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「ほんっとに、この大馬鹿!駄目って言ったでしょうが!」
「ご、ごめんなさい……」
その後すぐ、自分の病室に強制的に連れ戻された恭は、琴葉に散々怒られた。このところ怒られてばかりだな、と思って、それだけのことをしているのだとすぐに反省する。
「本当、憂凛がまだ寝てたから良かったものの、起きてたら大惨事になってもおかしくない状況だって理解して……後先考えない馬鹿はこれだから……」
「……それってやっぱ、俺が喰われるかも、ってことっすよね」
「そう」
「でも俺、ゆりっぺに喰われてトーゼンっす……」
「あのねえ、馬鹿なこと言わないで。……憂凛を『此方』に戻すために、また憂凛に君を殺させる訳にはいかないの」
「……ハイ」
琴葉の言う通りで、何も反論が出来ない。恭自身には全く自覚はないし、言われても本当なのだろうかと思ってしまうが、憂凛は恭を『殺した』ことを覚えているのだろうか。そうなのだとしたら、恭に対する罪悪感をどれだけ抱えることになるのだろう。気にしなくていいのだとは言えないことだけは分かる。
憂凛の気持ちも知らずに。郁真が恭を殺したかった理由も知らずに。『彼方』に堕ちるということの本当の意味も知らずに。
何も知らなかった。それだけしか、今の恭には分からない。
「……時間をかけて憂凛を『此方』に引き戻す予定だけど、憂凛にとって柳川くんを傷つけた記憶は大きなトラウマになる」
「……そう、っすよね」
「治療にはかなり時間がかかると思うし、治療の間柳川くんを憂凛に会わせる訳にはいかない」
「どうなるか分かんないから……っすか」
「最悪戻しても、君を見た瞬間トラウマのショックで堕ちて喰われる可能性だってある」
「う……」
「ある程度落ち着いて、憂凛がちゃんと柳川くんに会えるようになるまでは、絶対駄目」
「俺に……何か、出来ることとか」
「ない。強いて言うなら、憂凛を待っててあげて」
はっきりとした琴葉の言葉に、気が重くなる。何もすることはできない。誰のことも助けられずに、何の助力をすることもできずに、やらかすだけやらかした。あとは誰かが解決してくれることを、おとなしく待っていることしかできない。
本当にただの子供なのだ。何か手伝いたいと考えたところで、きっと動けば更に事態を悪化させてしまうだけの。
馬鹿だ馬鹿だと散々言われてきてはいるし自分でも自覚はあるが、ここまで自分が馬鹿だとは思わなかった。一体どうすればよかったのだろうと今更考えたところで、もう遅い。
「見たところ大丈夫そうだけど、まあ柳川くんの怪我はもう一度院長に診てもらって、どうもなければもう退院して大丈夫。……ああ、小夜乃が話したがってたから、良かったら話してあげて。……って言っても、あの子今仮眠取ってるけど」
「あ、小夜ちゃん……、……そういや琴葉先生『ディアボロス』の知り合いなんていたんすね」
「古い付き合いでね」
そう言って、切り替えるかのように琴葉はいつものように笑う。琴葉と小夜乃の間にとっても、『此方』や『彼方』というものは関係がないものなのだろう。それは恐らく恭が思っているのとはまた違って、付き合いがあるからこそお互いに理解をし合って、その上できちんとした信頼関係を築けているということだ。だからこそ今回、恭や憂凛を助けるために手を借りたのだろうから。
きっと、『此方』も『彼方』も関係ないと思うのであれば、恭はこの先きっちりと理解しなければならないのだろう。まだ曖昧にしか分かっていない部分を。
『柳川くんもだけど、憂凛ちゃんも頭おかしーんだもん』
そう言った佑月は、きっと間違っていない。恭も、そして恐らく憂凛も、本当の意味では何も分かっていなかった。だからこんなことになってしまったのだ。
「……琴葉先生」
「ん?」
「……『ヒーロー』って、何なんすかね」
「……柳川くん」
「女の子ひとり助けられやしないのに、『ヒーロー』とか笑わせんなって話っすよね……ああもうホント、何でこんな力持ってんだろ……」
皮肉にも程がある。誰も助けることなどできなかった。今までもずっと、助けてもらってばかりだった。
ぐぐ、と握り締めた拳。恭の言葉に肩を竦めた琴葉はしかし、優しい表情をしていた。
「……大丈夫。理由なんてそのうち見つかる、心配しなくても。君ならね」
「あら。元気になりましたのね」
「小夜ちゃん」
院長の診察を受けて、無事に退院の許可は出た。病衣から着替えようと思ったものの、恭が来ていたジャージはとても着れるような状態ではなかったので捨てるしかなかったと言われ、さて何を着て帰ろうと困っているとリノが服を貸してくれた。
恭もそれなりに身長がある方だという自覚はあるが、それでもリノの服は大きい。見た目でも恭より10cm以上高いように感じる。借りた服は返さなくていいと言われたが、そういうわけにもいかない。返す時は琴葉に返せばいいのか、またリノに会えるのか、その辺りが分からない。服を貸してくれるときも、ふらっと現れてふらっといなくなっていた。
