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One Last P"l/r"aying

03

 場所を移した先の近くの公園は、全くと言っていいほど人の気配がなかった。或いは人払いされていると考えた方が良いだろう。女子高生――市川 海帆と名乗った――に巻き付いている大蛇はこちらを威嚇している。『彼岸』は意識の外側でヒトの行動を変容させる性質があることもあれば、ヒトの側が無意識のうちに危険を察知して近づかなくなることもある。これはそういった形の人払いだ。
 海帆は近くの公立高校の3年で、この春までは陸上部のマネージャーをしていたのだという。後輩――平瀬 達基ともその関係で知り合っており、春の大会で話をしたのをきっかけに付き合うことになったのだと、馴れ初めを聞く恭に話していた。その話自体に不審な点はない。 
 達基の視線がちらちらと律を見ているのが分かる。恭の保護者だと自己紹介をしたとはいえ、何の関係もない部外者がこんな話を聞いているのは彼らにとっても気味が悪い話ではあるだろう。こちらもこんなことになる予定はなかったのだと内心で言い訳して、溜め息ひとつ。話がひと段落した静寂を見計らって、律は口を開いた。

「市川さんごめんね、突然変なこと聞くんだけど」
「……? 何でしょう」
「蛇、殺してない?」
「……蛇?」

 達基の眉間に皴が寄る。この人は急に何を言い出すんだ、と言いたげなその表情は正しい反応だ。横目でそれを確認しながら、律は海帆の挙動に注視する。彼女は表情を変えない――不思議そうな表情さえしない。それだけで充分に分かる。確実に意識して、努めて無表情。それは肯定と同じだ。じっと律を見据える瞳が、その言葉の真意を探っている。

「蛇なんて殺してませんよ、そもそも気味悪いじゃないですか」
「そう?じゃあいいけど。言い方変えようか。誰のこと呪ったの?」
「!」
「えっ?」

 明らかに海帆の顔色が変わった。驚愕と怯えの色が見て取れる。初対面で特に話してもいない律が何故そんなことを知っているのか、ということだろう。小さく声を上げた恭が海帆を注視しているが、恭に分かることではない。律は『そういうもの』を知っているが故に知っているだけだ。専門外であるとはいえ、知り合いから色々と教えて貰っているお陰で分かることは多い。

「おいちょっとアンタ、柳川センパイの知り合いだか何だか知んないけど訳わっかんねーこと言ってんじゃねーよ!」
「平瀬、ちょ、落ち着け」
「でもセンパイ」
「大丈夫、この人悪い人じゃないから! それは俺が保証するし何かあったら俺が責任取る! あやしー宗教とかでもない!だいじょぶ!」
「……いやそもそもセンパイも何なんすか……意味わかんね、急に蛇とか呪いとか意味不明なオカルトチックな話されても……」

 何も知らない達基は完全に混乱しているようだった。恭が宥めたところで、一般人である達基がこの話を受け入れられるとは思えない。怒って掴みかかられてもおかしくない状況だ。だがこの状況で、青ざめた顔で俯いた海帆が口を開かないというのは達基にも何か感じるところはあるのだろう。
 残念ながら、今の律には達基に構っている余裕はない。蛇は真っ直ぐに、律を見ている。それが見えてしまうから。

「人を呪わば穴二つ、って言葉知ってる?」
「……」
「どこで蛇を使った呪い、なんてもの知ったのか知らないけど。軽い気持ちで手を出したんだと思うけど、人を呪うならそれ相応のリスクがあるかもしれないなってこと、考えなかった?」
「……私は、誰も呪ってなんか」
「呪ってないって言い張るなら、俺は別にそれで構わないよ。言いがかりつけて意味不明なこと言ってごめんね、って謝って、このまま帰って、その後市川さんがどうなっても関わらないだけだから。だけど、万が一。万が一、市川さんが誰かを呪った結果で今があるのなら、間違いなく報いは受ける。それに多分、平瀬くんにも悪い影響出ると思う」
「あ、やっぱ平瀬もっすか」
「何ならそこから恭くんに飛び火する可能性もあるよ」
「げ!?」

