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05
翌朝、恭が目覚める時間にはまだ響も小夜乃も眠っていた。二人とも恭が朝早いことをよく分かっているからだろう、どちらかのお手製の朝食がテーブルの上に置かれている。レンジで温めるだけにしてくれていて、至れり尽くせりでありがたい。
外は雨が降っているので、今日はジョギングは中止だ。先に朝食を食べて、洗い物をして片付けるところまではきちんとして。それから緑色の煙草の箱とスマートフォンを引っ掴んで、恭はベランダに出た。
いつの間にかすっかり吸い慣れてしまった煙草に火を点けて、銜える。二十歳の誕生日の日にどきどきしながら初めて煙草を買った日のことが懐かしい。――昔からずっと決めていた、二十歳になったら姉が吸っていたものと同じ煙草を吸うのだと。
姉はヘビースモーカーだった。あまりにもしょっちゅう吸うものだから、そんなに美味いものなのかと聞いたことがある。おかしそうに姉は笑って、「大人になったら吸ってみ」なんて言われて。いざ大人になって、初めて吸った煙草のあまりの不味さに笑ってしまった。どうして姉はこんなものをずっと吸っていたのだろうと思ってしまう程には不味いとしか思えなかった。
それでも、恭はそのまま煙草を止めることができずにいる。さすがに姉ほどのヘビースモーカーにはなれない、陸上が好きで走っていたのもあって肺に悪いのはコンディションに響くことも分かっている。吸っても多くて1日3本程度、全然吸わない日も多い。それでも、煙草を吸うということを止められずにいるのは、姉と同じ煙草を吸っているせいだ。ふんわりと香るメンソールのその匂いが、何故だかずっと姉が一緒にいてくれているような気がしてとても落ち着くから。
体に悪い煙をゆっくりと吐き出して、恭はスマートフォンの画面に目を向けた。
「ぶんちゃーん。おはよー」
『おう。ちゃんと頭起きてるか? すっきりしてるか?』
「だいじょぶ。俺寝起きいいもん」
『まあそやな。ほんなら昨日の調査結果の報告しよか』
「何か分かった?」
『うーん、ちょっとだけ』
スマートフォンの上、少し残念そうな雰囲気で頭を垂れる白いもやの棒人間。その反応に少し笑ってしまうものの、響が分からないといっていたことを調べてもらっているのだ。調査の方法が違うとはいえ、難しいものは難しいだろう。
『響がいうとった女の『陰陽師』か『外法使い』は多分犯人とちゃう。どっちかっつと犯人追いかけてるぽい』
「追っかけてる? 調べてんのかな」
『せやな。事件が起こった後にその現場に行ってるみたいやから。そこにおった、っていう情報だけが読み取れたから、響には犯人かどうか分からんかったんちゃうか』
「あー……なるほど……?」
『この件追いかけるんやったら一回その女に話聞いてみるんが正解やろうけど……首突っ込むんか?』
「ん?うん。だって聞いちゃったし。小夜ちゃんやパーカーに何かあったらやだし」
友人がいるということもあるが、恭にはどうしても『彼方』だから全員悪い、というような考え方は持てない。その存在が危険であることは実体験としてよく分かってはいるが、それでも普通に生きている『彼方』の人間を迫害するようなことは許してはならないことだと思う。
何より、特に理由もなく知り合いが傷つけられる可能性があるかもしれない、というのがどうにも引っ掛かる。何らかの理由があるのかもしれないが、それは現状では分からない。誰かが傷つけられることは、どうにも苦手だ。悪いことをしたのであればそれは怒られても当然だとは思うが、何もしていないなら手を出すべきではない。
そもそも、共に過ごす方法だってある筈なのだ。恭が今、小夜乃と友好的な関係でいられているように。
「……ひびちゃんは何でこの話、俺にしたんだろ」
『ん?』
「小夜ちゃんに気をつけろっていう話をするだけならともかくさ、何で俺に話してくれたのかなって」
『そらお前がすぐ何でも首突っ込むからやろ』
「いやまあそれを言われると……」
響とももう2年以上の付き合いだ。恭にこんなことを話せば調べると言い出す性格であることは重々分かっているだろう。そもそも響は何故この件を調べようと思ったのか。やはり小夜乃のことが気にかかったから、なのだろうか。