そうして着替え終わったタイミングで小夜乃は現れたのだった。恭を見て、安心したように笑う。
「この度は災難でしたわね」
「……やー、何ていうの? ジゴウジトク? ってやつだし……」
「そのようですわね。……あの『カミ』の言葉じゃありませんけど、貴方かなり頭おかしいですわ」
「そうかなあ……」
「今この瞬間に私が貴方を殺すかもしれないと疑いませんの? 私、『ディアボロス』ですわよ」
「……分かんね。でも、『彼方』だからって皆が皆人を殺したり傷つけたりするとか、そんなこと、俺、やっぱりあんま思いたくない」
一度殺された。しかしその自覚が恭にない以上、すぐにその気持ちが変わることもない。やはり『此方』や『彼方』など関係なく、その人自身の問題だと思いたい。しかし人が変わったそれを目撃した今の恭には、どう折り合いをつけて考えていけばいいのかも分からないままだ。
何が正しくて何が間違えているのか。本当は全て間違えているのではないだろうか。
恭が迷っているのは、小夜乃にも見て取れるのだろう。あは、とおかしそうに笑いながら、空いているベッドサイドの椅子に腰かけた。
「貴方の考えていることは分かりますわ。本当にそうだろうか、と思っていますわね」
「……うん」
「確かに貴方たちに比べて、私たちは所謂犯罪的な行為や他者を傷つけることに特に抵抗はない、と考えて頂いて結構ですわ。『心を喪っている』或いは『心がない』と言われるくらいですから、己さえ良ければいいという考え方だって強いでしょう。まあ私から言わせれば、『此方』の方たちも大概己さえ良ければいいと思っていますけれど」
「……そういうもん?」
「ええ。そしてそれを前提として、基本的に私達のような存在は大勢に受け入れて貰うことは不可能だ、というのもあります。だって、いつ気まぐれに殺されるか分からない、となれば、怖いでしょう?」
「あー……」
考えたこともなかったその言葉に、声が漏れた。受け入れてもらえないことは、孤独だ。
郁真が言っていた、だから憂凛のことが好きになったのだと。憂凛も『此方』や『彼方』は関係ないという考え方をしているから、ごく自然に、当たり前に郁真のことを受け入れた。それは郁真にとっては、有り得ないほど嬉しい出来事だったのかもしれない。だから憂凛のことを好きになった。しかし憂凛には好きな人がいて――結果としてならば殺してしまえというふうになってしまうのは、郁真にとっては本当に普通の考え方だったのだろう。
「……まあ、貴方はきっとそれで良いのでしょうね」
「え」
「私だって琴葉お姉様が受け入れて下さっているから当然のような顔をして此処に居ることが出来ますし、……それに貴方も私を信じてくれたでしょう? それがどれだけ有難いことか」
「……小夜ちゃん」
「貴方のような方がもっと増えると良いのですけれど。……そして出来れば貴方のような考え方を、私達側ももっとちゃんと、深く知るべきなのでしょうね」
はあ、と。今度は大きな溜め息を吐いて、小夜乃は天井を見上げた。小夜乃にもいろいろとあるのだろう。彼女が元々『エクソシスト』なのか、ずっと『ディアボロス』なのかは分からないが、そういうものでも何か違いがあるのかもしれない。そういうことをもっとちゃんと知っていかなければ。知って、その上で考えていかなければ。
「……あ。小夜ちゃん」
「何でしょう?」
「ゆっちゃんって、あの後どうなったの?」
「ああ……あの『彼岸』なら鴉に相当ボロボロにされてましたから、何処かで身体を休めて癒しているところだと思いますわよ。宮内 郁真とはまだ縁が繋がっているようですし」
鴉というのは恐らく、リノのことだろう。あだ名か何かだろうかと思いつつも、そっか、と返事を返して。
それならば、佑月にも望んでは会えないだろう。聞きたいことは山のようにあるのだが、向こうに会う気がなければ難しいかもしれない。
彼女の目的は結局のところ完遂されたのだろうか。実験だと言っていた。恭と憂凛が『此方』も『彼方』も関係ないというスタンスの生き方をしているから、憂凛を『彼方』にするために動いていた。面白そうだったから、以上の理由はないのかもしれない。だがそれであれば、もうしないでほしいと頼むことは可能なはずだ。
「それでは、またの機会がありましたらその時は宜しくお願いいたしますね、柳川 恭くん」
「フルネーム! 別に名前呼び捨てとかでいいっすよ」
「ふふ。……本当に、貴方って子は」
「どうした柳川ー、かなりタイム落ちてるなあ。お前らしくない」
「……スイマセン……」
――そうして。恭は当たり前のように、日常に帰ってきた。
とはいえ、日常に戻ってきたという感覚はない。憂凛が今どうしているのか、恭には全く分からないままだ。渚に連絡をしたところで、返事は返ってこない。きっと渚は怒っているのだろうし、ずっと憂凛に付きっきりなのだろうとも思う。一度病院まで行ってみようかとも思ったが、会わせてもらえない状況は変わっていないだろう。
