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柳川 恭がその2人に初めて出会ったのは、高校1年生の春の頃の話である。
その日、テスト期間で部活のない休日だった恭は、同じ陸上部の仲間でありあっという間に友人となった松葉 連と共に、隣町にある比較的大きなゲームセンターに遊びに行っていた。テスト期間はテスト勉強のためのものだが、2人とも勉強は不得手のため特に勉強するつもりもなく。ダンスゲームで盛大に転んで連に笑われ、腹が立って得意なレースゲームで仕返しをして――そんな形で、目一杯遊んでいたのだった。
何か別のゲームをしよう、と探し始めた頃、UFOキャッチャーの辺りに人だかりができていたのが目に入った。その人だかりがふと気になって覗きに行けば、人だかりの視線の先でUFOキャッチャーを操作していたのは一人の少女。その隣には、どうやって持って帰るのかと思うほどのぬいぐるみの山が出来ていた。
そのぬいぐるみの山を見るだけで幾ら遣ったのかとこちらが心配してしまう。真剣な眼差しでUFOキャッチャーを見つめる彼女の視線の先にあるのは、ひとつのぬいぐるみ。まだ取るつもりなのかと目を点にしている間にクレーンが下りて、ぬいぐるみに引っかかって持ち上がって、しかしそのぬいぐるみは出口に運ばれることなくそのまま落ちてしまった。
「うー……取れないぃ……」
ギャラリーからは残念そうな溜め息。果たしていつからこの場所はこんな状態だったのだろうか。
「なあ連、あの子」
すげえな、と声を掛けようと振り返って、しかしそこに連の姿はなかった。先程まで一緒にいたはずだが、女の子に見入っている間にはぐれてしまったらしい。
きょろきょろと周囲を見回してみたが、やはりそこに連の姿はない。電話するか、とスマートフォンを取り出して――その瞬間。
「あ! そこのひとっ、スマホ! 貸して!」
「はえ?」
声が聞こえた次の瞬間には、スマホを持った手はがっしりと掴まれていた。何かと思いながら視線を向ければ、恭の手を掴んでいたのはさっきまでUFOキャッチャーの前にいた少女。
「い、いいけど……?」
「本当!? ありがとう、今日憂凛、スマホ忘れちゃって困ってて!」
「どっかに電話したいんすか?」
「うん。なぎちゃんならアレ、取ってくれると思うの」
「はあ」
果たして『なぎちゃん』が何者なのか。恭にはさっぱり分からなかったものの、少女の求めに応じてそのままスマホを差し出した。ありがとー、と受け取った少女は慣れた手付きで電話番号を入力し、そのまま電話を掛け始める。
電話番号を覚えているのがすごいな、だとか、というかこの少女は誰なんだ、だとか、そんなことを考えて混乱している間に電話は終わったらしい。ほっとした表情で少女が恭にスマホを差し出して、そこで目が合った女の子は、恭の顔を見てあれ、と首を傾げた。
「……ねえねえ! さっきあっちのダンスのゲームで派手にすっ転んでた人だよね」
「人に見られてたし!? はず!?」
「あ、やっぱりー。スマホ貸してくれてありがとう! なぎちゃん来てくれるって言ってたし一安心!」
「なぎちゃん?って人に電話してたんすか?」
「うん! なぎちゃんはねえ、UFOキャッチャーすごい巧いんだよ」
「え、もっとうまいんすか? ……あ、えーと、なまえ……?」
「憂凛! 橘 憂凛です!」
「俺は柳川 恭っす。憂凛ちゃんならゆりっぺって呼んでいい?」
「いいよー。憂凛も恭ちゃんって呼んでいい?」
「もち!」
にこにこと少女――橘 憂凛は笑う。その笑顔はふわりと柔らかく、自然とこちらの肩の力も抜ける。