不意にこんこんと窓をノックする音が聞こえて、はっと顔を上げる。部屋の中からひらひらと小夜乃が手を振って、ベランダを開けた。慌ててベランダに置いてある簡易灰皿で煙草を揉み消す。
「おはよ、小夜ちゃん」
「おはようございます。また煙草吸ってましたの? 体に悪いと言っているでしょうに」
「小夜ちゃんがお母さんみたいなこと言う……」
「まあ吸うなと言うつもりもありませんけれど。体は大切にしなさいな」
「はあい」
「で、何か分かりました?」
「あんまり?」
『こら三条人のこと見て役に立たんなコイツみたいな顔すんのやめろや』
ぴょこんと浮き上がるむっとした顔の顔文字に、恭と小夜乃は顔を見合わせて笑う。一頻り笑ってから、『分体』が先程恭にした説明をもう一度小夜乃にしているのを聞きつつ、恭はぐるぐると肩を回した。そろそろ響のことも起こさないといけない時間だろう。恭も響も、今日は試験で大学に行かなければならない。
「ん。小夜ちゃん今日の予定は?」
「今日は特に何もありませんから、お姉様のところに行くつもりですわ」
「そっか。気を付けてね」
「あら。心配してくださいますの」
「だって襲われたらさー……、大丈夫?」
「心配なさらずともその辺にいる『此方』の方々に負ける程弱くはありませんわ。襲われても適当に対処いたしますからご心配なく」
「んん……分かった。でも何かあったらすぐ呼んでよ。俺で助けになるかは分かんないけど」
「……本当にお人好しなんですから。でもありがとうございます。今日は私はこれで失礼しますので、響によろしく」
「はあい」
そしてその翌日。大学での用事を終えてそのまま恭はとある場所を訪れていた。
「わー……」
そこは恭が通っている大学からは少し離れた場所にある大学院。通っている大学とは随分と雰囲気が違って、どうにも入りづらい。
恭がここを訪れたのは、『分体』と響の調査の結果だった。『彼方』狩りを調べている『陰陽師』か『外法使い』――その女が恐らくここの学生ではないかというのが、『分体』と響の調査で一致した内容だった。その真偽を確かめるべく、恭がここを訪れたということになる。今日は響は大学の試験とバイトで一日潰れている。日が合うときにしようかとも思ったが、こういったことは気になるので早く終わらせておきたいのが恭の性分だ。
「来たのはいいけどどうしよう」
『名前まで分からんかったからなー……まあでも写真あるから何とかならんか?』
『分体』の言葉と共にぽんとスマートフォンのディスプレイに写る写真。そこにはショートカットの女が一人写っている。『分体』が探してきたもので、どこかの監視カメラから切り取った画像だということもあり、かなり画質は荒い。しかし顔は何となく判別がつくので、恐らく知り合いが見つかれば辿り着けるだろう。
一瞬だけ、渚に連絡を取ってみてもよかったかもしれない、とは思う。どこの大学院なのかは知らないが、今頃は渚も大学院生だと琴葉か律に聞いた覚えがある。しかしどうにも、恭は渚には連絡しづらいところがある。あまり無理を言いたくはない。
「……あイテ」
『お? どないした』
「あー……頭よさそうな人たち見てたら頭痛くなってきちゃったかな……」
『アホが過ぎる』
「うるさいなあ」
さすがに高校時代よりは頭がよくなっていると思いたいが、反論しづらいのが辛い。恭が訴えたところで説得力がないことも重々承知している。
急に痛みを感じた頭を擦りつつ、よし、と気合を入れて。ここでこのまま突っ立っていても事態は何も変わらない。とりあえず探すしかないので、大学院から出入りしている人に片っ端から声を掛けていくことにする。声を掛けても立ち止まってもらえないときもあるが、立ち止まってくれた人に写真を見せて。いらないと言われたり、変な顔をされたり、無視をされたり――というのはいつものことなのであまり気にはしない。30分程経った頃、立ち止まってくれた男が写真を見てあれ、と首を傾げた。
「碓氷じゃん」
「ウスイさん? 知ってる人すか?」
「多分だけど。何、碓氷探してんの?」
「あ、そうなんす。ええと、ちょっとこの間お世話になったんすけど、名前とか聞きそびれちゃって……ここの学生だってのは聞いたんすけど」
「へえ……? まあ多分会うから声掛けといてやるよ」