 この年齢だ、恋愛がらみのおまじない程度のつもりだったのかもしれないが、命を使うようなものに代償がないはずがない。さてどんなことにその呪いを使ったのか。彼女が付き合う前から達基のことを好きだったのなら、ライバルを蹴落とす為に何かしたかもしれない。或いは恭が「インハイ行けそう」と評価するほどに達基が良い成績を残しているのは、海帆の呪いの結果の上にあるものかもしれない。
 律が淡々と畳みかける程、海帆の顔色はなくなっていく。海帆の様子が明らかにおかしいことは、達基も気が付いているのだろう。居心地が悪そうにそわそわしているのが分かる。
 ――今回、何より問題なのは呪いの媒体に『蛇』を選んだことだ。蛇はしつこい。一族郎党未来永劫まとめて呪われたとしても何もおかしくはない。

「私……、私は」
「まあ俺には市川さんを助ける理由も義理もないし、正直なところ自業自得だと思うし、他人を安易に呪った自分を責めるしかないよね。いや、誰も呪ってないんだったら全然問題ないけど」
「……たすけて」
「おい、海帆?」
「助けて、私そんなつもりじゃなかったんです、そんなつもりなかった、でも、だって、あんなことになったけど、上手くいったから……!」
「海帆!?」
「いや、いや、いやだいやだいやだぁっ……!」

 彼女の脳裏に、何が過ぎったのか。思い起こしたのは、己が呪った相手のその末路だったのだろうか。恐慌状態に陥った海帆の頭上で蛇が大きく口を開いて、その牙が彼女の頭に食い込み。

「恭くん!」
「うっす!」

 瞬間、場の空気が一変する。蛇の気に当てられた達基がふらりと意識を喪って、その体を恭が抱えて安全圏へと運んでいく。ついでに色々忘れてくれ、と願いながら、目の前で姿を変えていく海帆を見る。その口が大きく開き、舌の代わりに蛇が這い出てきた。外に出れば出る程大きくなっていくその蛇は、恐らく本体か。頭上にいた蛇の姿はもう既にない――海帆の身体の中に『入って』いる状態だ。手や首の皮膚が鱗に変質し、最早人とは呼び辛い姿に変貌してしまっている。

『邪魔ヲ…スルナ、小僧』
「お生憎様。それが俺の『仕事』なもので」

 地に響くような声を意に介さず、律は笑う。今回は不本意ではある。海帆がこうして蛇に喰らわれ堕とされるのは、自業自得であり因果応報だ。自分がしたことに対する代償。得た利益に応じたリスク。それでも、関わったからには投げ出せはしない。
 指先で『リズム』を刻み、口笛で『旋律』を奏でる。それは律が魔術を使う際のスタイルだ。魔法陣を描く代わりに、或いは呪文を唱える代わりに。右手の中に現れた銃をしっかりと握ると、迷うことなく律は海帆『だったもの』に銃口を向けた。
 どうするのが最善か。まだこの段階であれば、海帆から蛇を引き離せる可能性はある、となると彼女の身体はなるべく傷つけたくはない。だがしかし、蛇が完全に海帆を喰らってしまったとしたら、それを助け出すことは律にはできない。一時撤退して助けを呼ぶか、或いは諦めるか。何より蛇は別段悪さをして海帆を喰らおうとしている訳ではないのだ。自分がやらされたことに対する大家として、その見返りとして、その身体を手に入れようとしているだけで。
 他人を呪った者を助ける義理はない。自業自得、因果応報、報いを受けるべき行為であり、そういった類の仕事は律が絶対に引き受けないタイプの仕事ではあるが、今回に限っては恭の頼みだ。そこには目を瞑っておく。
 蛇が放つ強い『気』によって人が近づくことはないだろうから、周りを心配する必要はない。とはいえ、決着は早めにつけるべきだ。いつ何が起きるか分からない、万が一、一般人を巻き込むかもしれないのは避けたい。既に達基のことを巻き込んでしまっているのだから。

「【汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に貸し与え給え】」

 右手の甲の上、左手の指を滑らせて描き出した魔法陣が紡ぎ慣れた詠唱と共に発光し、律の右腕に電撃で描かれた紋様が絡みつく。『ウィザード』の能力のひとつである『サモン』――律の場合は、契約している雷神の力を借りて能力を底上げするものだ。

「りっちゃんさん! 平瀬置いてきました!」
「ありがと。恭くん平瀬くんについててくれてよかったのに」
「そういう訳にはいかないっすよ、俺が頼んだことだし。大体りっちゃんさんを一人で戦わせたりはしないっす」

