあるだけだ。その奥には、また扉がある。順番に開けて辿り着けという解釈で間違いはないだろう。
――鏡。姿見。
「……とりあえずこっちか」
鏡に映らないようにすることはできなかった。入った瞬間に否が応でも姿が映る位置に、鏡はあった。
前回、鏡を割っただけでは『干渉』を断つことが出来ただけで、倒したことにはならなかった。となれば、この鏡の相手は『本体』をこちら側に引き摺り出さないといけないのだろう。
一歩、近づく。鏡の中の『律』は微動だにしない。それを確認してから、律は銃を構えた。あの時は天井の怪異がいて、そして恐らくではあるが、この鏡の怪異は天井の怪異に力を借りていた。今は一対一、前ほどの力が既にない可能性もある。鏡だけに集中して戦うことができると思っていいだろう。
ゆらりと鏡面が揺らいで、やはり前と同じように律に向かって手が伸びてくる――但し、前とは違って、今度は腕が一本だけ。鏡の中の『律』が、律に向けて手を伸ばしてきている。その速度は然程早くない、耐えてギリギリまで引き付ける。唐突に速度が早くなって襲われるかもしれないことは考慮して、律は引き金に指を置いたままの状態で『リズム』を刻む。いつでも反撃し、戦えるように。
ゆっくりと、しかし確実に、律の許容範囲ギリギリまで手が伸びてくる。しかし、腕以外の部位は外には出てこない。通常よりも長い腕が、ただ伸びてくるだけだ。
「俺の足、返してほしいんだけど」
足を引きずって歩くのは、やはり不便だ。痛みもずっと残っているし、立っているだけでも実際はしんどい。この状況をひっくり返すには、この怪異を倒す他ない。
狙いをつけたのは、鏡と腕の境目。通常の射撃ではなく、これは魔術だ。正確に狙えば、狙いは外れない。
手が律の首を掴もうとしたその瞬間、律は迷いなく引き金を引いた。銃弾となった雷撃が、狙った部分に寸分違わず命中する。耳障りな悲鳴が響いて、続いてぼとりと腕が床に落ちた。見ていてあまり気持ちのよいものではないな、と思いつつも、鏡から視線は外さない。鏡の中の『律』は失った腕を押さえて、鬼の形相で律の方を睨んでいる。焼き払ったところで手が伸びてくるのは変わらないのなら、そもそも落としてしまった方がいい、と踏んだのはどうやら間違いではないようだ。
引き金の上で再度『リズム』を刻んで、今度は口笛で『旋律』を奏でる。いつもの方法で術式が展開、鏡を取り囲むようにして炎が渦を巻いた。
耳障りな悲鳴は続く。銃を構え直して、深呼吸。逃げようとしているのか、それとも律を捕まえようとしているのか、鏡の中から『律』が出てこようとしている。――出てくればいい。そうすれば『本体』を仕留めることが出来るはずだ。鏡はただの媒介でしかないのだから、出てきてもらわないことには足を取り返せない。今取り返したところで律の怪我がすぐ完治することはないだろうが、痛みは少しくらいは和らぐ可能性がある。
鏡を燃やす炎の渦の熱さは、鏡の中にも伝わるのだろう。ずるりと鏡の中から頭が出てくる。一応自分と同じ顔をしている相手に銃を向けるというのは変な感覚に陥ってしまうが、狙う箇所は一箇所だけ――照準をずらしはしない。
焦らずに、落ち着いてじりじりと出てくる身体をじっと見つめる。落としていない方の腕がずるり、と出てきて、また律の方へと伸びてくる。それに引き摺られるように、鏡の中から身体が出てきて。
――今。
即座に『リズム』を刻んで、引き金。放たれた雷弾は、見事に狙い通りの箇所を撃ち抜いた。右側――つまりは『律』の左側、心臓部分。
断末魔。『律』を象っていた姿がぐずぐずに崩れて、そして消えていく。溜め息を吐いて、銃を下ろす。どうして一対一にしたのかは分からないが、お陰でゆっくり集中できて助かったとも言える。取りあえずはこれでひとつめだ。この鏡の怪異が居るということは、あの天井から出てきた怪異もいるのだろう。ちらりと左足に視線を落とす。怪我がすぐ治るということはやはりないが、プラシーボ効果のようなものなのか、心なしか痛みが楽になった気がする。
「……よっし、次」
どうなるにしろ、奈南美のところには行かなければならない。辿り着けないままやられるわけにはいかない。
気合いを入れ直して、律は次の部屋へと進んだ。
隣の部屋に入ると予想通り、部屋は真っ赤に染め上げられていた。部屋の中央に天井から這いずり出てきた女が鎮座していて、俯いているもののにやにやと笑っているのが分かる。そしてその女の向こう側に、また扉。その扉の向こうに奈南美は居るのか、更にまだ何か仕掛けがあるのか。分からないが、目の前の怪異をどうにかしないことには進めない。