「ありがとうございますっ」
少し変な顔をされてしまったが、しかし色よい感触にほっとする。じゃあ、と手を振って大学院の中に入っていく男を見送って、安堵の息を吐き出して。
――しかし待ちぼうけになることには変わりない。男が彼女に声を掛けてくれたところで、本人が出てきてくれないことには会いようがないのだ。入口には守衛がいるので、恐らく部外者は中に入れない。
「ねえぶんちゃん、ここの大学院の名前と『ウスイ』って名前で何か分かる?」
『院生やし論文とかで引っ掛かるかもしれんな。ちょっと調べたろ』
「頼んだ」
暇を持て余していても仕方がない。手に入れた情報で分かることは調べておくべきだ。『分体』に調査を任せて、恭はぼんやりと考えを巡らせる。相手は『陰陽師』なのか、それとも『外法使い』なのか。どうして『彼方』狩りを調べているのか。もし調べているのなら、知っていることを教えてもらうことはできるだろうか。
『碓氷 奈瑞菜、こいつか』
「お。ウスイナズナさん?」
『法学関係の学生みたいやな。ぱっと検索した感じはどこにでもおりそうな院生って感じやけどなー、取り立てて何かすごいことあるわけでもなし』
「それ以上は分かんないかあ」
『名前が分かっただけでも上々やろ。時間掛ければ他のことも分かるやろ』
「そだね」
出身校等にも調べがつけば、そこから別口で調べを進めていくこともできるだろう。とりあえずもう少しこのまま出てくるのを待ってみるかと考えながら、大学院の方に視線を戻すと。
「あ」
『おお、ちょうど出てきたな』
思いのほか早く探し人――写真に写っていたが現れた。荷物は持っていないようなので、恐らく話を聞いて気になって出てきてくれたのだろう。その姿を確認した『分体』がぼそりと『陰陽師』や、と呟いて教えてくれる。
「あ、君かな? アタシのこと探してるっていうの」
「あっはい俺です! すいません急に。碓氷さん、すか」
「うん、そう。ええと? 初めましてじゃないかな……?さすがに君みたいなイケメンに会ったら覚えてるな……」
「あ! あの、世話になったとかっての、嘘っす! えーと、あの、『陰陽師』さん……すよね……?」
「へ」
ぱちぱちと驚いたように目を瞬かせた奈瑞菜が、まじまじと恭を観察する。検分するような目つきにう、と後ずさりしてしまったのは不可抗力だ。これで間違っていたら不審者だ、という恭の心配をよそに、ああ、と奈瑞菜は納得したかのような声を上げた。
「君、『ヒーロー』くんだ? え、もしかしてアタシ調べられてる? 何か関わっちゃった系かな。あ、ちなみにちゃんと自己紹介、アタシは碓氷 奈瑞菜です、よろしくね」
「あっ、俺は柳川 恭っす。ちょっと聞きたいことあって」
「……やながわ?」
恭の名前を聞いた瞬間にまたぱちりと奈瑞菜が目を瞬かせる。意味が分からずにきょとんと首を傾げる恭の前、奈瑞菜は考え込むように表情を険しくさせて。そして突然、恭の両肩をがしりと掴んだ。その表情は真剣そのものだ。
「え」
「君、カヲルちゃんの後輩だよね!? 馬鹿の『ヒーロー』の柳川くんだ!?」
「えっ何かめっちゃひどいこと言われた気が?」
「アタシ、カヲルちゃん……ああっと、松崎 渚! アイツの大学の同級生なんだけど!」
「――え」
奈瑞菜の口から出た、よく知っている名前。先ほどふと頭に浮かんだその人である渚の名前に、今度は恭が目を瞬かせる番だった。
そんなことを急に言われても何を聞けばいいのか分からない。ぽかんとした恭にちょっと待ってて、と言い残して奈瑞菜はあっという間に大学院の中に戻っていってしまった。
「……まつざきなぎさってえっと」
『まあ松崎のことやろうなあ』
「何で松崎先輩の知り合い」
『世間は狭いなあ』
「てか何で俺のこと知ってんの!? 馬鹿の『ヒーロー』って言われたけど!? 初対面の人に!」
『アホの柳川くんで有名なんやなあ』
「めっちゃ腹立ってきた」
自分が馬鹿であることは認めるが、知らないところでそんな話題にされているとは思ってもみなかった。できればそんなことで有名にもなりたくない。