恭と憂凛がそうして話している間に、UFOキャッチャーの周りに出来ていた人だかりはなくなっていた。憂凛の後に数人同じようにUFOキャッチャーに挑戦していたが、誰もぬいぐるみは取れないようで、余程難しいのだなということがよく分かる。
「ふふん、あのぬいぐるみは憂凛のだもん。あれはもう絶対なぎちゃんしか取れないよーやるだけ無駄だよー」
「なぎちゃん?って人、そんなにUFOキャッチャーうまいんすか?」
「もうあれは天才! プロかと思うもん。すごい器用だよ、何でも一発で取ってくれるの」
「へえ」
ぬいぐるみを取ってもらうのが待ちきれないのか、憂凛は自分で取ったらしいぬいぐるみの山からひとつぬいぐるみを選んで抱きしめつつ、ぴょこぴょこと体を動かしていた。どうにも落ち着きがない――恭も人のことは言えないが。
待っている間、憂凛とゲームセンターの中を見回してああだこうだとくだらない話をしながら。そういえば連に連絡を取っていないな、とは思ったものの、ゲームセンターのどこかにはいるだろう。さすがに置いて帰られることはないだろうし、下手に移動するよりはここに留まっている方が会えそうだ。
「あ、なぎちゃん!」
十数分後。話がふと途切れてぱっと表情を輝かせた憂凛が手を振ったのは、黒縁眼鏡をかけた少し年上に見える少年だった。その名前から勝手に女子を想像していた恭は面食らう。明らかにめんどくさい、と書いているような顔で、現れた『なぎちゃん』は恭と憂凛の顔を交互に見比べて溜め息を吐く。
「……何してんだよ馬鹿狐。他人の携帯借りて俺に電話してくるか普通、出ないとこだったろ」
「だって憂凛今日スマホ忘れたんだもん。恭ちゃんがスマホ貸してくれたんだよ! 憂凛、恭ちゃんとお友達になったんだー」
「あ?お前に人間の友達とか珍しいな」
「あ、ども……。ゆりっぺ、彼氏?」
「違うよー。なぎちゃんはなぎちゃんだよ?」
「違ぇし。……あー、陸上部の柳川じゃん」
「へ」
何も自己紹介をしていないのに出た自分の名前に、再び面食らう。もしかして『サイキッカー』なのだろうか、などと考えたものの、実際に『サイキッカー』に会ったことはないので分からない。あまりそういうことを口外してはいけないことは姉から身に染みつけられている。
混乱している恭とは隊商的に、『なぎちゃん』は冷静だった。ちらりと憂凛が抱きしめているぬいぐるみに目を向けて、それから積み上げられているぬいぐるみの山に目を向けて、大きな溜め息をひとつ。
「……馬鹿狐。幾ら遣った」
「えーっとねえ……、……ナイショ……」
「一斗さんにちくるぞ馬鹿……」
「パパにはごめんなさいするもん! 大体なぎちゃんが最初から一緒に来て取ってくれればいいんだよう」
「誘われてねえし我儘が過ぎる。ああもう、とっとと金寄越せ」
「はーい」
憂凛から『なぎちゃん』に渡される100円玉2枚。持っているぬいぐるみの種類で分かったのか、憂凛の案内もないまま目的のUFOキャッチャーに向かうと、『なぎちゃん』はじっとぬいぐるみを見つめて。数秒後、機械に入れられた2枚の100円玉。――そして。
誰が挑戦しても出口に運ばれることのなかったそのぬいぐるみは、驚くほど簡単に出口に導かれていた。
「……はー……すっげー……」
「ね? なぎちゃんが取ってくれるって言ったでしょー?」
「あのひと何者……?」
「なぎちゃん!」
「人の紹介するならちゃんとしろよいい加減、高校生になったんだから。俺は松崎 渚、お前と一緒の高校の3年。先輩。ほらよ、馬鹿狐」
「わーい! ありがとうなぎちゃん! 天才! 大好き!」
「うるせえ現金が過ぎる」