 戻ってきた恭は、既に『ヒーロー』の能力の一つである『変身』を終えていた。恭の場合は戦隊ヒーロー物のアカレンジャーのような姿になる為、非常に分かりやすい。律としてはできればおとなしくしていてほしい気持ちもあるのだが、恭がそういうことができる人間ではないことは百も承知している。
 海帆の口から這い出た蛇は、律と恭を交互に見比べて牙を剥く。その頭の大きさは既に海帆の口の大きさを超え、その長さは人の身長を超えている――早くしなければ、海帆の肉体が保たないだろう。

「任せてくださいっす!」

 自信満々と言った様子の恭が、蛇に迫る。向かってくる恭に咬みつこうとする蛇の牙を軽々と避けたその瞬間を見計らって律は『リズム』を刻み、そのまま引き金を引いた。放たれた雷弾は蛇の牙に命中し、完全に圧し折る。

「うおりゃあ!」
『小癪ナ…!』

 更に続けて繰り出された恭の蹴りは、蛇が大きく頭を振ったことで薙ぎ払われた。足を取られた恭がそのまま律の横を吹っ飛ばされていき、追撃するように蛇の頭は恭を追い掛けていく。恭は受け身を取っているものの、体勢を整えるには少し間に合いそうにもない。考える前に身体が動く。

「りっちゃんさん!」
「ッ……!」

 蛇と恭の間に身体を捩じ込むような形で何とか止めはしたものの、その状態で律が蛇の牙を避けるのは難しい。いつもなら防御壁を展開して弾くものの、そのための1秒を稼げなかった。身体を庇おうと腕をクロスしたために、左手首を蛇の牙が容赦なく抉っていく。最悪だ、と舌打ちしながらも蛇からは目を離さない。
 即座に刻んだ『リズム』で雷弾を装填、至近距離から蛇の頭を撃ち抜いた。頭を半分吹っ飛ばすような形になって、蛇が奇怪な声を上げて退いていく。

「……い、ったいなさすがに……」
「何してんすかりっちゃんさん!? 俺庇ってる場合っすか!?」
「あのね言っとくけどさっき恭くん直撃してたらこんなもんじゃ済まなかったんだからね」
「でも手が!」
「いいから集中」

 嫌な怪我したことは重々承知している。恭よりも律の方が色んな事態に耐性はあるが、ピアニストでもある律にとっては一番怪我をしたくないのは手だ。魔術を使う際にも、律にとって手の動きというのはどうしても必須になる――つまりは、生命線のひとつ。簡単な術式を展開して痛みを軽減はさせたものの、『ウィザード』に回復能力はない。治療するのは『ヒーラー』と呼ばれる者の分野だ。
 うう、と悔しそうに唸った恭の視線が蛇の方を向いた。き、と睨みつけた瞳、その神経がみるみるうちに研ぎ澄まされていく。

「りっちゃんさんの大事な手に何しやがるっすか、この蛇め!」

 トップスピードで恭が蛇との距離を詰めて、右ストレートがその腹にぶつけられる。鈍い音がして、蛇ごと海帆の身体がよろめいた。その一瞬、ふわりと海帆の身体から蛇の位置が『ずれた』のが見えて。

「……それだ」
「え?」
「恭くん。アレ、今の感じでどうにか市川さんから剥がせる?」
「やってみるっす。……りっちゃんさん、手……」
「大丈夫だから気にしない」

 大丈夫とは言ったところで、抑えてもぼたぼたと流血している今の状態を気にしないのは難しいだろう。指先にあまり感覚がない。早く片付けてきちんと処置をする必要はある。
 頭を喪った蛇は、ぐるりと海帆の身体に巻き付いてその身体を締め上げ始めた。一見意味の分からない行動だが、恐らく吹っ飛ばされた頭の分を海帆の身体を使って修復しようとしているのだろう。

「頼んだ。このままだと市川さんが死ぬよ」
「……っ、リョーカイっす!」

 頷いた恭が、そのまま海帆に向かって走る。海帆の身体に巻き付いている蛇がそれに気付かないわけがない。頭のない身体をぶんぶんと振って恭をまた吹き飛ばそうとしている。だが恭は一切退くことも躊躇うこともなくその身体を掴むと、力任せに思い切り引っ張った。蛇の締め上げる力は強い、そうそう簡単に離れるようなものではないが、『ヒーロー』の火事場の馬鹿力も半端なものではない。少しの間拮抗した後、徐々に蛇の胴体が引き剥がされていく。
 一瞬、同じように『ずれる』タイミング。その瞬間、律は用意した術式を展開した。