前回は目が合っただけで速攻で喉を潰された。視線を合わせてしまうのはまずいことは承知の上だ。律の攻撃で速攻で片付けるのは恐らく無理、となると千里に教えて貰った魔術を使うべきだろう、と考える。
右手の甲。そこに、左手の指でなぞるように魔法陣を刻んでいく。こればかりは現状、『リズム』と『旋律』に改変するのは千里には無理だと言っていた。宗一郎であれば出来るかもしれないが、彼はそうそう律には会わないだろう。会ったところで教えてくれるとも思えない。
魔法陣を描き切る直前で、唐突に女が顔を上げる。その口元がにたぁ、と笑みを深くした瞬間、床が蠢いた。
「っ…!?」
足元が揺らいだ、と思ったその瞬間、下から剣山のように赤い色が盛り上がってくる。慌てて避けたものの、左足の不自由さに引き摺られてどうしても避け切れない。腕や足を切り裂いて、鋭い痛みに襲われる。せっかく足を取り返したにも関わらずあっという間に怪我を負ってしまうと、あまり洒落にならない。痛みを唇を噛んで押し殺して、律は手の甲の魔法陣を完成させた。
これを使ったところで、この怪異相手に律が一人で勝てるかどうかは分からない。しかし、何もしないよりは勝率は上がる筈だと信じるしかない。
「…【汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に力を貸し与え給え】」
描いた通りに、右手の甲の魔法陣が発光する。ばちばちと小さな電撃が手の甲の上を走り回って――次の瞬間、右腕に絡みつくように、火花を放つ雷撃で描かれた紋様が浮かび上がる。『サモン』――契約によって『彼岸』との縁を繋ぎ、その力を借りる術。千里が律を宗一郎に会わせたのは、この下準備の為だった。実戦で使うのは初めてだが、何度か感覚は確認している。この術を使うことでこの怪異と五分で戦えるかどうかは怪しいが、それでも賭けるしかない。
女が顔を上げて、覗き込むような視線を感じる。しまった、と思った時には既に遅い。首筋に絡みついてくるような圧迫感に、そのまま息が詰まって声が出なくなる。しかし声を奪われることは予測済みだ、何度も同じ手に引っかかるつもりはない。今回はその為に銃を用意したのだから。
喉が詰まる、潰れる。身体の中が引っ掻き回されているかのような得体の知れない気持ち悪さに吐きそうになりながら、それでも律は黙って怪異に銃口を向けた。
――きっと玲はもっと苦しかっただろう。苦しんで苦しんで、それでも必死に戦って、そして彼女は亡くなってしまった。律がこの怪異を止めることが出来なかったから、連れていかれてしまった。だからこそ負けたくない。負ける訳にはいかない。
引き金を引く。瞬間、雷撃の出力が先程よりも跳ね上がったのが分かる。真っ直ぐに放たれた雷撃の銃弾は確実に怪異を捉えて、的確にその頭を撃ち抜いた。撃ち抜いた瞬間に雷撃がぶわりと広がって、その目を潰す。視線を感じなくなって息苦しさは楽になったものの、急に解放された反動で律はその場に膝をついた。噎せながらも銃を握り直して、怪異のほうを睨む。目が潰せたからといって安心は出来ない、どんな攻撃が仕掛けられるか予想がつかない。この真っ赤な部屋はこの怪異のフィールドだ。そうそう簡単に勝たせてはくれないだろう。
目が潰れているからだろうか、怪異は奇怪な声を上げた。瞬間、部屋全体が揺らぐ。――どう考えてもこれは危険だ。
四方八方から赤い色が律に向かって降ってくる。避け切るのは不可能だ、このスピードに対応しきれるか否か。律の喉は戻っている、『旋律』を奏でることは何とかなる、あとは防げるだけ防ぐしかない。床に両手をついて『リズム』を刻みつつ、自分を落ち着かせるように深呼吸して律は口笛で『旋律』を奏でた。喉がやられていたせいだろう、どうしても音が掠れる。弾くように雷撃を次々に放ったところで、その隙間を縫うように赤色は律に襲い掛かって。
「――ッ!」
痛い、程度では済まなかった。声にならない。手を、足を、身体を貫かれて、あちこちからぼたぼたと血が溢れ出していくのが分かる。鋭利な刃物で貫かれた訳ではない、赤色が身体に触れただけ。ただそれだけで刃物で貫かれるよりも酷い目に遭うのだから、『怪異』は理屈でどうにかなる存在ではない。視界が霞む。このままでは意識を飛ばされて、行き着く先は死だ。
こんなところで、まだ、死ぬわけにはいかない。倒すことができればその時は応急処置は出来るだろう。何とかして倒さなければ。そしてその先の扉を開けて、奈南美に会って。死ぬなら、それからだ。
力の入らない手で銃を握り締める。銃口を、向ける。
震える指先で、『リズム』を刻む。もうその『リズム』が合っているかどうかも分からない。紋様が銃に絡みついていくのを霞んだ視界で確認しながら、律は引き金を引いた。