「はー! なるほど先輩だったんすか、だから俺のこと知ってたんすね!てっきりエスパーか何かだと」
「お前も馬鹿かよ……」
馬鹿ばっかりだな、と『なぎちゃん』――松崎 渚は溜め息を吐く。その手にはいつの間にやら袋に詰められている大量のぬいぐるみ。
わあい、とぬいぐるみを両手に抱きしめて無邪気に喜ぶ憂凛を見つつ、渚はちらりと恭に視線を向けた。
「……大体何でエスパーなんだよ」
「え、いや、自己紹介してないのに俺のこと知ってたじゃないすか」
「陸上部の期待の新人の話は散々お前んとこの部長に聞いたんだよ。……てかお前『此方』のクセして全然見抜けてねえのな」
「へ?」
「俺は『陰陽師』。ついでにこいつは半分狐の『半人』。覚えとけ、『ヒーロー』」
「……ええええええ!?」
「あーもううるっせえっつの」
「恭ちゃんいきなり叫んじゃってどうしたのー?」
ゲームセンターの騒音にある程度消されるとはいえ、声が大きすぎたのだろう。ちらほらと周囲の視線が向いたのがわかって、思わず口を両手で塞ぐ。
恭は感覚が鈍い。『此方』や『彼方』という存在をひと目見ただけで見抜けるような目は持っていない。あっさりと見抜く者がいることは知っている――下宿先の茅嶋 律がそうだからだ。時折全く隠す気のない、見るからにそうだと思う者もいるが、そういう人間は稀だ。こちらに関しても律がそうで、鈍い恭でさえ一見しただけで分かった。この場合は恭の姉が『ウィザード』だったから、というのもあるだろうが。
恐らく、渚もそういった感覚は鋭い方なのだろう。初めましてで何も知らない相手に『ヒーロー』だと言われたのは初めてで、心臓がどきどきと音を立てている。
「俺は馬鹿狐が友達だっつった『此方』にはちゃんと言うことにしてんだよ。そんなびっくりしなくていいだろ」
「いや……16年生きてきて初めての経験だったんで……」
「ま、アイツが友達っつったってことはお前は気に入られたってことだし、学校も一緒だからまた会う機会もあんだろ。……こら帰るぞ馬鹿狐、次の獲物を探すな、俺これ以上持てねえよ」
「えー!? 何で分かったの、せっかくなぎちゃん来てくれたからもういっこくらい何か取ってもらおうと思ったのにい」
「お前が1個で済むわけねえ、我慢しろ。……じゃあな柳川。ありがとうな、電話」
「ああいや、それは全然」
「じゃあね恭ちゃんっ、また今度ゆっくりお話しようね!」
自分で取ったぬいぐるみと、渚が取ったぬいぐるみ。両腕でしっかり2つ抱きしめて、憂凛が笑う。つられるように笑顔で頷けば、憂凛の隣で渚が呆れたように溜め息を吐いた。
「あ!? やっと見つけた、どこ行ってたんだよ恭テメエ!?」
「お? あ? 連! ひさびさー」
「久々じゃねえよ突然いなくなったらびびるだろ! めっちゃ探したわ!?」
「電話してくれればよかったのに」
「……殴っていい?」
「ご、ごめんなさい……」
恭としてはいきなりいなくなったのは連なのだが、それは言ってはいけないだろうと口を噤む。実際、UFOキャッチャーに気を取られていたのは恭の方だ。
恭が連と喋っている間に、もう憂凛と渚の姿は消えていた。高校が同じなのであれば渚とすれ違うことはありそうだが、憂凛と会うことはあるのだろうか。恭はそう頻繁にゲームセンターに来る人間ではない上に、このゲームセンターは少し遠い。雑談のときにどこの高校に通っているのか聞けばよかった、と思ったところで後の祭りだ。
考えても仕方がない。縁があればまた会うだろう。そう考えて、恭は連と2人、次のゲームへと向かい。
それが、恭と憂凛、そして渚との関係の始まりで。
そして恭が現実を知ることとなる日への、カウントダウンの始まりだった。