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05
それは、先ほどの一撃とは比べ物にならない。炎の片翼を顕現させているということは、それだけ強く鳳凰の力を借りているということだ。矢継ぎ早に繰り出される羽根に、あっという間に『ネクロマンサー』は防戦一方に徹することになる。
「で、茅嶋くん何してるんです? 休憩時間じゃないですね?」
「やー、芹ちゃんのお邪魔をするわけにはいかないのでおとなしくしておきます」
「気にしなくていいのにー。まああれは焼き土下座させますが」
「怖い怖い」
軽口を叩いている間にも、芹の攻撃は止まらない。放たれた一撃があっさりと『ネクロマンサー』の防御を突き破り、吹き飛ばす。見事に吹っ飛んだ『ネクロマンサー』は塀で強かに頭を打って気絶してしまうのを見て、律は肩を竦める。この程度では、納屋を開けたところで中にいるモノに喰らわれて終わりだった可能性の方が高い。
「口ほどにもない。殺すか」
「落ち着いて……相手人間だから殺さないで……倫理観忘れないで……」
「おっといけない」
「芹ちゃん俺といる時気抜き過ぎじゃない?」
「茅嶋くん甘っちょろいですよね。あっちはこっち殺しにかかってきてたのに」
「それは自覚してるから言わないで」
相手が完全に気を失っているのを確認して、芹の瞳の色が戻り、背の翼が消えた。カナリアは何事もなかったかのように芹の肩に戻っている。つくづく敵に回したくないな、と思いつつ、律は納屋に向き直った。あの『ネクロマンサー』は納屋の中に何がいるのか知っている様子だった。推測でしかないが、恐らくは中にいるモノを従えることができずに困っていたところにちょうど律たちが現れたのだろう。『ネクロマンサー』はその名の通り、死体を操ることの出来る能力を持っている。殺して操って戦力にしようと思い立ったのだろうが、相手が芹だったことが運の尽きというところだろうか。何が入っているか聞き出せればよかったのだが、あの様子では話すとも思えない。
「さーて、開けるかー……」
「開きます?」
「んー、分かんない。アイツも開けてないだろうしね……、開かなかったらその時考えよう」
「リョーカイです」
一度開けて閉めている、とは考えにくい。開けたのなら中のモノは出てくるー―それをまた中に戻して閉めるとなるとかなりの労力だ。さてどうなるか、と思いながら律は納屋の戸に手を掛けた。瞬間、ぞわりと背筋に走る嫌な感覚に、律は術式を展開して銃を手に取る。即座に対応して戦えるようにしておくに越したことはない。
此処を開けば、何が起こるか分からない。
「芹ちゃん、俺の後ろに下がってて」
「おっけーです。茅嶋くん、吹っ飛ばされちゃ駄目ですよー?」
「分かってる」
ひとつ、深呼吸。芹が下がったのを確認して、律は一気に戸を開いた。
「「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」」
瞬間、鼓膜を破りそうなほどの音量の甲高い笑い声。頭にガンガンと響いて一瞬くらりとしながらも、笑い声と共に飛んできた『何か』を防御壁を展開することで弾いて落とす。
中にいたのは4、5歳程度の子供の姿をしていた。その子供には2つの頭があり、手足があらぬ方向に折れ曲がっており、あちこちの肉が裂かれ、見るも無惨な姿となっている。その状態でぴょんぴょんと無邪気に跳ねる姿は、あまりにも狂気的だ。
「ころすころすころすころす、みーんなころしちゃおうね、ふふ、ふふ」
「こーろーす! こーろーす! しーね! しーね! あははははははははははは」
「……忌まれ嫌われ恐れられ閉じ込められ、最終的に気が狂って怨霊化したってとこかな……芹ちゃん絶対見ちゃ駄目」
「後ろ向いてます。……茅嶋くん大丈夫です?」
「俺は大丈夫」