何となく顔を合わせても何を話したらいいのか分からない気がして、年が明けて以来律の家にも帰らずにこのところは毎日実家に帰っている。とはいえ心配を掛けるのは申し訳ないので、郁真の件がとりあえずは解決したことと、色々あって少しの間高校へは実家から通うことにしたことは連絡しておいた。よかったねの一言と、いつでも戻ってきていいからね、と書かれた文面が優しくて泣きそうになった。
メンタルが不安定な状態のままただ走ったところで、タイムが良くなるわけもなく。それどころか最低記録を日々更新し続けているような現状で、何も身に入らない。
「恭ー、ちょいメシでも行こうぜ」
「……連」
「何かあったろ、お前」
そんな日々が続いて数日。恐らく恭の不調をずっと気にしていたのだろう、連が部活終わりに声を掛けてきた。呆れたように笑う連は、いつも通りだ。
誘われるがまま、帰り道にあるファーストフードに入る。もそもそハンバーガーにかぶりつきながら、このファーストフード店に憂凛と一緒に来たことがあるな、なんて普段は考えもしないことを思い出してしまう。
「お前さー、新年早々風邪で部活休んだの、アレ嘘だろ」
「……ハイ」
「恭が部活サボるとか珍しすぎて誰も疑ってなかったけどな」
「……サボるっつか」
一応は、ドクターストップのようなものだ。『此方』や『彼方』の世界とは無縁な連に、実は殺されたらしくて、などという話はさすがに出来ない。大体普通であれば、殺されて死んだらそこで終わりだ。――恭が『此方』の人間で、適切な治療を受けることが出来たから、たまたまこうして助かって生きているだけなのだから。
「恭が元気ねえと調子狂うんだよ。部長大丈夫かーって皆心配してる」
「……ごめん」
「何があった?」
「……いやちょっと……友達が、俺のせいで怪我して入院しちゃって」
「入院!? 誰、俺が知ってる人?」
「……あのー……松崎先輩の幼馴染みの」
「あの可愛い子!?」
憂凛はよく恭に会いに学校に来ていたし、大会も見に来ている。何度か連とも話をしていたはずだ。まじか、と驚いた顔のままで呟いた連は、そのまま首を傾げた。
「ん? お前のせいで怪我したってどういうこと?」
「……一緒に出掛けた先で、色々あってさ」
正確に言えば、怪我をしたのは恭の方だ。憂凛の入院の原因は言ってしまえば精神的なダメージがあまりにも大きすぎることで。
堕とされた。恭を殺した。――恭のせいで。
ぎゅう、と心臓に締め付けられるような痛みが走って、恭は緩く首を振る。痛い。しかし、憂凛はもっと痛い思いをしている。
「……入院してから会うな! って言われて会えてなくて、謝りたいのに謝れなくて、ずっともやもやしてるし、その上別の人からゆりっぺが俺のこと好きなんだって教えられて、何ていうかもうどんな顔すればいいの俺、みたいな……」
「あー……てか恭、ほんっとにあの子がお前のこと好きなの気付いてなかったんだ?いやお前なら有り得ると思って皆で黙ってたんだけどさ。ドン引きの鈍さ……」
「ちょっと待って皆知ってたの……知ってて付き合ってんだろとか冷やかしてたの……マジで……」
「だってあの子どう見ても恭のこと好きだろうが。このモテ男。顔だけ男」
「んなこと言われたってさあ……いやでもホントに鈍いんだな俺……」
全く気付けなかった。全く気付かなかった。それでも憂凛は、恭のことを好きでいてくれた。
憂凛は恭のどこが良くて、好きになってくれたのだろう。本当に鈍くて、何も気づかなくて、何も知らないような自分を。気分が滅入っていく。自分がどれだけ馬鹿なのかを思い知らされて、嫌になる。
「あー……」
「……らしくねえなあ、恭」
「だってー……」
「会えるようになったらソッコー謝れ。謝り倒せ。許して貰えなくても謝れ。馬鹿正直なのがいいとこなんだからさ、恭は。そうするしかねえよ」
「……うん」
「つーかさあ、恭さあ」
「ん?」
「あの子がお前のこと好きだって知って、んで、お前はどーすんの?」
「どうするって?」
「お前、あの子のことどう思ってんの? 好きなの?」
「……へ?」
憂凛のことをどう思っているか――言われて初めて、そのことを考えていなかったことに気が付く。恭にとって憂凛は。好きか嫌いかと言われれば当然好きで、しかし連に今聞かれているのはそういうことではないことは分かる。
考えたことがない、としか恭には言えない。憂凛と一緒にいるのは楽しい、彼女のことを可愛いな、とも思う。だがしかし、そういう意味の『好き』が当てはまるのか、それが分からない。
「……恭」
「……なに……」
「イマドキ幼稚園児でもお前より恋愛に詳しいわ」
「マジで!?」
「興味本位でうっかりお前の悩みを増やしてしまったな……」
「……これ以上タイム落ちたら連のせいにしていい?」