「【汝、在るべき場所へと還りしモノ。この世の理に従いて、この場に在ることを禁ず】」

 それは『リコール』と総称される魔術――一時的にその場の『彼岸』を強制的に退去させる術。かなりの体力を消耗することもあり連発することはできないので、一時しのぎの切り札だ。当然相手にもよるが、この蛇程度なら条件さえ整えば、つまりはあれだけ海帆から『ずれて』くれていれば難易度は格段に下がる。ぐらりとバランスを崩したように倒れる海帆の身体を、慌てて恭が支えた。その身体から蛇は姿を消し、肌も通常に戻っていく。
 倒せるのであれば、倒してしまうのが一番いいのだ。律としてもそんなことは分かっている。そうすれば、海帆は完全に蛇から解放される。だが、あれほど同化するほど取り憑かれているのであれば、蛇を倒せば海帆もただでは済まない。他の方法を取った方が、海帆にとってはいいだろう。
 律は手首を押さえたまま、術式を展開する。手首を『物』と見なして、『修復』。治療にはならないのでこれも一時しのぎでしかないが、犬に噛まれた程度の傷までは回復させられるだろう。現状律にすぐ会える『ヒーラー』の知り合いはいないので、早急にいつ会えるか確認しなければならない。それまで若干の不自由は諦めるしかない――不本意だが。

「りっちゃんさん大丈夫っすか!?」
「大丈夫って言ってるじゃん、心配ないよ。恭くんは怪我してない?」
「ないっす、大丈夫っす」
「そっか、なら良かった」

 気を失った海帆を抱えて戻ってきた恭が、律の怪我を見てあからさまに顔をしかめた。出血のせいもあって見た目はかなり酷い。それでもこれくらいの怪我で済んでよかったと考えるべきだろう、と律は思う。
 もしも蛇が完全に海帆を喰らっていたら、その能力が十全に発揮されてしまっていたら。本気で応戦しなければ生きるか死ぬかの戦いになっていたことは容易に想像がつく。恭が今の段階で海帆の存在に気付けたからこそ、この程度で済んでいるのだ。
 ――気になるのは、海帆があの蛇をどこから連れてきたのかということだ。どんな呪法を使ってあんなものを呼び寄せてしまっていたのか。それに、呪いの対象となった相手はどうなってしまったのか。海帆を喰らおうとしたところから考えても、最早手遅れの可能性は高い。
 自己責任、因果応報。自分がしたことの報いは受けなければならない。その言葉を人に向けながら、それは真っ直ぐに自分に返ってくるな、と律は自嘲する。
 海帆の目が覚めたら、少しでも軽減できる方法を教えてあげよう。などと思ってしまうのは、きっと甘さなのだろう。


 その夜。いつものようにバイトをしていると、店に見知った顔が現れた。

「うお!? りっちゃんその左手どうした!?」
「ちょっとね。いらっしゃい、悠時、芹ちゃん」
「茅嶋くんが手を怪我するなんて! 珍しいこともあるもんですねえ」

 20年来の友人である白石 悠時と、その恋人であり『此方』の力の一つ、『神憑り』と呼ばれる能力を持つ月城 芹。2人はこうして時々揃ってデートという形で律の様子を見に来る。わざわざ怪我をしている日に来るのはセンサーでもついているのかもしれない、と律はどうでもいいことを考える。

「お仕事の方ですかー?」
「うん、ちょっと恭くんとね。ちょっと無茶したらコレだよ……」
「大丈夫なのかそれ? 治せんの? ピアノは?」
「今日はちょっと時間なかったから。2、3日で治療の目処はついたから、それまではこのままかな」