戸を開いたのが自分で良かった、と心底思う。この子供たちの姿を、芹には見せたくない。それなりに酷いものは大概見てきているが、この姿にはさすがに気分が悪くなってしまう。忌まれ嫌われ虐げられ、ありとあらゆる暴虐を尽くされ、生きることを許されなかった子供たち。これが亡くなった時の姿であると仮定すれば寧ろ4、5歳まで生き延びていた方が奇跡的とも言えるだろう。生まれた瞬間に殺されていても、きっとおかしくはなかった。いっそ畏れられ神様と崇め奉られた方が幾らか良かったのではないだろうかとさえ思えてしまう。悪魔の子供のような扱いをされ、そして殺されてしまったのだろう。
生きても死んでも物の怪。これは、そういう『彼岸』と化した、怨霊だ。
怨霊から目を離さないよう気を付けながら、ちらりと先程弾き落としたものに目を向ける。地に転がっていたのは血に濡れた包丁。なぜそれなのかを努めて考えないよう、律は頭の中の考えを散らしながらじりじりと納屋から後退る。
「茅嶋、私が手伝いましょう」
「……ありがとうございます、鳳凰様」
後ろから声を掛けたのは、芹――ではなく。赤いカナリア、鳳凰。『神憑り』の能力の一つ、『憑依』だ。芹が鳳凰に身体を貸し、その力を振るう術。器は人間のもののため十全にその力が使えるわけではないが、芹が自身で鳳凰の力を使うよりも格段に能力は上がる。見ない方がいいのなら、と入れ替わってくれたのだろう。
「……【汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に貸し与え給え】」
ばちり、と電撃で描かれた紋様を右腕に纏って、律はもう一度大きく深呼吸する。――此処は今、戦場だ。同情は必要ない。色んな感情に囚われるのは、戦いが終わった後でいい。今は集中しなければ――死ぬ。
「しんじゃえしんじゃえしんじゃえしんじゃえ」
「みーんなしぬ! しぬ! みーんなしぬんだよ!」
2人分の笑い声。同時に律に向けて大量の包丁が放たれる。防御壁を展開したものの、幾つかは防御壁をすり抜けて。
「――ッ!」
銃を向けて1つは撃ち落とせたものの、全てに対応することはできない。掠めていく痛みに歯を食いしばる。直撃を避けられただけ幸いと思うべきだろう。すぐに体勢を立て直して、そのまま怨霊に銃口を向ける。放った雷弾は怨霊を直撃こそしたものの、ほとんど効いているようには見えない。
続けて鳳凰の片翼が唸る。怨霊に向けて弾幕のように炎の羽根はしかし、怨霊には当たることなく納屋のあちこちを少し焦がすのみ。
「あそぶ? あそぶの?」
「しぬ? しぬの?」
怨霊は笑う。ただただ、笑う。そしてその笑い声は、嫌な波動と化して。
「鳳凰様!」
「落ち着きなさい。この程度掠り傷ですよ」
「どこがですか!」
一瞬にして、鳳凰の片翼の先が圧し折れていた。涼しい顔をしているが、反撃とばかりに放たれた炎の羽根の勢いは弱い。
気にはなるが、心配している余裕がない。炎の羽根に加勢するように『リズム』を刻んで、口笛ひとつ。展開した3つの魔法陣から稲妻が放たれ、炎の羽根を巻き込んで四方八方から怨霊を貫いていく。
「イタイイタイイタイイタイッ!?」
「いだいよぉ、いだい、いだいぃっ」
笑い声は泣き叫ぶ声へと変わる。本当に嫌な仕事だ、と律は唇を噛む。心が痛い。辛い、やりたくない、という感情が渦巻く。
相手は怨霊。この場所に、この納屋に縛りつけられてしまったまま。
此処から解放してあげないと、と思うのは偽善なのかもしれない。けれどこのままでは本当に、いつまでも浮かばれない。戦うことでしか救えない自分が歯痒い。本当にそれが救いになるかどうかも分からない。――それでもこれが、自分の仕事だ。
「ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない」
「しんじゃえしんじゃえしんじゃえしんじゃえ」
押し寄せてくる真っ黒な憎悪の念に、圧し潰されそうになる。息が、詰まる。
「……ごめんね」
戦うのが『ウィザード』の本分だ。せめて苦しまずに逝かせてあげたいと思う。それ以外の方法が、ない。