恐らくは渚が何かの話題の際に、たまたま恭の話を奈瑞菜にしたのだろう。しかし本当に馬鹿だということで覚えられてしまっているのは非常に心外だ――しかも全く知らない相手に。渚は果たして一体どれだけ恭のことを馬鹿だという形で話をしていたのだろう。 すぐに戻ってきた奈瑞菜の手には荷物があって、移動する気であることはすぐに分かった。しかし、恭はまだ何も話をしていない。
「えっと俺まだ何も……」
「アタシに聞きたいことあるんでしょ? あと君が本当にカヲルちゃんの後輩の柳川くんなら、アタシもちょっち聞きたいことあってさ。あっついからそこの喫茶店でも行かない? オネーサン奢りますわよ」
初対面の恭に聞きたいこと、と言われてもピンと来ずに恭は首を傾げるが、断る理由はない。先ほどの奈瑞菜もこんな気持ちだったのだろうなと思いながら奈瑞菜の半歩後ろをついていく。
「ところで何で松崎先輩ってカヲルちゃんなんすか」
「え、渚といえばカオルでしょ。シンドバットとどっちがいい? って聞いたらすっごい嫌な顔されてウケたなー」
「あー……」
酷く嫌そうな表情をしている渚の顔が浮かぶ。どちらも嫌だと言っているのに引かない奈瑞菜に折れた形のあだ名なのだろう。
ふとそう言えば以前、同じ部活の後輩にもカヲル先輩と呼ばれているのを聞いた覚えがある。渚は一見取っつきにくいところがあるが、何だかんだ優しくて面倒見がいい人だ、と恭は思っている。どれだけ迷惑を掛けたか数えきれない。
「……、いって……」
「ん? どした柳川くん」
「やー、ちょっと頭痛……?」
「あれ、大丈夫? 熱中症とかじゃない?」
「ん、ちょっとずきっとしただけなんで。大丈夫っす」
心配そうに恭を振り返る奈瑞菜に、笑って頷く。先ほども一瞬頭がずきりとしたのも何だったのか。奈瑞菜の言うように軽い熱中症なのか、それとも夏風邪の前兆だろうか。しかしこのところ体調が悪かった覚えはない。
考えているうちに到着した喫茶店で、恭はカフェオレ、奈瑞菜はコーヒーを注文して。さて、と改めて向かい合うと、どうにも緊張してしまう。
「では改めて、碓氷です。カヲルちゃんとは大学の同級生で……あー、柳川くんってくっきーのこと知ってるよね? 楠。アイツとも同級生なんだけど」
「知ってます知ってます、楠先輩っすね」
「柳川くんの話は2人から時々聞いてたんだー。お馬鹿な『ヒーロー』なもんだから、一緒に居ると目が離せなくて困るーって」
「……それは何つーか……すいません……」
「ふふ、じゃあ柳川くんの用件聞いてもいい?」
「あ、はい。ここんとこ『彼方』がやたら襲われてるって話聞いて、ちょっと調べたら同じ感じで調べてる『陰陽師』の女の人がいるってことは分かったんで」
「うんうん、それがアタシだったから、何か知ってたら教えてもらおう! って訪ねてきたってことかな?」
「そうっす」
「詳しいことは何か知ってる?」
「いやー……『ディアボロス』が多いってことくらいしか……」
そもそも調べていたのは響なので、恭はほとんど話を聞いただけに近い。つまりは――何も知らない。
調べた結果最初にたどり着いたのが奈瑞菜であり、現場を調べたりということもしていない。ほとんどおんぶにだっこで聞けることを聞こう、程度の状況であることがどうにも申し訳なくなってくる。
「で、何で柳川くん……呼びづらいな、きょんきょんって呼んでいい?」
「きょんきょん」
「アタシのことはなっちゃんでいいよー。きょんきょんは何でこの件調べようと思ったの?」
「え、ええと……俺『ディアボロス』の友達がいて……」
「ほう。変わったお馬鹿ちゃんだとは聞いてたけど本当に変わったこと言ったね今?」
「俺には大事な友達なんで。……その子に何かあったらやだなって思って、それで調べようと思ったんすよ」
「そっかそっか」
「うん。えっと、碓氷さんは」
「なっちゃんね」
「うす。なっちゃんは、何で追ってるんすか?」
奈瑞菜の反応を見る限り、恐らく奈瑞菜にも『彼方』の友人がいるということではないのだろう。とすれば、『彼方』の人間を積極的に助けるような理由は彼女にはないようにも思える。そうなるとどうしてわざわざ奈瑞菜が『彼方』狩りを追うのか、それが分からなくなってしまう。
恭がこの事件に首を突っ込むのがおかしいことも分かっている。これは恭の問題ではなく、放っておけば『彼方』の人間が自分で解決するかもしれない問題だ。それは奈瑞菜にとっても同じことの筈で。