 律の左手首にはまっさらな白い包帯が巻かれている。さすがに傷をそのまま晒しておくわけにはいかないが、治療すれば跡形もなく消えるので、ちょっと捻っちゃって、ということにしている。包帯自体は恭がドラッグストアに走って買ってきて、そのまま巻いてくれたものだ。普段からテーピングだ何だとしているからか、ガーゼを巻いて包帯を巻いて、という作業は非常に手慣れていた。この状態で仕事に行くと言えば怒られたものの、仕事の状況によっては突然休まざるを得ないこともあるので、働けるときはなるべく行っておきたいという律の言い分を通した。
 何があったのかと聞く2人に、今日の出来事をかいつまんで説明する。あの後、意識を取り戻した海帆から話を聞くに、呪った相手は自分が所属していた陸上部の一人だったようだった。どうなったのか、どうしてそんなことをしたのかは聞いていない。聞いたところで、既に起こってしまっていることには取り返しがつかないからだ。恭が確認したところ現在その学校の陸上部は活動停止状態、廃部寸前となっており、恐らく部内で『撒き散らされた』結果としてそうなってしまったのだろう。
 軽い気持ちで教えてもらった呪法をやってみただけだったのだと、海帆は言っていた。どうせ何も起きないだろうと高をくくって、半信半疑で。けれど確かな意思を持って。

「で、蛇に憑かれちゃったんですねえ、その子」
「そういうこと。……何て言えばいいかな、『彼方』の成り損ないみたいな感じだったよ」
「成れないからいいとこ蛇にぱくっとされちゃって怨霊化、ですね」
「……んで? それ倒さずに追い払っただけ、ってことか」
「そういうこと」

 悠時の言う通り、律は本当に一時的に海帆から蛇を引き離しただけだ。だから必ず、あの蛇は海帆のところに戻ってくる。海帆が行った呪法の代償を求めて。それは彼女が受けるべき報いであり、律にはあの蛇を倒す理由はやはり、ない。
 それでも一応、蛇が戻ってきた場合の対処法や、それまでに今からでもできる簡単な身の守り方は教えておいた。喉元過ぎれば――きっといつかはもう大丈夫だろうと気を緩ませて、しつこい蛇に喰らわれてしまうだろうと思う気持ちはあるものの。それでも、呪ってしまった相手に一生かけてでも償っていかなければならない。幸いというべきか、彼女の呪法で死者が出たというわけではないようだった。もしかしたら誠心誠意、彼女自身が頑張っていけば何とかなる芽はある。
 そもそも、呪いなどというものは素人が面白半分に手を出すようなものではない。ヒトが願い、思う力にはとんでもないものを引き込む可能性が充分にあり、だからこそ、ヒトは怖いのだ。
 なお、達基の方は何も覚えていないようだった。蛇の気に当てられたときに前後の記憶を喪ったのだろう。今日律に会ったことさえ、きれいさっぱり覚えていない。何もする必要はなくて助かった、とは思うものの、彼に憑いていた小さな蛇は追い払っておいた。彼がこれ以上巻き込まれる必要は何もない。一般人である達基は、『彼岸』に纏わる世界になど関わらなくていい。

「で。りっちゃん的に引っ掛かったのは、誰がその子にそんな呪法を教えたか。だろ?」
「ご名答」
「呪法、ってだけ聞くとー、やっぱ『外法使い』とか怪しそうですよねえ」
「まあ確実に誰かが悪意を持って動いてることは確かだしね」
「気になりますねえ。芹もちょっと調べてみよっかな」
「いいよ、別に。芹ちゃんが首突っ込まなくて大丈夫」
「またそんなこと言っちゃってー」

 呪法を誰に教えて貰ったのか、そしてそれがどんな呪法だったのか、全く思い出せないと海帆は言っていた。ただ誰かにその方法を聞いたことだけは覚えていて、そして誘われるようにその呪法に手を出した。
 誰が、何のために、どんな目的を持って。
 律の頭の中にちらりと過ぎる可能性。それが有り得るかどうかは、きちんと調べてみないと分からない。引っ掛かってしまうだけで、過剰反応が過ぎると言われてしまえばそうかもしれない。

「……りっちゃん、何かあったら連絡しろよ、ちゃんと」
「ありがと。頼りにしてる」

 律が何を考えているのか分かったのだろう。心配そうに告げる悠時に、律は笑った。今のところは何が起きたわけでもない、気にする必要はない。――けれど、気を付けておくべきではあるだろう。律としては、同じ『此方』の力を持つ人間である恭や芹を巻き込みたくはない。
 左手首に巻かれた白い包帯に視線を落とす。こういった怪我も、なるべくなら避けるべきだ。いつ何が起きるか分からないのだから。

 時計の針が23時を指す。鳴り響いた時刻を知らせるメロディは、何故か音がずれて聞こえた。

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