言葉にならない叫び声を上げた怨霊から、律と鳳凰に向けて強い波動が放たれる。防御壁を複数展開したものの、波動はあっさりと防御壁を打ち砕いて突き破る。これでは避けようがない。
「かは……っ」
「しね! しね!」
「しねしねしねしね」
「茅嶋!」
吹っ飛ばされそうになるダメージをギリギリ堪えたものの、生身で喰らっていいようなダメージではない――動けない。追撃とばかりに飛来する無数の包丁、全く反応できない律を守るように鳳凰が応戦し、炎の羽根が包丁を叩き落としていく。しかし、その全てを捌ききるのは手厳しい。包丁の刃を幾らか喰らいながら、鳳凰は真っ直ぐに怨霊を見据えた。直後納屋へと飛ばされたのは、大きな炎の塊。それは怨霊を直撃して、燃え上がらせる。
「ぎゃあああああああああああ!?」
「アツイ、あついっ、あついあつい、よぅっ」
「……茅嶋、いけますか」
「だい、じょうぶ……何とか、いけそう……です」
「……頼みます」
芹の身体への負担が大きいのだろう、鳳凰の炎の勢いはどんどん落ちている。負担をかけすぎてしまうと、芹の身体の方が壊れてしまう。その前に決着はつけなければならない。
ぐ、と銃を握りしめる。炎に焼かれてのたうち回る怨霊に、照準を合わせる。――ああ、どうか。願うのは。
「……今度は、幸せに、生きていけますよう」
小さく告げた言葉と共に放った雷弾は、狙いを外すことなく双子の身体を貫いた。
「ただいまー……」
「お邪魔しまぁす」
「おかえりなさー……って芹ちゃん? え、なん……えええええりっちゃんさんその怪我どうしたんすか何があったんすかちょっとおおお!?」
「恭くんうるさい……頭に響く……」
家に帰り着く頃には、すっかり夜になっていた。
怨霊を打ち抜いた瞬間に、律と鳳凰――芹は元居たぼろぼろの屋敷へと戻っていた。そして目の前に現れた納屋は、開く開かない以前に、既に原型を留めてはいなかった。
状態から見て納屋が壊れたのは最近ではないだろう、と律と芹は推測している。恐らく、あの納屋は30年前に壊されたのだ。あの怨霊がいることが分かっていたから、あの場所は厳重に封じられていた。しかしそれを何も知らない人が建て替えようとして納屋を壊してしまい、あの怨霊の封印を解いてしまった結果としてあの集落全体に災厄をもたらした、というのが律が立てた仮説だ。律が新聞記事で見つけた、30年前別の県で見つかった変死体というのは恐らくあの怨霊に連なる血筋の人間ではないかと考えられる。あれだけの存在であれば、一家惨殺、血脈が途絶えていても何ら不思議ではない。
芹と2人、ぼろぼろの身体を引き摺って、簡単ではあるものの慰霊の儀式を行った。忌まれた存在であるあの子供たちが、少しでも心穏やかに逝けることを祈る。それがせめてもの慰めになればと思う。
そしてそうこうしている間に、気絶していた『ネクロマンサー』は姿を消していた。恐らく逃げたのだろう。律も芹も手負いだったものの、あの『ネクロマンサー』の目当ては怨霊の子供たちだった。いなくなったのならもう用事はない、といったところだろうか。
「もー! 何で俺に黙って仕事行っちゃうんすか! しかも今回は芹ちゃんがグルとか! もう!」
「いや何で俺の仕事のスケジュール恭くんに言う必要が……?」
「えへー。ごめんね恭ちゃん、芹が茅嶋くんにお仕事の依頼したんだよー」
「ええええ……俺も混ぜて……」
「駄目に決まってるでしょ馬鹿」
きゃんきゃんと喚いている恭は一旦無視して、律はベッドに倒れ込んだ。着替えてもいないが、もう既に立っているのもかなりきつい。肉体的にも精神的にも疲弊しきっている。あちこち怪我だらけで治療の為の連絡もしなければならないし、シャワーを浴びなければという気持ちもあるが、本当にそんな気力がない。このまま眠ってしまいたいというのが正直なところだ。
「うう……りっちゃんさんがまた怪我しまくって……もー芹ちゃんヒドイっす……」
「芹だって大変だったんだからねー?」