「アタシかー。アタシなー……」
「何か気になってることでもあるんすか?」
「……アタシが柳川くんに聞きたいことにも関わってくるんだけど。あのね、多分これの犯人カオルちゃんなんだよね」
「……え?」
言われた言葉の意味が分からない。渚が『彼方』狩りの犯人と言われたところで意味が分からない。
最後に会ったのは律のことがあったときに助けてもらったあの時だ。あの頃の渚は恭がよく知っている渚のままだった。以前の渚であればそんなことをするとは考えにくい。何より、恭はともかく琴葉はしょっちゅう渚に会っている筈だ。時々世間話のように渚のことは話題になるが、様子が変わっているという話は聞いたことがない。
「きょんきょんってさ、最後にカヲルちゃんに会ったのっていつ?」
「あー……俺が直接会ったのは2、3年くらい前すね……」
「そんな前か、そっかー……。アタシが最後にカヲルちゃんに会ったのは2か月ぐらい前なんだけどね、そのときは普通のカヲルちゃんだったんだよねえ」
「松崎先輩って今何してるんすか?」
「院で小難しい文学研究してるらしいよ。……てかそのハズなんだけど、ちょっと1か月前かな、カヲルちゃんの同居人から連絡があってね」
「どうきょにん……?」
「そうそう、何か知り合った外国人の面倒見てるんだったかな。その人からカヲルちゃんが行方不明だって聞いて、でも院には行ってるみたいで出席してる形跡もある。会おうとして院で張ってても全然会えないんだってさ。そういう風になる前は特に変わりなかったらしいんだけど」
一体渚は何をしているのか。
行方不明になって誰かに心配を掛けるようなことをする人間ではない。一人であれこれと調べることはあるだろうが、行方不明だと言われるほど人に会わないようなことをするとは思えない。そして何より、その行方不明と『彼方』狩りがどうにも繋がらない。誰かに知られるとまずいのだろうか。それとも、誰も巻き込めない事情があるのだろうか。
「んで何でなっちゃんは松崎先輩が犯人だって思ったんすか?」
「最初はちょうど同時期から『彼方』が襲われる事件が増えたってところから。で、調べていくうちに確信した。変な『彼岸』に唆されてんんおかなって思ったけど、そうでもなさそうだし」
「そうなんすか?」
「多分カヲルちゃん、誰か探してるんじゃないかなー。誰を何で探してるのか分かんないからこれはただの予想だけど」
人探しの結果が、『彼方』を襲撃しているような形になっているということなのだろうか。
しかしやはりどうにもつながらない。渚は元来自分から面倒事に首を突っ込むようなタイプではない。どちらかと言えばなるべく関わり合いを避けているとも言えるだろう。
彼が自分から首を突っ込むとしたら、それは。そこまで考えた瞬間。
「いっ……!?」
「きょんきょん?」
ずきん、と今までとは比にならないほどの激痛が恭の頭を襲う。割れるような痛み。息が詰まって、気持ちが悪くなるほどの。
元々恭は自身の健康には自信がある。頭痛がすることなど滅多にない。こんな痛みを感じるのはさすがに初めてで、何かがおかしい気がしてならない。
「頭痛いの? だいじょぶ?」
「大丈夫……っす、たぶん……、いてて……」
「きょんきょん頭痛持ち? 薬とか持ってる?」
「や、俺風邪も滅多に引かないし、こんなん全然経験ないんすけど……」
痛い。
じくじくと、頭全体に広がっていく鈍くて鋭い痛み。頭痛に耐性がない恭にとっては本当に耐え難い。どこかを怪我するような痛みにはそれなりに慣れているが、思わず頭を抱えて突っ伏したくなるほどの痛みを感じるのは辛い。何より頭痛の原因が分からない。
――先ほどまで何を考えていたのだろう。ふとそう思って、その思考はふわりと消えていく。
「……あー。スンマセン……。……あの、えと、松崎先輩探すなら俺も一緒に行っていいっすか?」
「いいけど……大丈夫なの? ほんとに。変な汗かいてるけど」
「ちょっと休んだらたぶん……。慣れてないのに頭使ったからっすかねえ」
「ああ、ホントに馬鹿なんだ」
「うぐ」
――きっと、色々なことを必死で考えていたから。それで頭が痛むのだろう。
自分にそう言い聞かせて、恭はカフェオレに口を付けた。氷が溶けて薄くなったカフェオレは、じんわりと体の奥へと染み込んでいった。