ねえ?と芹に声を掛けられたカナリアは、変わらず芹の肩の上にいる。圧し折られた片翼は既に治っているようだ。流石に再生力が高いな、とぼんやりと思う。
「そんなことより恭ちゃん、悠時さんに連絡してほしいなー?行き帰り運転して芹疲れちゃったぁ」
「この状況、絶対悠時さんに怒られるっすよ……」
「ごめんなさいするし」
「……恭くん、連絡したげて。元気そうだけどホントに芹ちゃん疲れてるから」
「むー……分かったっす」
芹としても、現状で悠時に自分から連絡するのは嫌だと思っているのが透けて見える。不服気に唇を尖らせながら、それでも恭は携帯を取り出してくれた。連絡があればすぐに悠時は駆けつけるだろう。
恭が電話を掛けたのを見てから、すっと芹が律の隣に寄ってきてベッドの隣に座る。視線だけをそちらに向ければ、柔らかな表情。
「茅嶋くん、ありがとうございました」
「ん?」
「芹にあのコたち見ちゃ駄目、って言ってくれて。……ごめんなさい。茅嶋くんひとりに随分無理させちゃった」
「……どういたしまして。気にしないでいいよ、芹ちゃんが傷つかなくて良かった」
「茅嶋くんほんっと甘っちょろい。優し過ぎです。……あーあ、助けられちゃったー。全く罪作りで女を勘違いさせかねない悪いオトコですねえ?悠時さんが居なかったら惚れちゃってるとこですよ?」
「馬鹿な冗談言わないの」
思わず笑った律に、芹も同じように笑う。甘っちょろい、という芹の評価は間違いではないだろう。けれど、芹があの子供たちを見て傷つかなくてよかった、と心底思う。
あんな状態のものを見るのは、自分一人で十分だ。芹まであんな思いをする必要はない。彼女は『神憑り』ではあっても、それを本職として生きる律とは違うのだから。
「あー……、芹ちゃん、ひとつだけお願いが」
「はい? 何でしょうかー。芹に出来ることなら何なりと」
「いや……芹ちゃんの幼馴染みさんは巫女さんなんだよね。……確かな力のある人に、あの場所、ちゃんと鎮魂してあげて欲しくて」
「……そうですね。リョーカイです、頼んでおきますね。あのコもそれくらいなら動けるだろうし」
「うん、お願いします」
「あ、茅嶋くんの分の報酬もちゃんとふんだくってきて渡しますね。いらない!って言ったら怒りますよう」
「……あー……、いや、鎮魂の依頼料にしといて」
「だーめーでーす! 大体これは芹が茅嶋くんに依頼したれっきとしたお仕事なんですから、ちゃんと対価は受け取って下さい。じゃないとキレます」
「……それはやだなあ」
芹を怒らせるのは避けたい。その怖さは残念ながら恋人である悠時よりも遥かによく知っているので。
少し離れたところで恭が電話にああだこうだと言っている声が聞こえる。恐らく電話の向こうで悠時が怒っているのだろうな、とぼんやりと思う。恐らく彼は芹が黙って仕事に行ったことも、その結果として律が怪我をしているということにも怒っている。迎えに来た時に自分も怒られるのだろうな、と考えて律は息を吐く。残念ながら今の自分に説教を聞く元気はない。
平和だ。平和で、いつも通りの日常だ。――帰ってこられてよかったと、心底思う。
「茅嶋くんはおねむですねえ。寝ちゃっていいですよ?」
「んー……でも悠時が芹ちゃん迎えに来るなら……」
「悠時さんなんて放っときゃいいんです」
「ねえ迎えに来てもらう彼氏にその言い草どうなの……?」
言い返しながらも、確実に睡魔が迫ってきている。家まで戻ってきて安心したせいもあるのか、既に目を開けているのもしんどくなっている。帰りの車の中では神経が張っていたし、芹に運転してもらっている手前寝るという選択肢もなかった。ようやっと気持ちも落ち着いてきたのかもしれない。
芹がよしよし、とあやすような声で言いながら律の頭を撫でる。その感触はとても心地が良くて、逆らうことができずに目を閉じる。
「おやすみなさい、茅嶋くん」
「……うん……」
「今日は本当にありがとうございました。……ゆっくり寝て、ちゃんと休んでくださいね」
そう言った芹の声は、とても優しかった。